第31話~地下病院と薬品の香り~


 屋宮やみやが目を覚ますと、そこは病院の個室のような部屋だった。簡素なベッドに最低限の調度品。ビジネスホテル以上に無骨な個室で、僅かに薬品の香りが漂う。点滴の台が置かれ、管は自分の腕に繋がっているところから、薬品の香りの正体はこれだろうか。不思議な事に窓は無く、妙に落ち着かない。


「あ、気づきました?」


 呼びかけられて声の方へ目線を移すと、そこには鈴瀬すずせの姿があった。破れたスーツは着替えたのだろう、まっさらな黒いジャケットにノリが効いたシャツを着ている。いつものダークスーツ姿だ。


「……ここは?」


「お昼寝商事の本社ビルに併設された病院です」


「会社に病院?」


「はい。悪魔の被害に遭った人や負傷した社員を治療する為の施設ですが、防衛の観点から地下にあるのでちょっと息苦しいですよね」


 悪魔との戦っている人たちの拠点なのだから、確かに医療施設があっても何も不思議ではない。地下にあれば防衛しやすいのかは知らないが、窓が無いというのも納得した。


「……真央まおは?」


 屋宮は体を起こして尋ねる。昨日ビジネスホテルで目を覚ました時と同様に、強い倦怠感を感じながらも、体は怪我をしている訳ではなく、痛みはない。


 鈴瀬はベッドの横に置かれた椅子に腰かけながら、読んでいたハードカバーの本に栞紐を通して閉じる。ブックカバーがかかっていてタイトルは見えないが、何かの小説のようだ。


「屋宮さんが倒れてから、現実の空間に戻ってすぐ姿を消しました。その時、一週間後の段取りが決まったら連絡が欲しいと、私とだけ連絡先を交換しました」


「また名刺か?」


「いえ、SNSを指定されました。あの名刺には位置情報を探知できる護符の機能も施されているので、警戒したのでしょう。笑っちゃいますよね、悪魔との戦いを生業にしている私が、悪魔とSNSで友達だなんて」


 しれっととんでもない事を言いだす鈴瀬に、思わず屋宮は苦笑する。昨夜のラーメン屋の帰りに、追手の追跡が妙にスムーズだと感じたが、そういうカラクリだったのか。つくづく魔法とは何でもアリだと呆れてしまう。


「それで、お前らは真央を魔界に帰らせるのか?」


「その件で今、本部の白夜機関と合同の会議を行っています。うちからは土御門つちみかどさんと芦屋あしやさんと、社長が出席してます。私は真央さんを魔界に送り返す事に反対してたので、厄介払いされちゃいました。テヘッ」


 童顔な美女とはいえ、スーツを着たいい大人がテヘッなどと今日日女子高生でも口走らないような事を言い、屋宮は薄ら寒さを覚える。


「前々から気になってたんだけど、その白夜機関ってのは何なんだ?」


「……お昼寝商事の上位組織です。世界中の魔と戦っている組織を統べている総本山で、ほとんどの国に支部を持っています。もともとはEU圏で吸血鬼狩りをしていた人々で、夜の存在が生きられない世界をという意味合いで白夜機関と名乗っていたみたいですね」


 語る鈴瀬の口調はどこか重く、目も泳いでいる。


「どうしたんだ?」


「……あんまり他の社員の前で白夜機関についての話題は振らないでくださいね。元々お昼寝商事は日本で妖怪退治をしていた退魔師の連合だったんですけど、色々あって頭を押さえつけられて、皆イヤイヤ従っているだけなので。特に芦屋さんや土御門さんは、本家の優秀な人達を海外に連れて行かれて、随分嫌ってるみたいですし」


「へぇ、正義の味方の組織だってのに、随分と横暴なんだな」


「……今でこそだいぶマシになったみたいですけど、昔は後ろ暗い事もずいぶんやってたみたいですし、基本的に信用しない方がいいです。まあ、私たちは上から指示があれば、基本的に従わなくちゃいけないんですけどね」


「なんというか、お前らも大変なんだな」


 屋宮は慰めの言葉をかける。もしもこれが漫画やアニメなら、社会の裏で悪魔と戦う為に、人類が協力している組織になる事だろう。けれども現実は組織間で力の差があり、弱い組織は虐げられ不満を募らせている。まるでヒロイックとは程遠い、生々しい話だ。


 そんな事を考えていると、病室の扉が開き疲れた様子の土御門と怒りの表情を浮かべた芦屋が入って来た。


「あ、お疲れ様です。……どうでした?」


「どうしたもこうしたもねぇ! 連中、魔界への扉を開く装置を日本に輸送できるのは一か月後だと抜かしやがる!! みだりなゲートの開閉は下級悪魔を人間界に招きかねないからって日本には配備しないとか言う癖に、いざ使わせろと言えば一か月後とか、ふざけるにも程がある!!」


「……だから私は初めから一か月時間が欲しいって言ったんです」


「てめぇもテメェだ! なんであの悪魔に譲歩して、できもしない一週間って約束しちまうんだよ!!」


「あそこでノーと言えば、私の首が吹っ飛んでましたよ」


「あの女が癇癪かんしゃくを起こせば、もっと大勢の人間がぶっ殺されるだろうよ。それを考えれば、お前一人の首ぐらい安いもんだろ!!」


 まるで真央が大量殺人をするかのような物言いに屋宮は少しムッとするが、何か言ったところで芦屋の機嫌を更に悪くするだけだと思い、黙って聞き流す。


「まあまあ……今は一週間で真央さんを魔界に送れる門を開く方法を考えましょうよ。簡易ゲートを開く方法はいくつかある訳ですし、応用すれば自前で大規模な門を開けるかもしれませんし」


「そのための研究の時間も資材もねぇ。おかみは現場で何とかしろの一点張り。挙句の果てには、魔界に送れないなら首を跳ねろと仰せだ。なら魔王の娘と張り合える退魔師を派遣しやがれ!!」


「……あの、鈴瀬さんに教えてもらった第三のプランはどうですか?」


 屋宮が口を挟むと、芦屋は鋭い眼光で睨みつける。


「テメェもあの女が戦う所を見ただろ! 俺たちじゃあ説得の余地がねぇ!!」


「当初は鈴瀬さんのプランでいく予定でしたが、あまり現実的ではないでしょうね。私たちもひどく嫌われてしまったようですし」


 嫌われたのは自業自得だろ。屋宮はそう言いたかったが、ぐっと堪える。


「交渉なら俺がやります。きっと真央は俺の話なら聞いてくれます」


「……俺らの前で盛大に振られてたヤツが良く言うぜ」


 痛い所を突かれたが屋宮は動じない。まだ真央との関係を修復できるはずだ。


「お願いします。真央がこの世界に残れるよう、協力させて……いや、協力してください」


 屋宮は頭を下げて助力を請う。元はと言えば、こいつらが手出しさえしてこなければ真央との関係は拗れることは無かったのだが、だからといって敵に回したままでは状況を打破する事はできない。プライドは傷つけられるが、真央がこの世界に留まる道があるのなら、自分の薄っぺらいプライドなんていくら傷ついたところで何ともない。


「ここは屋宮さんに賭けてみても良いと思いますよ。だって私たちじゃあ、真央さんの希望に沿う事は難しい訳ですし、ましてや撃破も不可能な訳ですし」


「まあ、最終手段として試してみるのはいいかもしれませんね。ギリギリまで魔王の娘を魔界に送る方法は模索し続けますが」


 鈴瀬と土御門が助け舟を出す。芦屋も話を聞いて、悩むような素振りを見せる。


「……仮に説得が上手くいっても、こっち側の承認が得られる保証はねぇぞ」


「まあまあ、そこは私たち三人で何とかしましょうよ。前例だってある訳ですし」


「前例ったって、もっと下級の悪魔の話だろ。魔王の娘だなんて……ああ、クソ! 分かったよ。俺様だって、問題を解決する一番手っ取り早い方法が、このガキにうまく説得してもらう事だってのは理解してる」


 芦屋は屋宮を指さして言った。


「お前、絶対にヘマするなよ!!」


「はい。必ず……」


 一息置いて一同を見回す。熱量の差こそあれ、三人が期待の眼差しで屋宮を見る。


「必ず真央をお昼寝商事所属の使い魔になるよう、説得して見せます」


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