メールと居酒屋と
何度も寝返りを打ち、寝付けない夜を過ごし、気が付けば窓の外は昇ったばかりの朝日で明るくなっています。
まだアラームが鳴るまで1時間以上ありますが、ここで眠気が来たら起きられなくなりそうなので諦めて体を起こします。
と、アラームをセットしているスマホが何かの着信を伝えるランプを光らせていました。
スマホを手に取って画面をタップして開くと、ショートメールが着信しているアイコンがあります。
『花宮浩佳』
アイコンをタップすると受信トレイが開き、一番上に浩佳ちゃんの名前が表示されました。
さっきまで起きているのか寝ているのか分からなかった僕の頭が一気に覚醒します。
差出人:花宮浩佳
本文:今日は久し振りに会えて楽しかったよ。次は二人で遊びに行こうね。おやすみなさい!
自然と顔がニヤケます。
がしかし、そうじゃないだろうと理性がニヤケ顔を修正。
終わりにしなきゃいけないのにテンション上げてどうするんだよ。
取り敢えず返事をしつつ、自然消滅する方向に持っていこうと無い知恵を絞るとします。
頭の良い子なので、社交辞令の一つでも入れておけばきっと気付いてもらえるでしょう。
宛先:花宮浩佳
本文:おはようございます。こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。またお時間ある時に誘ってください。
ぴろん♪
即レスです。
差出人:花宮浩佳
本文:おはよう!早いんだね!って同い年の幼馴染なのに何で敬語なの?w
会話を継続させる雰囲気です。
社交辞令を華麗に受け流されています。
宛先:花宮浩佳
本文:いや、何となく丁寧な方がいいかなと思って。
ぴろん♪
レスが早いです。
差出人:花宮浩佳
本文:いつも通りがいいよw呑み過ぎて二日酔いになってない?大学の講義はちゃんと受けられる?
宛先:花宮浩佳
本文:分かった。二日酔いにはなってないよ。大学の講義は今日は昼からなので大丈夫。
ぴろん♪
浩佳ちゃん、早朝から暇なんでしょうか?
異様にレスが早いんです。
差出人:花宮浩佳
本文:いいなぁ!こっちは毎日朝から晩まで講義と実習入っててのんびりする暇も無いよぉ(涙絵文字)カズくんに癒してもらおうかな?(ニヤリ絵文字)
終わりません。
朝から講義入っているならそろそろ準備した方がいいと思うのですが、メールのやり取りがいつまで経っても終わりません。
それどころか浩佳ちゃん、グイグイ押してきます。
僕の思惑とは逆の方向に流れています。
宛先:花宮浩佳
本文:緩い大学生の特権みたいなものだから。その分、就職は苦労すると思う。癒すのはまた時間が合えばその時にでも。
ぴろん♪
僕が送信するところを見ていたとしても、ここまで早く返信出来るものなのでしょうか。
差出人:花宮浩佳
本文:『時間が合えば』なんて言ってたらいつまで経っても合わないよ。時間は合うのを待つんじゃなくて会える時間を作るんだよ。それでいつ癒してくれるのかな?
浩佳ちゃんは圧倒的会話上級者でした。
僕如きの社交辞令など吹けば飛ぶ程度に中身がありませんでした。
ギブアップです。
宛先:花宮浩佳
本文:ごめんなさい。じゃあ今度の日曜日は?
ぴろん♪
もうレスの早さには慣れてきました。
差出人:花宮浩佳
本文:どうせなら善は急げで今晩とかどう?カズくんの都合が良ければだけど。
浩佳ちゃんのターンが終わりません。
幸か不幸か、今日も学校が終わればバイトは休みで何の予定も入っていませんので了承しておきます。
その後、待ち合わせの場所やら時間やらを打ち合わせて、ようやくメールのやり取りが終わったのは最初のメールから1時間後でした。
僕は若干寝不足の頭に被さってきた浩佳ちゃんとのメールのやり取りで疲労困憊です。
それにしても、このままでは『会えてよかった』で終われず、嫌われて終わってしまうリスクが高くなってしまいます。
それは何とか避けたいところですが、上手い方法が浮かぶかどうか……。
◇◇◇◇◇
あっという間に夕方です。
大学から帰宅した僕は手持ちの服の中から、以前月待先輩がコーディネートしてくれた長袖のシャツとデニムパンツを選んで身に着けます。
先輩が着れば雑誌のモデルでも通用しますが、僕が着たら何となく貧相に見えるのは素材の違いでしょう。
素材は変更出来ませんので、これが僕の思い付く一番のオシャレだと割り切って着て行きます。
待ち合わせ場所の駅前に、待ち合わせ時間の30分前に来てしまいました。
どんだけ浮かれてるんだ……と思われそうですが、寧ろ『早く済ませたい』の方が強くて焦っているだけです。
梅雨明けの蒸す空気が肌を不快に撫でる中、(タオル持って来るの忘れた……)なんて思っていると、改札口から水色のシャツに白いキュロットの浩佳ちゃんが小走りに手を振りながらやって来ました。
「お待たせっ!早かったね!」
それは浩佳ちゃんもです。
待ち合わせの時間まではまだ20分以上あります。
「あ……うん……電車が早く着いちゃって……」
そんなわけがないです。
日本の鉄道ダイヤはそう簡単に乱れたりしません。
「ひょっとして私に早く会いたくてとか?」
浩佳ちゃんが僕の顔を得意気な顔で覗き込んでいます。
「そ、そういうわけじゃ……」
「違うの?」
「あ……いえ……そ、そう……です……」
「あはっ!よろしい!」
間違ってはいないですが正しくもありません。
僕は、出来るだけ浩佳ちゃんに『良い印象を残したまま会わないようになる』のを早く進めたいだけです。
「少し早いけど先にお腹を満たしておく?」
「うん……そうだね。」
「ここ、前に友達と行ったんだけど結構よかったんだ。ここでもいい?」
浩佳ちゃんはスマホを操作してお店の画像を見せてくれました。
凡そ、僕みたいな冴えない男が一人で入れるような店ではないです。
どっちかと言えば女子会とかで使いそうな小綺麗でお洒落な感じの店です。
でも僕は女の子と行けるお店なんか知っている筈もありません。
「う、うん……浩佳ちゃんに任せるよ。」
浩佳ちゃんに一任するしかないです。
浩佳ちゃんは僕にちらっと笑顔を向けると、周囲をぐるりと見回してから店の方向を指差して『あっちだよ。』と歩き出しました。
僕は浩佳ちゃんの後ろに着いて行きます。
お店はビルに入ったテナントのようで、ビルに入ってすぐの螺旋になった階段を昇った2階にありました。
店に入ると店員さんが人数や煙草を吸うかどうかを聞いてきて、浩佳ちゃんが答えていまして、そのまま店の奥の個室へと案内されました。
「取り敢えず……ビール?」
「あ……うん。」
正直、あまりビールは得意ではありません。
舌が子供なのでしょう。
あの苦味は何度口にしても美味しいとは思えないのです。
が、外食など殆どしない僕は、合コンの時もそうだったようにロクに注文の一つも出来ません。
浩佳ちゃんも合コンの時に『あまり呑めない』と言っていましたが、最初はビールなんですね。
続けて浩佳ちゃんはメニューを見ながら『これ美味しかったんだよ!』『これで友達は口の中火傷したんだw』とか言っていくつかの注文をしました。
僕にも選べとメニューを渡して来ますが、見てもよく分からなかったので『頼んだやつ食べ終わってから』と濁しておきました。
「じゃあ、どうぞ!」
運ばれて来たビアジョッキを掲げて浩佳ちゃんが声を掛けてきます。
「え?な、何?」
「乾杯の音頭だよ。」
「え?あ……えっと……そういうのやったこと無くて……」
「何でもいいんだよ。」
「えっと……じゃあ……」
『君の瞳に』と、安っぽいドラマでイケメンタレントが言いそうなフレーズが頭の中に浮かんで気持ち悪くなりました。
「えと……”一日ぶりの再会”に乾杯。」
「あはっ!面白ぉい!かんぱぁい!」
僕はジョッキに口を付けて一口、浩佳ちゃんは綺麗な喉を動かして二口三口と喉に流し込みました。
面白楽しい印象を与えるのは成功のようです。
「ふわぁ!美味しいっ!」
「美味しいね。」
ごめんなさい。
『嘘は必ずバレる』とか言いながら嘘吐いてます。
ビールが美味しいと感じた事はありません。
「私、ビールの味ってただ苦いだけでよく分からないんだけど、暑い日に飲む一杯目だけは何だか美味しく感じちゃうんだよね。」
「凄く分かる。」
ごめんなさい。
全く分かっていません。
「だから友達と呑む時は最初にビール飲んだら二杯目からはソフトドリンクになるんだ。」
「そうなんだ。」
暫く僕と浩佳ちゃんは他愛の無い話をしていました。
「そう言えば、昨日の合コンの時、カズくんに言い寄ってた人居たでしょ。」
約一名おられました。
インパクトの強い方が。
「あの人が私にカズくんの連絡先教えろってしつこいんだぁ。」
「え……」
「”知らないんです”って言っても”幼馴染なんだから知らないのは嘘だ”って言って聞かないのよね。まぁ、知ってるから嘘なんだけど。」
くすくすと笑いながら楽し気に言っていますが、僕は内心びくびくものです。
「教えた方がいい?」
「っ!?い、いや……教えないで……くれた方がいい……かな……」
「だよね。カズくん迷惑そうな顔してたもんね。」
「いっ!?バ、バレてた?」
「ふふふっ。カズくん、小さい頃から変わってないもん。あ~でも他の人には分からなかったかもね~。」
「……?」
浩佳ちゃんは少し妖し気な目で僕の顔を見ています。
他の人には分からないけど、浩佳ちゃんだけは僕の感情が顔に出ていたのが分かったということでしょうか。
それはマズいです。
だって僕は、浩佳ちゃんには僕の楽しい思い出だけ残して幼馴染という関係の自然消滅を考えているのですから。
非常にマズいです。
「今、カズくんが何考えてるのか当ててあげようか?」
「!!?」
背中に嫌な汗が流れているのが分かりますか?
ただでさえ見苦しい顔が引き攣っているのが分かりますか?
僕の顔を凝視する浩佳ちゃんの視線が痛いです。
「”浩佳と久し振りにゆっくり話が出来て嬉しい!”でしょ?」
真逆でした。
いや、嬉しいのには違いないですが、その部分だけバレているなら寧ろ成功です。
「あ……えっと……せ、正解……」
「ほらぁ!ね?私にはカズくんの感情なんかお見通しなんだからっ!」
また嘘を吐いてしまいました。
でも、世の中には『嘘も方便』という言葉もあります。
相手に不快感を与えない嘘であれば、閻魔大王も情状酌量してくれるでしょう。
「それでさ……」
浩佳ちゃんがテーブルの上に身を乗り出してきました。
少し真剣な顔になっています。
「な、何?」
「カズくんって……彼女居ないの?」
「へっ!?」
一目で分かると思うんですが。
こんな暗くてコミュ障でブサ面の男に彼女なんか居るわけありません。
僕が女性だとしても、こんな男には声すら掛けません。
「ほら、カズくんって確かに暗い印象あるんだけど、何て言うのかな……得体のしれない暗さじゃなくてクールな感じがして特定の人にはモテる気がするんだよね。」
昨日のそうでない方も似たような事を言っていましたね。
でも僕のことを『クール』だなんて言ったのはその方と浩佳ちゃんだけです。
生まれてこの方一度も言われたことはありません。
「小さい頃はそんなに思わなかったけど、大人になって改めて見ると、カズくんってクール系のイケメンだなぁって……」
「ふぁっ!?イ、イケメン?ぼ、僕が?」
「うん。言われない?」
「い、言われるわけないよ。」
「ふぅん。皆ちゃんと見てないんだね。」
浩佳ちゃんは2杯目のオレンジジュースのグラスを傾けて、口の中に氷を流し込んで氷をコロコロしながら、その可愛らしい目で僕を見ています。
僕はそんな浩佳ちゃんの目を見ることが出来ず、ふいっと顔を背けてしまいました。
「ふふっ。それで居るの?居ないの?」
「い、居るわけないでしょ……」
「ホントに?」
「ホントに……」
「ふぅん……そっかぁ……」
浩佳ちゃんの視線は僕を見据えたままです。
僕はほぼ横を向いたまま、ジョッキに残って冷たさが失われつつあった苦い液体を喉の奥に流し込みました。
「じゃぁあぁ……私が狙っちゃおうかなぁ……」
「え……」
酔っているのでしょうか?
アルコールは最初にビールを飲んだだけのような気もしますが。
「じょ、冗談だよ……ね?」
「本気……って言ったら?」
浩佳ちゃんの目が僕の記憶にある目と違って、可愛いのはそのままに、やたら色っぽさが加わっているように見えます。
長い沈黙が個室の時間を停めています。
「あれぇ?浩佳ちゃんじゃない。」
停まった時間が動き出したのは、個室の横を女性が通った時でした。
「え?
浩佳ちゃんが『宝生さん』と呼んだ人を見ると、その人は昨日の合コンに居た『美しい方』でした。
「あら?君は……昨日月待君が連れて来てた……確か和真君……だったっけ?」
「あ……はい……き、昨日は……どうも……」
宝生さんは浩佳ちゃんと僕の顔を交互に見ながら、何だか楽しそうな顔をしておられました。
「へぇ~、浩佳ちゃんやるじゃない。」
「ちっ違うんですっ!久し振りに会えたから懐かしくなって……その……」
「幼馴染って言ってたもんね。ふふっ……そうなんだ。」
宝生さんは美しい顔をニヨニヨさせて浩佳ちゃんを見ています。
浩佳ちゃんはさっきの色っぽかった目は完全に消えていてあたふたしているように見えます。
「ほ、宝生さんは……き、今日はどどどうされたんですか?」
必死で話題を自分から逸らせようとする浩佳ちゃんです。
可愛いです。
「私は高校の時の友達と呑みに来てただけよ。向こうの席で寂しく待ってるだろうからもう行くわね。」
「は、はい……」
「和真君。」
「ひゃいっ!?」
「浩佳ちゃんをよろしくね。」
「ほっ宝生さんっ!」
「じゃねっ♪」
そう言って宝生さんは自分たちの個室へと去って行かれました。
「はぁぁぁ……なんてタイミングだろうね……」
「浩佳ちゃんは……あの宝生さんって苦手なの?」
「ううん、その逆。頭が良くて凄く頼りがいがあって尊敬してる先輩よ。」
「そ、そうなんだ。」
「だから私もきちんとした姿しか見られたくなかったのになぁ……」
要するに、今の状況が『きちんとした姿じゃなかった』という事は、僕と同席している事が好ましくないという事ですから、つまりこういう機会はこれが最初で最後ということになります。
勿論、浩佳ちゃんと会えなくなるのは寂しいですが、当初の思惑通りに軌道修正出来そうなので安心しました。
が……
「よしっ!じゃあ”きちんとした姿”にしよう!」
「え?」
「カズくん。」
「はい?」
「さっきの話だけど、私は本気よ。」
「へ?」
「私は、カズくんの彼女になりたいです。」
「は?」
浩佳ちゃんが酔っているにしろ素面で居るにしろ、僕の思惑とは正反対の方向に時が流れ始めました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます