第4話 薔薇を取りに

 ユリアンはフェリクスのその場しのぎの言葉に勇気づけられたようで「そうか……それもそうだな! 俺がビアンカを信じないでどうする」と自分で自分を鼓舞しだした。


「ありがとう、フェリシア! いや、フェリクス君!」


 こいつまで抱きついて来ないだろうな、とフェリクスは身構えたが、ユリアンは抱きつく代わりにフェリクスの肩をポンと叩いただけだった。


「お前は貴族学校にいたころから、本当に変わらないな! その姿もよく似合っている」


「ありがとうございます」


 女の姿よりも男の姿が似合っている、と言われても、フェリクスは何とも思わなかった。事実、自分にいわゆる女らしさは皆無だと思っていた。

 可愛いものや、甘いものにも興味がないし、結論が出ないおしゃべりも得意じゃない。女のくせに理論的、合理的で、可愛げがないと言われたこともある。

 自分では別に感情がないわけではないと思っているが、感情よりいつも理論が勝ってしまう、という自覚はフェリクスにはあった。

 現に今、金の使い込みの発覚を恐れて、ミランの惚れ薬作りにつき合っている。同じ女としてなら、惚れ薬を飲まされる立場のマルガレーテに同情し、ミランの不届きな行動に憤怒すべきなのに。


 それはそれ、これはこれと、割り切ってしまう自分がいる……。


 気がかりが払しょくされ(兄弟そろって単純だ)軽い足取りで立ち去っていくユリアンを見送ると、フェリクスはミランを探した。


「フェリクス殿。兄上は、なんて?」


 離れた柱の陰から顔を出したミランは、心配そうにフェリクスの顔をうかがった。そういう顔をすると、本当に子供みたいだ、とフェリクスは思う。


「ミラン殿下。ご心配なく。いつものノロケです。さあ、薔薇を探しに行きましょう」


「ノロケかあ~。ユリアン兄上とビアンカ嬢は本当に仲がいいからな。私もマルガレーテとあんなふうになりたいなあ。そのためには……」


 だからなんでそこで「惚れ薬」なんだ。向こうは(本当は気乗りしなくても)婚約にOKしてくれたんだからそれでいいじゃないか。

 フェリクスは本気でそう思っていた。


 ――十五分後。


 フェリクスとミランは、二百年前エルドゥ王国建国のときに初代王が、王国の繁栄を願って祈りを捧げ植えた薔薇が咲いているという、王宮内の森の前に立っていた。

 王族が住まう王宮の敷地は広い。ここからさらに森の中を進むのかと思うとフェリクスはげんなりした。


「飛びましょう、ミラン殿下」


 フェリクスはミランに提案した。「私につかまって下さい。空から薔薇を探しましょう」


「そ、空からって? フェリクス殿?」


「行きますよー」


 フェリクスは小柄なミランを抱えると、ふわりと浮いた。浮遊魔法だ。高度な魔法に分類されるが、フェリクスにとっては長時間使用しなければ、さほど難しい魔法ではなかった。そのまま一気に上昇する。

 森の上から俯瞰する形で、薔薇が咲いているという場所を探した。王家に伝わる真っ赤な薔薇、というくらいだから、なにかしら目印があるんじゃないかと踏んだが、それらしきものは見当たらない。

 フェリクスは、自分に痛いくらいしがみついているミランに聞いた。


「ミラン殿下、真っ赤な薔薇というのは、森のどのあたりに……」


「あわわわわわ……、た、高い……目が回る……もうだめだ」


 ミランは目を回してパニックを起こしていた。


「殿下、薔薇ですよ、薔薇。真っ赤な薔薇」


「は? 立派な馬鹿?」


 瞬間、しがみついているミランの力がふっと抜けた。そのままミランは森の中に落下していく。


「えっ? ミラン殿下?」


 気絶した?


 フェリクスは急いでミランのあとを追って、森の中にダイブした――。



「――殿下! ミラン殿下!」


「……う、うう……」


「ミラン殿下!」


「フェ……フェリクス殿……?」


 幸いにもミランは木の枝に引っかかっており、大した怪我もなく、無事だった。フェリクスはミランを木の枝から慎重に下ろし、地面に寝かせ、治癒魔法で傷の手当てをした。


「大丈夫ですか、ミラン殿下」


「ああ。大丈夫だ」


 ミランは自力で起き上がった。フェリクスは安堵した。王子を不注意で殺してしまったら失職どころでは済まない。


「申し訳ありませんミラン殿下。ミラン殿下は高所恐怖症なのですね」


「そ、そういうわけじゃないけど、あんな突然飛び上がるなんて思わなかったから」


 ミランは赤くなって、恥ずかしそうに顔を伏せた。男の意地というものがあるらしい。


「本当に申し訳ありません。私の配慮が足りませんでした」


「も、もういいよ……。それより、僕らは運がいい。見てくれ、フェリクス殿」


 フェリクスはミランが指さす方向を見た。そこには、真っ赤な薔薇が一面、咲き乱れていた。

 底知れぬ生命力を感じる、燃える炎のような赤い薔薇だ。これが、二百年前から王家に伝わるという薔薇なのか――。


 ぶんぶんぶんぶん。


「どうしたフェリクス殿、蜂の真似なんかして」


 ぶんぶんぶんぶん。


「現実逃避しないでくださいよ、ミラン殿下」


 薔薇を見ている場合じゃなかった。フェリクスとミランは薔薇を目の前にして、蜂の大群に囲まれていた。


「ミラン殿下、飛んで逃げますよ。これじゃあ薔薇に近づくのは無理です」


 フェリクスはミランの腕をとった。ミランは思いがけない力でそれを振りほどいた。


「君だけ逃げろ。僕は、薔薇を取って帰る。あれがなきゃ、惚れ薬ができないんだろう?」


 ミランは腰にさしてある剣を抜いた。いや、それ王子ファッションの一部で、おもちゃの剣でしょ、とフェリクスは突っ込みたかった。


「僕は逃げるわけにいかない! マルガレーテを振り向かせるためにも!」

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