相談と早とちりと

 アパートに戻って来た僕は、着替えもせずそのままベッドに倒れ込みました。




『私は、カズくんの彼女になりたいです。』




 浩佳ちゃんの声が頭の中で何度も言っています。

 冗談だと思いたかったのですが、どう見ても浩佳ちゃんの顔は真剣でした。

 それでも、俄かには信じることが出来ません。

 だって『僕』ですよ?

 暗くてコミュ障で見た目も頭も良くなくて今まで彼女なんか居た試しの無い僕ですよ?

 浩佳ちゃんは明るくてコミュ力抜群で見た目も頭も良くて今まで彼氏……が居たかどうかは知りませんが……とにかく僕と対極に居る子ですよ?

 どう考えても釣り合いが取れません。

 アンバランス過ぎます。




『今すぐじゃなくていいから……返事して欲しいな……』




 何も言えずに呆然としていた僕に、浩佳ちゃんは少し不安そうな顔をしてそう言っていました。


 イヤじゃないんです。

 それどころか本音は飛び上がって踊り出したいくらい嬉しいんです。

 初恋が叶うなら、こんなに嬉しいことはありませんから。


 でも、僕じゃダメなんです。

 泥の中に生きるスッポンが、夜空を照らすお月様と並ぶなんて有り得ないんです。

 僕は枕に頭を埋め、枕に向かって大きく息を吐き出しました。


 と、部屋のチャイムが来客を伝えてきました。




「はい。」




 玄関まで行って鍵を開けると、そこに立っていたのは満面の笑みを浮かべる月待先輩でした。




「よぉ……って酷い顔してるけど何かあったのか?」


「あ……いえ……ちょっと寝てたもので……」


「さっき帰って来たばかりなのにか?」




 同じアパートの隣の部屋ならそりゃ分かりますか。

 僕は『ふぅ』っと息を吐いて先輩を部屋の中へ案内しました。

 先輩は壁を背にして床にどっかと腰を下ろしました。

 僕も先輩の対面に座ります。




「それで、何があった?」


「いえ……特に何がというのは……」


「浩佳ちゃんと会ってたんだろ?」


「な!?な、何故それを?」


「俺の情報網ナメんなよ……と言いたいところだが、実は鈴乃すずのちゃんが教えてくれたんだ。」


「鈴乃……ちゃん……?」


「この前の合コンの向こうの幹事だよ。綺麗な子居ただろ?」




 宝生さんのことですね。

 つまり、僕が浩佳ちゃんと会っていたことは宝生さんを通して月待先輩に伝わっていたということでしたか。

 幹事同士でしたから元々何らかの繋がりはあるのでしょう。




「浩佳ちゃんと会ってたって聞いたから冷やかしてやろうと思って来たら酷い顔していやがる。何も無いのにそんな顔しねぇだろ。」


「元々酷い顔なんです。」


「そういう意味じゃねぇよ。なぁ和真、俺はお前の先輩として大したことしてやれてるとは思って無いんだが、それでも大事な後輩だと思ってんだよ。その大事な後輩がそんな酷い顔してるの見て放っておけるほどドライな男にはなれねぇんだ。」


「先輩……」


「話してみろよ。俺に出来ることなら何だって手伝うぜ?」




 相当僕の心は疲れていたのでしょう。

 先輩のそんな言葉に少し目頭が熱くなってしまいました。




「先輩……」


「おぅ、何でも言ってみな。」


「特に何もないっす。」


「おぉぉいっ!そこは”実は浩佳ちゃんと……”って続くとこだろぉ!?」


「いや、ホント何も無いんで。」




 僕が浩佳ちゃんと会っていたことが宝生さんから月待先輩に伝わっているということは、僕が浩佳ちゃん絡みで何か言えばそれは宝生さんにあっさり伝わるということでして、宝生さんに伝わった話は恐らく浩佳ちゃんに筒抜けになるでしょう。

 いくら暗くてコミュ障でブサ面で頭の悪い僕でもそれくらいは気が付きます。

 そりゃ、恋愛経験豊富な月待先輩に訊けば何らかの解決策を示してくださるかもしれません。

 僕一人で考え悩むよりよっぽど効率は良い筈です。

 でも、本人に筒抜けになるのが分かっていて相談に乗ってもらうなんてのは愚の骨頂です。




「俺ってそんなに和真から信用されてねぇのか?」




 先輩は信用していますよ。

 寧ろ尊敬すらしています。

 でもそれとこれとは話は別です。




「まぁ、いつでも相談には乗るから気軽に言って来いよ。」


「ありがとうございます。」




 月待先輩は帰って行きました。


 静寂の戻った部屋で再びベッドに体を預けると、極度の疲労感からか、落ちるように眠りにつきました。




◇◇◇◇◇




 どれくらい眠っていたのでしょうか。

 部屋はまだ真っ暗なのでそんなに長い時間ではないと思います。


 視界の隅にチカチカと光るものを捉えました。

 スマホです。

 僕は重たい体を起こして手を伸ばし、静かに小さな光を点滅させるスマホを取りました。

 画面を開くとショートメールの着信……浩佳ちゃんからです。




 差出人:花宮浩佳

 本文:今日もありがとう。楽しかったよ。また遊ぼうね。




 以前のやり取りと比べると随分あっさりしていて、何だか僕が送る社交辞令のような印象を受けました。

 やはり昨日きちんと返事をしなかった事で、少し溝を作ってしまったようです。

 距離が開くのは僕が望んだ通りなのですが、こういう開き方はいけません。

 僕が理想とするのは、浩佳ちゃんにとって僕が『いい人』のまま関係を自然消滅させることなのです。

 今の開き方では『嫌な奴』で強制終了になってしまいます。


 スマホの時計は午前4時少し前。

 いくらメールでも、さすがにこの時間に返信するのは非常識ですね。

 それに、何も考えがまとまっていない状態でメールを送っても、余計に泥沼化しそうなので止めておいた方が無難です。


 こういう時はネットに訊くのが一番です。

 お互いに顔も見えず声も聞こえないこういう所だと普通に喋れるのですから、コミュ障の僕には打って付けです。




 スレッド:幼馴染にいい人と思われたまま距離を置きたいのだが


 1.どうすればいいと思う?




 2.知らん


 3.ここはリア充の来るとこじゃねぇんだ 去れ


 4.あ?自慢かコラ?


 5.引っ越せ(物理)




 ここはリアルの、特に異性との絡みの話になると途端に冷たくなるんですよね。

 こうなるともう一度スレッドを立てても、ツワモノ達はあっさりIPアドレスや何かを調べだして同一人物だと確定したら同様の対応をしてくるでしょう。

 僕はブラウザを閉じてパソコンの電源を落とします。

 やはりここは自分の力で何とかしないといけないようですね。

 眠気の遠ざかった頭で考えるとします。




 たっぷり3時間ほど考え、窓の外はすっかり朝です。

 勿論、答えなんか出るわけがありません。

 しかし未既読が分からないショートメールとは言え、何も返さないのは失礼にあたります。

 時間は朝の7時を迎えようとしています。




 宛先:花宮浩佳

 本文:おはよう。こちらこそありがとう。僕も楽しかった。




 取り敢えずそれだけ送ってみます。

 前回と同じ流れなら即レスが飛んでくると思いますが、今朝は10分経っても30分経っても返事はありません。

 いつも返事の早い相手から返事が無いと不安になりませんか?

 僕はなります。

 かと言って連投するのも気持ち悪がられそうなので待ちます。




 ぴろん♪

 そろそろ学校へ行こうかと思って立ち上がったと同時にメールが着信しました。

 浩佳ちゃんでした。




 差出人:花宮浩佳

 本文:おはよう。返事遅くなってごめんね。今起きたんだ(汗)(汗)(汗)




 凄い量の『(汗)』です。

 そんなに焦る必要は無いのですが、毎日学校があると言っていたので、今起きたという事は完全に寝坊でしょうか。

 であれば朝の準備の邪魔をしてはいけませんね。




 ぴろん♪

 浩佳ちゃんは自分で時間を追い込むタイプでしょうかね?




 差出人:花宮浩佳

 本文:カズくん体調崩してない?何か昨日帰ってきてから体が重たくて。風邪だったらカズくんに感染してないかなと思って(汗)




 僕はいつもと変わらないけど、浩佳ちゃんが体調不良?

 まさか『(汗)』の連打は熱を出して本当に汗かいてるってこと?




 宛先:花宮浩佳

 本文:大丈夫?風邪は引き始めが肝心だから今日は温かくしてゆっくり過ごしてね。




 ぴろん♪




 差出人:花宮浩佳

 本文:ありがとう。そうするつもりだよ。




 メールは文字だけですが絵文字や顔文字を使うことで感情をより明確に表現することが出来ます。

 浩佳ちゃんのメールもいつも華やかで楽しそうです。

 なので尚の事、それに慣れていると本当に文字のメールが元気が無いように見えてしまうのです。




(これは浩佳ちゃん……大変なことになってるのかもしれない……)




 そう思った僕は居ても経っても居られなくなりまして、思わず浩佳ちゃんに電話を掛けてしまいました。




「も、もしもし……浩佳ちゃん?」


『カズくん?どうしたの?』




 ともすれば、寝起きのアンニュイな感じのする声がスピーカーから耳をくすぐりましたが、現状を知った今、そんな事を楽しんでいる場合ではありません。




「大丈夫?熱高い?汗は?喉渇いてない?何か食べた?」




 思い付く限りの問診をします。




『ふふっ……カズくん、お母さんみたいだね。』


「そ、そういうのじゃなくて……」


『熱は37度ちょっとくらいかな……昨日少し汗かいたから引いたかも……今朝はまだ何も食べてないけどあんまり食欲無いなぁ……』




 本当にしんどそうです。




「ちゃんと食べないと……」


『作るのめんどくさいんだもん……カズくん作ってくれる?』


「いいよ。」


『えっ?』




 何故僕はその時、何の迷いもなく『いいよ』と言ったのでしょうか。

 今思い出しても全く分かりません。




「作るよ。浩佳ちゃん何処に住んでたっけ?」


『え?あ……えっと……実家だけど……』




 僕は何を訊いているのでしょうか。

 今の看護学校に自宅から通っていると以前聞いていたのに。

 寧ろ、僕の方が実家から通えるのに一人暮らしをしている事を羨ましがられたと言うのに。

 実家なら僕の実家の向かいの家です。

 ここから電車に乗って30分も掛かりません。




「じゃあ待ってて。すぐ行くから。」


『えっと……あの……』


「温かくして寝とくんだよ。」




 そう言うと僕は財布とスマホを握って部屋を飛び出していました。

 途中、ドラッグストアに寄ってスポーツドリンクとゼリーを買って電車に乗り込みました。

 5つ程の停車駅がもどかしかったです。

 25分で実家近くの駅に到着します。

 ドアが開くと同時に電車から出ると、改札に向かって猛ダッシュです。

 まるで○漢が警察から逃げるようにです。

 勿論、そんなことはしていません。

 駅から実家までは僕の足でも5分も掛かりません。

 暫く帰宅していなかったのもあって、自宅までの道のりや住宅街の家々の並びを見て妙に新鮮な空気を感じました。

 当然、僕の実家には見向きもせず、向かいの家……浩佳ちゃんの家の前に到着します。

 荒れる呼吸を整えつつ、インターホンのスイッチを押しました。




『はぁぁぁい!』




 浩佳ちゃんの声に似ているけど違う声です。

 凡そ電話でのしんどそうな声とは対極の声です。

 その声を聞いて僕はとんでもないことを忘れていたことを思い出しました。




(実家だったらおばさん浩佳の母居るじゃん……)




 思い出して背中に冷たい汗が流れ落ちました。

 しかしインターホンを鳴らして住人が返事をしたのですから、これで姿を消したらピンポンダッシュになります。

 ただの悪戯小僧にランクダウンしてしまいます。

 あたふたしている間に、花宮家の玄関が勢いよく開かれ、中から浩佳ちゃんのお母さんが笑顔で出て来られました。




「あらまぁ和くんじゃないの!久し振りねぇ!元気にしてた?」


「あ……えと……は、はい……元気……でした……」


「それは何よりねぇ。浩佳ったら昨日帰って来るなり部屋に閉じ籠っちゃって、何かおかしいなぁと思って寝付いた頃見に言ったら、汗いっぱいかいてふぅふぅ言ってたのね。あー熱出てるなぁって思って氷枕作ったり汗拭いて着替えさせたりで大変だったのよ。まったく……体調管理が出来ないなんて浩佳もまだまだよねぇ。」




 おばさん止まりません。

 風邪引いて寝込んでる娘をディスってます。


 それはいいとして、浩佳ちゃんが実家で寝込んでいて、実家でご両親と同居している時点で僕に出番なんかあるわけないじゃないですか。

 僕は大学の講義をサボってまで何をしに来たのでしょうか。




「和くん、ひょっとして浩佳のお見舞いに来てくれたの?」


「あ……あの……」


「悪いわねぇ。浩佳もきっと喜ぶわ。さ、上がって上がって。」


「いえ……あの……」


「あ、大丈夫。あの子の感じだと風邪じゃないから感染る心配無いわよ。」


「え?」


「何かストレス抱えてるのかもしれないわねぇ。小さい頃からそうだったもの。」


「は、はぁ……」




 そう言われると(僕が原因?)とか思ってしまいます。

 僕はおばさんに促されるまま玄関の中に導かれていきます。

 多少リフォームはしたようですが、間取りは幼い頃に遊びに来ていたまま変わっておらず、懐かしさを感じます。

 僕はおばさんに着いて2階へ上がり、浩佳ちゃんの部屋の前に来ました。




「浩佳、起きてる?和くん来てくれたよ。」




 そう言っておばさんは中からの返事を待たずにドアを開けました。




「ささ、和くんどうぞ。」


「あ……ど、どうも……」




 何年振りかで浩佳ちゃんの部屋に入ります。

 心臓がばくばくいってます。

 浩佳ちゃんは布団に潜り込んでいます。




「と、突然……来ちゃってごめん……ね……」


「ううん……」




 浩佳ちゃんは目から上だけを布団から出して僕の方を見て返事をしてくれました。

 おばさんは『ごゆっくりぃ~♪』なんてご機嫌な様子で下へ降りて行ってしまい、部屋には僕と浩佳ちゃんだけになりました。




「え、えっと……その……ぐ、具合……どう?」


「うん……大丈夫だよ……ありがとう……」




 気まずいです。

 僕が早とちりした上に寝込んでいる女性の部屋に『ご飯作る』と言ってやって来たのですから。

 おばさんが居るのにご飯作るわけにもいきませんから。




「と、とりあえず……これ……買ってきたから……」




 僕はアパートを出てすぐのドラッグストアで買ったスポーツドリンクとゼリーの入った袋を机の上に置きました。

 布団から目だけ出した浩佳ちゃんが微妙な笑顔をしているのが見えます。




「電話のカズくん……凄く積極的だったね。」


「へっ……!?」


「まさか来るとか言い出すと思わなかったもの。」


「いや……あ、あれは……その……」




 目だけ出してもそもそ喋っていた浩佳ちゃんは、ようやく顔だけ布団から出して明瞭な声で話を続けました。




「カズくんに告白したの……カズくんは私が宝生さんにきちんとした姿を見せたいから告白してきたって思われたんじゃないかと思って……」




 確かに居酒屋でそんな事を言っていた気がします。




「だからカズくんはすぐ返事をしたく無かったんじゃないかと思って……」




 違います。

 すぐにお断りする度胸が無かっただけです。




「もう、カズくんに会えないんじゃないかと思ったら寝込んじゃった。」


「っ!」




 僕のせいで浩佳ちゃんが悩んでしまっています。

 最悪の未来が見え隠れします。

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