第27話~なんとか橋落ちた~


「おい、何だ? 渋滞か?」


 芦屋あしやが周囲を見渡して声を上げる。周囲の車が次第に速度を落とし始めたのだから、そう考えたのだろう。


「……どの車もブレーキランプがついていません。慣性でゆっくりと走っている状態です」


「ああん? どういう事だ?」


「この辺り一帯が人除けの結界に飲まれたって事ですよ。ドライバーが忽然と消えたので、アクセルもブレーキも踏まれず、こんな奇妙な状態になってしまったんです。そして、残念な事に私は今、ブレーキを踏んでしまいました。上空から一台だけブレーキランプが点灯した車を見つけた悪魔は、その車に恋人が拉致されていると考えるでしょうね」


「……人除けの結界にしちゃあ、規模がでかすぎるだろ。水平線の先や青空まで再現されるなんざ、天文学的な量のマナが必要になる」


 芦屋が湾岸から海を眺めて言う。確かに、鈴瀬の人除けの結界はラーメン屋の店内だけだったし、魔物に襲われたときも商店街が丸々再現されていた程度だ。


「ええ。太陽もあるということは、太陽系は丸々存在しているでしょう。もしかすると、夜になれば銀河系の星々が見られるかもしれませんね」


「……文字通り天文学的な結界だって事か。そこまでする理由は?」


「我々に対する脅しでしょう。圧倒的な力の差を見せつけて、おまえ達には勝ち目はないぞと暗に伝えているのでしょうね。いやあ、実に魔王らしいじゃないですか。恐すぎてちびっちゃいそうですよ」


 土御門つちみかどは飄々と軽口を叩く。周囲の車は惰性を失い次第に動きが緩やかになり、そして止まる。あわせて、屋宮やみやたちが乗る車も停止した。


「さて、降りますよ。この中に居ても恰好の的ですからね」


 土御門のかけ声に応じて皆が車から降りる。つられて屋宮も扉を開けて外へと出る。


 むっとするような暑い空気。例年ならば、まだ過ごしやすい日が続く時期だが、どうやら今年は例外らしい。


「……来ましたね」


 土御門の声に、鈴瀬すずせと芦屋は緊張を走らせる。


 時を同じくして、光の矢が頭上より降り注ぐ。無数の矢は屋宮たちのいる地点の前方と後方を貫き、コンクリートの橋を破壊し尽くす。


 あまりの衝撃と轟音に屋宮はその場に伏せて目を被う。幸いな事に、一同が集まっていた地点は橋の支柱周辺であり、落下には巻き込まれずに済む。しかし、ドライバーの存在を失った車の群れは瓦礫とともに海面へと落ちていき、屋宮たちの居る場所まで届く水柱を無数に突き立てた。


 ここ数日で散々非日常的な事件に巻き込まれてきた屋宮だったが、これほど大規模な事象は今まで無かった。その威力は地震や台風といった自然災害に匹敵するもので、ただの人間からすれば命の危機を感じるものである。


 しかし、お昼寝商事の面々は肝が据わっているのか、周囲の惨状には目もくれず、上空より光の矢を放った対象を真っ直ぐに見据えていた。


 そこには太陽を背に翼を広げる女性の姿があった。宗教画で見るような天使の羽が漆黒に染まったその翼をはためかせつつ、ゆっくりと一同の元へと降りて来る。


「……橋を落とされて逃げ場はなし。先ほどの攻撃をこちらに向けられれば、全滅は必至でしょう。次の一手は白旗しか思いつかないのですが……ここはひとつ、芦屋さんお得意の土下座で許しを請うてみましょうか」


「俺様がいつも土下座してるみたいな事を言うな。それに、悪魔相手に俺たちが引けば、誰がアイツらの凶行を止められるんだ?」


「芦屋さんの言う通りです。お昼寝商事は世界の秩序を守るためなら、どんな手でも使う企業でしょう。それに、屋宮さんの身柄はこちらのあるのです。あまり無茶な事はしてこないと思います」


 黒いスーツに身を包んだ三人は、それぞれ内ポケットから武器を取り出す。いつ見ても、質量を無視した場所から物騒な得物が出て来る様は違和感しかないが、味方として悪魔に対峙している事には心強さを感じる。


 空から降りてきた悪魔は、被害を免れた白いバンの上に降り立つ。太陽を背に宙に浮いていた時には神々しさすら感じていたが、地上に降りその姿を見て屋宮は目を天にする。


 それは真央まおだった。いや、散々真央が悪魔なのだと言われ続けてきたのだから、そこに驚きはない。ただ、屋宮が反応したのはその恰好だった。


 普段ならば会うたびに新しいおしゃれなファッションで屋宮の前に姿を見せていた真央が、今日はピンク色のパジャマ姿だったのだ。化粧もしていない様子だが、もともとの顔立ちが良いのでそこに違和感はない。それでも、あまりにもベタ過ぎる格好で、しかも黒い翼が背にあるのだから余計に滑稽に映る。先の橋を落とした攻撃が無ければ、屋宮は噴き出していただろう。


「屋宮君は無事?」


 真央はダークスーツの大人三人に尋ねる。


「彼を傷つけて貴方の前に顔を見せる程、命知らずじゃありませんよ」


 土御門が飄々と答えるが、屋宮は心の中で嘘つけと突っ込む。散々追い回して、時には武器まで突きつけて、よくも平然と答えられたものだ。


「そう……よかった。もし屋宮君が死んでたりしたら、人間を根絶やしにしてるところだったわ」


 さらりと怖い事を言う。あの橋を落とした力を見れば、冗談ではない可能性もあり屋宮は背筋を凍らせる。


「それじゃあ、今回の件はここに居る三人で許してあげる」

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