第33話~アルバイト先選びは慎重に~


 土御門つちみかどに見送られて、お昼寝商事のオフィスビルを後にした屋宮は、横岸よこぎし駅東口前のオフィス街を歩いていた。飲食店やアミューズメント施設が集まる西エリアしか用のない学生にとって、この辺りに足を踏み入れるのは初めての経験だった。


 世間は休日のはずの日曜日だというのに、ワイシャツ姿のサラリーマンの姿が目立つ。いつかは屋宮やみやもあんな大人に成らなければと考えると、自然とため息が漏れる。


 もしも結婚して子供が生まれ、家庭という守るものが出来れば、休みの日に仕事をしていても耐えられるのだろうか。今はまだ輪郭すらおぼろげな、人生設計という言葉が脳裏をよぎる。


 ふと真央まおの事を思い浮かべるが、きっと彼女とは世間一般がイメージする幸せな家庭を築く事は不可能だろう。


 いや、そもそも屋宮は真央から別れを切り出されていた。それが彼女の真意なのかどうかは分からないが、ふられたという事実に変わりはない。例えお昼寝商事の計画が上手くいき、真央が人間の世界に留まることが出来たとしても、寄りを戻すことが出来るとは限らない。


「はぁ、問題は山積みだな」


 お昼寝商事の連中が抱えている問題に比べれば大したことは無いのかもしれない。けれども、屋宮にとっては非常に大きな問題だ。


 諦めかけていた真央とせっかく付き合う事が出来たのに、悪魔だの魔界だのといった非常識な事情ですぐさま別れる事になってしまった。これは仮に屋宮から告白してふられた場合よりもたちが悪い。人は初めから望みが叶わない事よりも、一度手にした希望をすぐさま取り上げられる方が堪えるのだ。


 屋宮は携帯を取り出し、真央へ電話を掛ける。しばらくコール音が響いた後、留守番電話を知らせるメッセージが流れる。


 なんだか昨日も同じような事をして、同じように落ち込んだ気がする。お昼寝商事の連中の前では真央を説得すると豪語してしまったが、電話に出て貰えないのならどうコンタクトを取るべきだろうか。


 家に押しかける事ができれば良かったのだが、あいにく屋宮は真央の家を知らなかった。友人グループが形成されていた頃は、誰かの下宿先に集まる事は多々あったが、実家暮らしで駅が離れている真央の家は候補に挙がらなかったのだ。


 そもそも真央の家族とは一体何者なのだろう? 真央は魔王の娘なのだから、きっと父親は悪魔のはずだ。そうなると、母親は? いや、もしかすると母親が魔王の可能性もある。兄弟や姉妹は居るのだろうか? 思えば、真央から家族の話を聞いた事が無い。もしかすると、実家暮らしというのは真央の素性を詮索されないようにするためのカモフラージュで、実は一人暮らしという事もあり得るかもしれない。


 思考がとっ散らかりながら、屋宮は電車に乗り込み帰路につく。昨日は帰りにラーメン屋に寄っていたが、そう毎日外食ができるほど屋宮の財布は潤っていない。親からの仕送りだけに頼るのもそろそろ厳しいし、早くアルバイトを探さなければ。


「お昼寝商事の連中、雇ってくれたりしねぇかな」


 電車に揺られながら、取り留めも無くそんな事を思う。あの規模の設備と人員を確保しているのだ、金だけはありそうな印象を受ける。もしもアルバイトとして雇ってもらえたなら、良い条件で働けるのではないだろうか?


 いけないと思い、その考えを思考の外に捨てる。真央を引き留めるために協力する事にはなったが、まだ連中の事を完全に信用したわけではない。真央ほどの力があれば、連中の下についても好き勝手できるだろうが、非力な屋宮ならば何をやらされるか分かったものでは無い。そもそも、悪魔と戦う組織に入って、何かできる事があるとも思えなかった。


「……初めは無難にコンビニか居酒屋かなぁ」


 電車を降りて商店街を歩いていると、どうしても求人の広告が目に入る。大学が近くにあるのだから人手には困らないイメージだが、卒業後にはほぼ確実にアルバイトを止めてしまう分、常に新しい人員を補充しなければならないのだろう。


 商店街を抜け住宅街を少し歩いた後、屋宮は柳野やなぎの運動公園の前で足を止める。思えばお昼寝商事の関係者と初めて会ったのは、この公園で鈴瀬に襲われた事が始まりだった。


「……一応遠回りしていくか」


 もうお昼寝商事の連中に襲われる心配はないはずだ。けれど、この公園を帰りに通る気は失せていた。考えすぎかもしれないが、また何かあった時に路手みちて先輩のように助けてくれる人が居るとは限らない。昨夜の魔物のように、危険な存在がどこかに潜んでいるかもしれないし、土御門つちみかど曰く魔王の娘はもう一人居るらしい。


 真央と同じ魔王の娘。真央の姉妹という事になるのだろうか。もしもそうならば、お昼寝商事の連中は真央に妹か姉と戦わせようという事になる。


「……大丈夫かなあ」


 不安を覚えつつ、そもそも真央をお昼寝商事の使い魔になるよう説得するめども立たず、思わずため息が漏れる。


 自宅のアパートについた屋宮は、階段を昇った先で顔をしかめる。公共の通路エリアに吐しゃ物が撒き散らされていたのだ。


 予想はつく。隣の部屋に住む大学生だろう。一昨日も遅くまで騒いでいたが、昨夜も部屋で飲み会をしていたのだろう。今日の昼に屋宮が出かけた後、昼過ぎになって帰ろうとしたメンバーが撒き散らしたに違いない。


「はぁ……引っ越したい」


 屋宮は汚れた床をうまいこと避けつつ通り過ぎ、自分の部屋へと帰って行った。

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