第10話~歩み寄りの昼下がり~
「もう! ほんと信じられない!!」
そんな柳野運動公園の歩道を歩きながら、真央は怒りの表情を浮かべていた。
「いやぁ、悪かったって。自分の部屋だとつい油断しちゃうっていうか……」
「だからって、レディーの前でいきなりズボンを脱ぎだすなんて馬鹿なの!? 自分の家だからって人が来てるんだから、着替えるなら先に言いなさいよ!!」
「うう……だからって叩く事はないだろ」
屋宮は平手打ちをくらった左頬をさする。髭を剃るときに洗面台の鏡でみた自分の顔には、あの繊細で綺麗な真央の手形ができていた。
「ふん! むしろビンタで済んで良かったわね。次やったら全身の関節外すわよ」
あのOLへの仕打ちを見るに、この言葉は冗談や比喩ではないのだろう。このビンタの剣もそうだが、真央の華奢なスタイルのどこからこの腕力は沸いて来るのだろうか。格闘技は完全に素人の屋宮には分からないが、何か力の使い方のテクニックでもあるのだろうか。
少なくとも、一般的には女性より男性の方が力は強い。その力関係がそのまま恋人との力関係になるカップルもいるようだが、少なくとも真央と屋宮にはその例は当てはまらない。
真央と付き合うにあたり、イニシアチブは間違いなく彼女側が握るだろうと考えていたが、まさしく予想通りになった。きっと屋宮は真央に逆らう事ができないだろう。
公園の東屋では、若いカップルが彼氏の膝の上に彼女を乗せた体勢でキスをしている。まるで周囲の目をはばからない様子に、子供も近くで遊んでいるというのに配慮の足らない連中だと心の中で悪態をつくが、極端な話、あんな感じの交際は真央とは不可能だろう。
もっとも、あのような関係性を真央と望んでいるかというと、そうではない。屋宮自身が恥ずかしいというのもあるが、真央の性格からして、あのような関係は好きでは無いだろう。
恋人関係とは相手が存在してこそ成り立つものだ。もちろん、自分が我慢しすぎるのは良くないが、自分の欲求を相手にぶつけ続けるのはもっと良くない。お互いに歩み寄りが重要なのだろう。
などと知ったような事を思い、屋宮は自虐的なため息を漏らす。自分にとって真央は初めての恋人なのだから、下手に打算的な浅知恵で行動しても、きっと空回りしてしまうに違いない。
そんな事を考えていると、並んで歩く真央が手を伸ばし、屋宮の手を握る。
「えっ?」
驚いて真央を見る。しかし、真央は空いた手で自身の髪の毛先をいじりながら、そっぽを向いていた。照れ隠しだろうか。
「……ごめん、あんなのはたぶん一生無理だから、これぐらいで我慢して頂戴」
どうやら気を使わせてしまったらしい。東屋の方を見ていた屋宮が、ああいう交際を望んでいると勘違いしたのだろう。きっとこれは、真央なりの歩み寄りだ。
もうズボンの件は怒っていない様子だ。屋宮は戦々恐々しながら、フォローを入れる。
「……別に真央が嫌なら無理する必要は無いぞ。ドラマや漫画みたいに、イチャイチャするのが交際の全てって訳でもないしさ。他人の事なんて気にしないで、俺たちはマイペースに付き合っていけばいいんじゃねぇの?」
真央が顔を赤らめながら、驚いた表情で屋宮を見る。
「な、なによ。急に真面目な事、言わないでよ!」
自分でも驚くほど、すらすらと本音を言ってしまったが、少しカッコつけすぎただろうか。なんとも微妙な空気が二人の間に流れる。
「ま、まあ、俺だって男だし、性欲が無いと言えばウソになる訳で……ま、真央がその気ならいつだってどこだって」
本音が数パーセントだけ入った冗談でその場をしのぐと、真央は顔を真っ赤にして手を離し、その手を丸めて屋宮の横腹を殴る。
「ああ、もう最悪! ほんとにバカ!!」
「な、何だよ、冗談だって……ちょ、痛いって!」
「分かってるわよ。だから怒ってんの! ありがと!!」
満足したのか殴る手を止めて、また屋宮の手を取る。各指を絡め、より手が密着する握り方。いわゆる恋人握りというヤツだ。
恋人との憧れのシチュエーションに思わずどぎまぎしてしまう。
「なあ、真央」
「ちょっとごめん、今は何も言わないで」
殴られたし機嫌を損ねてしまっただろうか。先ほどのズボン事件を含め、心当たりは雁首揃えてい並んでいる。いや、髪先をいじる癖がまだ続いているのを見ると、これも照れ隠しなのだろうか。
まったく、女性の心というものは訳が分からない。きっと自分は一生、打算的な浅知恵で空回りするのだろう。屋宮は再び自虐的なため息をついて、真央と手を繋いだまま黙って歩き続けた。
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