第18話~彼女さんの悪魔の証明~


「それで、彼女さんの悪魔の証明はどうするの?」


 ラーメンを食べ終えた二人の周囲には、人の姿が戻っていた。人除けの結界を解除して元の次元に戻って来たのだ。


「……どうせお前ら、真央まおに危害を加えるつもりだろ? そんなヤツの誘いなんて乗らないさ。真央の秘密を暴くってのも気が引けるしな。あいつが自分から話を切り出すまで、俺は待てばいいだけだし」


「ふうん。随分とあの悪魔の事、愛してるんですね。それとも真面目なだけですか?」


「さあな。それで、お前の誘いを断った俺はここで殺されるのか?」


「そうですね……悪魔と眷属の契約を結ばないと誓うなら、少しの間は様子を見てもいいですけど……」


「ふん。周りにこれだけ人がいる状態じゃ殺しはできないってだけだろ。ところで、その契約ってのはどういう風にやるんだ? 真央に血でも吸われたら、俺は悪魔になっちまうのか?」


 冗談めかして聞くが、屋宮やみやとしては切実な事情があった。もしも契約を結ぶ条件が日常生活に即したものであれば、真央との交際の中で知らず知らずのうちに条件を満たしてしまう恐れがある。たとえば、条件が唾液の交換ならばキスはできないだろうし、体の一部を食するのであれば、真央の手料理に髪の毛が混在していた時点でアウトだろう。


 それまで余裕のある毅然とした態度をしていた鈴瀬すずせが、屋宮から目を逸らし言い淀む。


「ち、血のやり取りで仲間を増やすのは吸血鬼ぐらいよ。あのタイプの悪魔は……その……あ、愛し合う人同士でするアレよアレ!」


「……はっ?」


 鈴瀬の恥じらう様子からその内容に予測がつき、屋宮は頭を抱える。なるほど、真央が付き合う際に念を押して関係を持たないと釘をさした理由が察せられた。


「まったく、乙女に何を言わせるんですか」


「乙女って歳でもないだろ」


「なっ、女性に向かって歳の話はデリカシー無いんじゃないですか!? まあ、大学は出ているので、屋宮さんよりは年上だと思いますけど。っていうか、何で年上の私に向かって敬語使って無いんですか!?」


「大学って……はぁ」


 魔法やら悪魔やらの話の後で大学を出ているとか現実感のある話題が上がり、屋宮は急に気が抜ける。


 この鈴瀬というヤツは不思議な術で警察からも逃れる手合いだ。誘いを断ったとなれば、一体何を仕掛けて来るか分かったものでは無かった。しかし、どうやらこの場は見逃してくれるらしい。


「じゃあ、こんな所で油を売ってても仕方ないし、俺は帰らせてもらうぞ」


「ええ。私はデザートにもう一杯食べていきますので。気を付けて帰ってくださいね」


 もうツッコミを入れる気力も失せていた。ラーメンがデザートに入るかも議論の余地がありそうだが、一応敵視している相手に気を付けて帰れとは殊勝な心掛けじゃないか。


 屋宮が暖簾をくぐって外に出た時、店内から鈴瀬が呼び止める声が聞こえたかと思うと、慌ただしい足音が近づく。


「屋宮さん、これ忘れてますよ!」


 何事かと思い振り向くと、鈴瀬が家具の量販店の紙袋を手に下げて近寄って来た。真央に貰ったカーペットを席に置き忘れていたらしい。


「ああ、すまない」


 紙袋を受け取るとき、屋宮と鈴瀬の手が触れる。鈴瀬は咄嗟に手を引き、少し気まずそうな表情を浮かべ屋宮から視線を逸らす。案外、異性に慣れていないのかもしれない。


 今度こそ本当に帰ろうとした瞬間、屋宮は異変に気付いた。


 ラーメン屋の外の商店街は月明かりに照らされ、静寂が重く支配する世界だった。立ち並ぶ店舗はどこもシャッターが閉まり、街頭だけが不自然に灯っている。町を往く人の姿は見当たらず、ただ屋宮と鈴瀬だけが世界から取り残されたような寂しい風景。


 これが深夜の商店街なら話は分かる。しかし、今はまだ二十時を少し過ぎた頃合いだ。まだ居酒屋やバーなどのアルコールを提供する店は、これからが書き入れ時のはずだ。


「お前、またあの人払いする変な技使っただろ! 何を企んでるんだ!?」


「……違う。私じゃないわ」


 ラーメン屋の店内に残っていた鈴瀬も外に出て、周囲の様子を覗っている。店内からも再び人の姿が消え、今度は電気も消えている。


 鈴瀬が油断した屋宮を捕らえる為に、帰りがけを狙って襲ってくるものだと考えていたが、困惑する鈴瀬の様子から、屋宮は考えを改める。


「なあ、あの人除けの結界ってのは、お前の仲間は皆使えるもんなのか?」


芦屋あしやさんや土御門つちみかどさんみたいな古い退魔師の家系に連なる人なら大体使えると思います。だけど、お昼寝商事の一般戦闘員の人では扱えるのは少数派です。あとは、天使と直接契約した代行者か、上級の悪魔ぐらいだと思います」


 しれっと天使とかいろいろと気になる事を言っているが、今は悪魔が人除けの結界を使える事が問題だ。屋宮の脳裏に恋人の顔が浮かぶ。まさか真央が近くに居るのではないだろうか。


「……元の世界に戻るにはどうすれば良い? ってか、お前ならこの状況を何とかできるんじゃないのか?」


「人除けの結界は、敷いた存在が解除するか、その存在が生命素マナを失うまで中の人は出られないです」


 鈴瀬は刀を取り出し、周囲を警戒するようにゆっくりと歩みを進める。


「屋宮さんは私の側から絶対に離れないでください。もしかすると私の仲間かもしれませんが、悪魔の襲撃の可能性もあります」


「……俺の彼女の可能性もあるんだよな」


「その時は、屋宮さんを人質に取って私はその場を切り抜けます」


 堂々と本人に向けて人質に取ると宣言されるのもおかしな話だが、確かにこの結界に二人を閉じ込めたのが真央だった場合、屋宮には鈴瀬を庇う気が無かった。その点に置いて、鈴瀬の作戦は彼女自身の身を守るうえでは正しいだろう。


 しかし、もしも敵が別の存在だった場合、鈴瀬は屋宮の事を守ってくれるのだろうか。戦闘能力を一切持たない屋宮は、それだけが心配だった。

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