第5話 愛のポエム集
森から少し離れた所にある小屋へと、フェリクスは、蜂に刺されて見るも無残なお顔になったミランを運んだ。
ミランの右手にはしっかりと真っ赤な薔薇の花が握られていた。彼は、マルガレーテ! と連呼しながら、蜂の大群に突っ込んで、薔薇の花をもぎ取ってきたのだった。
しばしあっけにとられたフェリクスだったが、あわてて浮遊魔法でミランを救出したというわけだった。
何という無茶な王子だ。無鉄砲すぎる。愚か者という言葉がぴったりだ。
フェリクスはミランを簡素なベッドに仰向けに寝かせた。
小屋は、森を管理する者の休憩所か何かかと思われたが、治癒薬や、魔力を増幅させる道具などは見当たらなかった。あまり使われていないのかも知れない。フェリクスもまさか薔薇の花を摘んでくるだけでこんなことになるとは思わなかったので、何も持ってこなかった。こうなったら自身の魔力だけでミランを治癒しなければならない。
フェリクスは自分のグローブを外して、素手でミランの顔を包み込み、治癒魔法をかけた。
以前のお顔と少し違った顔になったらどうしよう……。
こんなになってまで惚れ薬を作りたいのだろうか。まだ誰かを好きになったことがないフェリクスには理解できなかった。
「うう……」
「ミラン殿下、気づかれましたか」
ミランは薄目を開けた。まだ顔がだいぶ腫れているので、フェリクスはミランの顔を両手ではさんだままだ。
「フェリクス殿……ば、薔薇は……?」
「殿下が持っておられますよ。一輪あれば大丈夫です」
「そ、そうか」
ミランは笑おうとして顔が痛むのか、うめき声を上げた。
「殿下、今お顔を治癒しておりますから、どうか動かないで下さい」
「フェリクス殿の手は柔らかいな。それに、女のようにすべすべしてる……」
ミランはフェリクスの手のひらに顔をすり寄せた。
そりゃあ女ですから、と、フェリクスは心の中で答えた。そうか、私は手は女らしいのか。175センチある身長と、広い肩幅で、男装していなくても遠目からは男に間違われることも多かったのに。
治癒を終え、ミランの顔はなんとか元通りになった。フェリクスはグローブをはめながら、ミランに聞いた。
「次は王家に連なる者の愛の証、ですよ。ミラン殿下、とりあえず一旦王宮内に戻って……」
そこまで言い終えて、フェリクスはふらつき床に膝をついてしまった。
「フェリクス殿!」
「大丈夫です、ミラン殿下。少し魔力を使いすぎただけです。すぐに回復しますので」
体内の魔力をもとにして魔法を使うと、精神力を消耗してしまうのだ。
「魔力を持った人間は、魔力が極端に減ると、体の調子が不安定になるらしいね」
ミランはそう言って、さっとフェリクスの横に跪くと、フェリクスの腕を自分の肩に回した。
「ミラン殿下、よくご存じで」
魔力を体内に持つ人間は、魔力が生命力と繋がっているらしく、魔力の増減が体の調子にかかわるのだ。生まれつきではなく、途中から魔力が目覚めたフェリクスにとっては、今も少し慣れない感覚だ。
「フェリクス殿、一旦王宮の戻ろう。大丈夫、僕には『王家に連なる者の愛の証』に心当たりがある。一人で調達してくるから、君は少し休むといい。……すまなかった、僕のために。ありがとう」
ミランはフェリクスのすぐ隣で、切れ長の目を伏せた。
フェリクスは疲弊し、ぼんやりする頭で思った。
ミラン殿下は少し子供っぽいけれど、他人を思いやる心を持っている。なのに、なぜマルガレーテ嬢の心を惚れ薬などで操作しようとするのだろう。マルガレーテ嬢に悪いと思わないんだろうか。
王宮の手前でフェリクスはミランと別れた。
このあと、昼は貴族婦人とランチをしなければならない。フェリクスはさほど会話が得意ではないが、婦人たちは好き勝手にしゃべり倒すので、ただ「分かりますよ」と、うなずいていればよかった。
どうして女というものはああも、おしゃべり好きなのだろう(自分も女だけど)。
貴族学校でも、魔力が突如発現して転入した魔法学校でも、フェリクスは女として浮いていた。とくに、色恋の話にはついていけなかった。ただ勉強して、読書をして、ぼんやり窓の外を眺めたりしていた。成績も運動神経もよかったから、クラスメイトから頼られることは少なくなかったけれど、目立つ生徒ではなかった。
貴族婦人たちとのランチを終え、自室に戻ったフェリクスはソファに横になった。
誰かを好きになるとは、どういう感じなんだろう……。
「やったぞ、フェリクス殿!」
「わっ」
フェリクスが目を開けると、すぐそこに端正な第三王子の顔があった。どうやらソファでうたた寝をしてしまったらしい。
「ミラン殿下。か、勝手に入って来ないで下さいよ、一応魔法師団団長室なんですよ」
フェリクスはソファから立ち上がって、緩めた襟元を素早く直した。
「僕と君の仲で今更何を言っている! それより見てくれ」
ミランは装飾が施された分厚い一冊の本を、テーブルに置いた。
「僕が手に入れた『王家に連なる者の愛の証』だ」
「『愛しのビアンカへ贈る言葉』……? って、ちょっと、こ、これ、もしかして、ユリアン殿下の日記じゃないですか」
本のタイトルに、フェリクスは仰天した。
「まさか盗んできたんですか、ユリアン殿下の私室から」
「日記じゃないよ。愛のポエム集(笑)だ。兄上は今日、午後からビアンカ嬢と会う約束をしていたから、その前に時間を見計らって兄上の部屋を訪れたんだ。そうしたら案の定、ビアンカ嬢がやって来たと同時に鍵もかけずに部屋から転がるようにすっとんでいったから、その隙に借りた」
「借りたって……」
「兄上はビアンカ嬢と婚約するまで、毎日ビアンカ嬢への愛を詩に綴っていたんだ。これなら『王家に連なる者の愛の証』にぴったりだろう?」
「ポエム集……」
フェリクスは顔をしかめた。
「ミラン殿下、恐れながら申し上げます。これは、褒められたことではありませんよ。意図的に、個人の部屋から私的なものを盗んでくるなんて」
フェリクスも日記をつけているが、他人に読まれることを考えたら、ひどく不快だった。
だから、フェリクスは至極まっとうなことをミランに言ったつもりだが、当のミランは苦笑しただけだった。
「フェリクス殿は、真面目だな」
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