第36話~作戦開始の日曜日~
カーテンの隙間から差し込む日差しで目を覚ました
まだ
「よし」
他人にお膳立てされた事が少しだけ癪に障るが、今日は
鈴瀬があの会議室で語ったところによると、魔界への”門”を開くには大量の水が必要となるらしい。詳しい原理は分からないが、海外にあるという”門”を開く装置が無い為に、お昼寝商事が手元にある資材で代用した場合、水の持つ神秘性が必要になるのだとか。
もしも屋宮が説得に失敗した場合、お昼寝商事は施設を丸ごと人除けの結界の中に取り込む。人だけでなく、飼育されている水生生物も現実世界に残されるため、結界の中には空っぽの水槽ばかりになる。そこで”門”を開く儀式を行えば、現実世界には迷惑をかけることなく、真央を魔界に帰すことが出来るらしい。
もっとも、それは最終手段であり、屋宮としてはその手段を取ることなく場を収めるつもりだ。
出かけ支度を調え終わると、ちょうど鈴瀬との約束の時間になる。アパートの外に出ると、向かいの道路に黒塗りの車が停まっていた。
迷いなくその車の助手席の扉を開き、中へと潜り込む。
「おはようございます、屋宮さん。昨晩はよく眠れましたか?」
運転席に座る鈴瀬が、笑顔を振りまく。
「正直言って、緊張であんまり眠れなかったな」
「その割には、バッチリ決まってるじゃないですか。若いのに色気づいちゃって、本当にあの魔王の娘の事が好きなんですね」
茶化しながらエンジンをかけ、車は住宅街を走り出す。デートに行くための足に、他の女性の運転する車を使うなんて、状況が違えばとんだクズ男だなと自分の事ながら思う。
「真央は今日の事、なんて言ってました?」
「SNSアプリの通話機能で話したら、初めは随分怒ってましたけどね。黙って魔界への”門”を開けばいいものを、どうして余計な事をするのかって。それで私、ちょっとカチンと来ちゃって、説教してやりましたよ。自分から付き合っておいて、一方的に突き放された屋宮さんが可哀そうだ、最後ぐらいちゃんと別れを言ってから魔界に帰れってね」
屋宮は驚いて鈴瀬の顔を見る。にやにやと笑みを浮かべてはいるが、嘘や冗談を言っている様子ではない。
「よくあの真央にそんな事を言えましたね。怖くなかったんですか?」
「相手が目の前に居ないっていうのは、あったかもしれません。でも、屋宮さんが彼女の事を気遣う様子を見ていたら、何となく普通の女の子のような気がして、ついつい強気に出ちゃいました」
自分は大したことをしていないという様子で笑うが、鈴瀬は一度、真央に殺されている。立場としても、鈴瀬と真央は殺し合う間柄であり、しかも真央の方が圧倒的に力量が上だ。そんな相手に、まるで気の置けない後輩に対して恋愛の指導のような真似をしたという。
「……鈴瀬は始めは敵だったけど、今ではなんだかんだ言って、俺たちの味方してくれますよね」
「それは屋宮さんが歩み寄ってくれたからですよ。きっとお二人が私たちに徹底抗戦する気だったら、有無を言わせず屋宮さんを人質に真央さんに脅しをかけてました。それに、私だって人間ですから、多少は情に流される時だってあります」
「情って……別に鈴瀬から気に掛けてもらうような事、無いと思うんだけどなぁ」
何の気なしに言った言葉で、別に返答を求めるものでは無かったが、鈴瀬が口を噤んでしまい、会話が途切れてしまう。妙に居たたまれない空気の中、所在なく外を眺める。ここ先週は真夏を先取りしたかのような猛暑日が続いていたが、今日は打って変わって肌寒く、外を出歩く人々は長袖を着ていた。
「あの……屋宮さん。とても言いにくい事なんですけど、怒らずに聞いてもらえますか?」
普段はふざけた言動が目立つ鈴瀬が、身を正して神妙な表情で言う。思わず屋宮も背筋を伸ばしてしまう。
「ええっと、何でしょう?」
「私たちは悪魔からこの世界を守る事が仕事です。今回の事も、魔王の娘が人間界に及ぼす影響を考えれば、私たちの行為は仕方が無かった事です。けれども……その……私たちのせいでお二人には随分ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
鈴瀬から謝罪され、屋宮は言葉に詰まる。許す許さないの問題ではなく、お昼寝商事の人間が自分たちに対して罪悪感を感じていた事が驚きで、困惑してしまう。
「……だったら初めから俺たちに構うなよ。って言いたいところだけど、お前たちにも事情がある事は分かる。そんで、全部ひっくるめて丸く収める方法があるんだから、お互いにその道を選べるよう協力してくれればそれでいい……のかな?」
言ってから少しカッコつけすぎたかと恥ずかしさを覚えるが、鈴瀬は肩の荷が下りたように短く息を漏らす。
「ありがとうございます。それじゃあ、約束の時間に遅れないよう、飛ばしますよ!」
「あ、安全運転で頼みますよ!」
鈴瀬の運転する車はドライバーの気分に呼応するように速度を上げ、市の外れにある海沿いの水族館に向け進んでいった。
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