第11話~壁に耳あり障子に目あり~


 柳野やなぎの運動公園を抜け、大学を挟んで反対側に出た二人は、駅前の明富あかと商店街を歩いていた。


「……ふふ」


 照れ隠しから黙ってそっぽを向いていた真央まおが、唐突に笑い声を漏らして、屋宮はぎょっとする。


「な、何だよ」


「……何でもない」


 真央は髪をいじりながら誤魔化すが、屋宮やみやはピンとくるものがあった。


 ちょうど二人が通ったのは、真央が屋宮に告白した喫茶店、ノワールの前だったのだ。


 屋宮は思わず嬉しくなって、笑みがこぼれる。それは真央の所作が可愛らしいからだけではなく、真央が本気で自分の事が好きなのだと実感できたからだ。


「ふふ」


「何よ」


「いや、何でもない」


 ちょっとした仕返しのつもりで、屋宮は真央と同じように誤魔化す。すると真央は頬を膨らませて、屋宮の脇腹をグーで殴る。


「ちょ、お前」


「なんかムカつく」


 理不尽にも程がある。今日一日で、何回叩かれただろうか。どうして自分の彼女はこうも暴君なのだろう。


 すれ違う老婆が、微笑ましいものを見るような笑みを浮かべている。先程は公園でいちゃつくカップルを遠い存在に思っていたが、客観的に見ればこれも、見せつけているように思われるのだろうか。


 それはそれで、悪い気はしない。しかし、いい気になりすぎるのも良くないだろう。すれ違うのは地元の人間ばかりではなく、同じ大学の学生も居るからだ。


 休日でも講義はある。屋宮の所属する工学部も、一年次の後期からは土曜日に必修科目がねじ込まれるらしい。


 ゆえに、今この時間は午後一の講義が終わり、帰宅する学生の姿がちらほらと見受けられた。この中に屋宮や真央の友人が混じっている可能性はあるだろう。


 別に真央との交際を隠すつもりはない。しかし、それでもむやみに広まって欲しくはないものだ。ましてや屋宮と真央を差し置いて、スキャンダルのように友人たちの間で噂されると変な尾ひれが付きそうで、それが自分たちの耳に入った時には恥ずかしさで悶絶するのは安易に想像できた。


「きょろきょろしてどうしたのよ。週刊誌を警戒する芸能人みたいよ」


「いや、友達に見られたら嫌だなと思って……」


「一緒に歩いている女の子が私じゃ不満かしら?」


 真央は額に青筋を立てる。どうやら意味を取り違えて解釈したらしい。屋宮は慌てて誤解を解こうとする。


「まさか。真央と一緒に居て、鼻の下を伸ばさない男は居ないだろうよ」


「……すごくダサいけど、一応誉め言葉として受け取っておくわ。それじゃあ、何でそんな周りを気にするのよ」


「いや、周りにとやかく言われるのが嫌だなって思ってさ。変な噂されても困るだろ?」


「はあ? 何言ってんのよ? 他人の事なんて気にするなって、さっき言ってたじゃない」


 真央は肩をすくめて呆れた様子だ。確かにそれは屋宮が公園で言った言葉だった。


「ごめん」


「別に謝らなくていいわよ。だけど、自分の言葉には責任をもって向き合ってね。じゃないと、その言葉についていく私がバカみたいじゃない」


「……どういう意味だ?」


「さあね。そんな事より、もう駅よ。ほら、電車がもうすぐ来るみたいだから急ぐわよ」


 小走りに駅の改札へ向かう真央に合わせて、手を繋いだままの屋宮も急ぐ。二人の通う柳野大学の最寄り駅である、東明富駅ひがしあかとえきは大学近辺から外へ出る為の交通の要所だ。


 ICカードを通して駅のホームに入る。横岸駅よこぎしえき行きの電車が間もなくやってくる事を伝えるアナウンスが流れる頃には、二人は電車を待つ人々の列に並んでいた。


「ふう、余裕だったわね」


「昨日みたいに転ぶ心配がなくて安心だな」


「ちょっと! 忘れなさいよ!」


 昨日はこの駅前で別れたとき、真央は電車に乗り遅れまいと焦り、改札でつまづいていた。


 真央は勝ち気な性格だが、時には少し間抜けた一面を見せることがある。普段は事なかれ主義で比較的穏やかな性格の屋宮は、真央のそんな側面を見るとシンパシーを感じて思わず笑みが浮かんでしまう。


「何よその顔!」


「いや、真央って可愛いなと思って」


「ふーん、どこが可愛いか言ってみなさいよ」


 言葉通りの意味ではないと気づいている真央が、挑発するように言う。屋宮は怒られる事を覚悟の上で、正直に答える。


「たまに間抜けなところ」


「……靴紐の解けている屋宮君には言われても悔しくないわ」


 真央に指摘され、屋宮は自分の履いているスニーカーの靴紐がほどけている事に気づく。さっき駅に向かう途中で走った事が原因だろう。


 屋宮が屈んで靴紐を結ぶと、ツーンと鼻を突くような湿布の臭いがした。そういえば自分は足を怪我していたのだと、改めて認識する。


 しかし、公園や商店街を歩いている時には、その事実を意識する事は無かった。あまつさえ、駅を目前に駆け足になっても痛み一つ感じていない。湿布を貼る前はあんなに腫れていたというのにだ。


「もう! さっきまでニヤついてたかと思えば、急に深刻そうな顔して何なのよ! 表情筋の筋トレでもしてるの!?」


「なんで俺が表情を変えるだけで怒られなきゃいけないんだよ。いやまあ、足が大丈夫だなって思っただけで、悩んでるわけでも筋トレしてるわけでもないぞ」


「……湿布の性能が良かっただけでしょ。後で商品レビューでも書いてあげれば?」


 明らかにこの話題を嫌がる素振りの真央に、屋宮は追及しようとしたが、ちょうど横岸駅行きの急行列車が駅のホームに入り、そのタイミングを逸してしまった。




 

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