第3話 惚れ薬を作ろう

「ではミラン殿下、この本を拝見してよろしいでしょうか」


 心を決めたフェリクスは、ソファに座るよう、それとなく王子を促した。


「もちろんだ。大分傷んでいるから、気をつけてくれ」


 フェリクスもミランの対面に座り、テーブルの上に本を広げる。


「あ、フェリクス殿。君は午前中に何か予定があったのではないのか?」


 唐突にミランが聞いた。こういうところに気が回るんだなとフェリクスは妙に感心した。女性の心は惚れ薬でなんとかしようとしているくせに。


「午前中は魔法の訓練があるのですが、自主練みたいなものですし、行かなくても大丈夫です。行っても私一人しか来てないということも多いですから……」


 自分で言ってて、情けなくなってきた。


「ですからお気になさらずに。殿下、これによると、惚れ薬を作るのに必要なのは『王家に伝わる真っ赤な薔薇』『王家に連なる者の愛の証』『王家に認められた若い女の金の髪』……見事に王家がらみばかりですね。これらに魔力を注ぎながら、呪文を唱え、王家秘蔵の酒を振りかける、とあります」


「そうか……さすが、魔法師団の団長はすごいな! 古い字体だから、私なんてタイトルしか読めなかったのに」


 ミランは身を乗り出して、目を輝かせた。「それに私には魔力がない。やっぱり、君の協力が必要だ」


「おや、最後の部分、汚れて全く読めないですね」


「ああそうなんだ。だけど挿絵かなんかだろう。作り方のところが読めれば問題ないよ。さあ、フェリクス殿、さっそく、取り掛かってくれ」


 都合の悪いところは自分の都合のいいように解釈するとは、やっぱり子供だなあ、とフェリクスは呆れた。最後の部分を無視して、取り返しのつかないことにならなければいいけれど。一応、あとで汚れを取り除く魔法をかけておくか。


 ミランはソファから立ち上がった。


「フェリクス殿、王家に伝わる真っ赤な薔薇というのは、王宮内の森に咲いている薔薇に違いない。なんでも、二百年前、エルドゥ王国建国のときに初代王が王国の繁栄を願って祈りを捧げ、植えた薔薇だそうだから」


「さすがですね、ミラン殿下。エルドゥ王国の歴史にお詳しい」


 フェリクスが褒めると、ミランはあからさまに嬉しそうな顔をした。


「そうと決まれば、善は急げだ。フェリクス殿、薔薇を取りに行くぞ!」



 ――フェリクスとミランが魔法師団団長室を出て、王宮の廊下を歩いていると、気難しい顔をした男に出くわした。

 エルドゥ王国第二王子、ユリアンだった。

 ユリアンはフェリクスとミランを認めると、やや吊り上がったグレーの目を見開いた。


「二人が一緒にいるなんて珍しいな。フェリクス君は今訓練の時間じゃないのか?」


「あ、兄上。これはね……」


 ミランはユリアンの言葉に、あたふたと動揺した。どうとでも誤魔化せるだろうに、とっさの言い訳を思いつかないようだ。フェリクスは仕方なく「そこでお会いして雑談していただけですよ」と返した。

 フェリクスの返答を受けて、去って行くかと思いきや、ユリアンはミランに向かってこう言った。


「少しだけフェリクス君と話がしたい。ミラン、悪いが席を外せ」


 ミランは意外そうに二回ほど瞬きしたが、「分かったよ、兄上」と結局その場を離れた。ちらちらと、フェリクスの方をうかがっている。フェリクスは「大丈夫です、惚れ薬のことは秘密にしますから」という意味を込めて、ミランに向かって頷いた。

 ミランが見えなくなると、ユリアンはまわりに人気がいないことを確認しつつ、フェリクスを壁際に追い込んだ。兄弟そろって壁ドンが好きだな、とフェリクスは思う。

 ユリアンはダークブラウンの短髪を意味もなくいじりながら、沈痛な面持ちで、ややあって口を開いた。


「最近ビアンカの様子がおかしいんだ。俺に対して妙によそよそしいというか。どう思う? ?」


「その名で呼ばないで下さいよ、ユリアン殿下」


 まさか使い込みがバレたのかとドキドキしていたフェリクスはその場にこけそうになった。何を言いだすかと思えば、弟も弟なら、兄も兄だ。

 ユリアンは真剣な顔つきでフェリクスに迫った。


「女の君なら女性の気持ちが分かるだろう? 俺が他の女性に助言を求めたら、ビアンカが嫉妬してしまうかもしれない。だが、男性に扮している君になら……。俺達はもとクラスメイトじゃないか」


 ビアンカ、とはユリアンの婚約者である。

 ユリアンが貴族学校でビアンカに一目ぼれし、長い間追いかけ続け、ようやく彼女の心を射止めて両思いになった――、そんなエピソードは、特に国民の若い女性からロマンチックストーリーとして語り継がれている。

 二人とも今年貴族学校を卒業し、あとは結婚するのみなのだが、王太子である第一王子に今だ婚約者がいないこともあって、保留となっていた。

 そして、ユリアンの言葉どおり、フェリクスとユリアンは貴族学校のもと同級である。しかも同じクラスだった。

 ユリアンはこの王宮内で、フェリクスを女性だと知る、数少ない人物のうちの一人だ。フェリクスの本名がフェリシアであることも知っている。


「他人行儀な物言いはしなくていい。やっぱり兄上に遠慮して結婚を先のばしにしているのがいけないのかなあ。どう思う? フェリシア」


 顔が近いなあ、はやくこの場から立ち去りたい、と思ったフェリクスは、


「心配しすぎだよ、ユリアン。私から見て、ビアンカ様はいつでもユリアンを思っているよ。間違いない。様子がおかしいと思うなら、思い切って聞いてみたらどう? 大丈夫、ビアンカ様を信じて」


 とテキトーなことを言った。

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