第5話~屋宮よ、死んでしまうとは情けない~


「それじゃあ、気を付けて帰るんだよ」


「はぁ、ありがとうございます」


 交番に連れて行かれた屋宮やみやは、簡単な調書を取られ解放となった。屋宮の住所と氏名などの個人情報、捕まった女性と面識の有無、襲われた心当たり。その後、閉園後の公園に忍び込んでいた事を軽く叱責され、取り調べは終わった。


(やっぱりおかしい)


 屋宮は警察に関する知識が圧倒的に少ない。今まで警察の厄介になる経験が無かったし、興味も無かったので調べた事も無い。


 それでも、ドラマや小説で得た知識では、殺人未遂の被害者をこうも簡単に解放するとは思えない。犯人は確保されているとはいえ、もっと詳細な取り調べを受けたり、被害届を提出したりするものでは無いのだろうか。


 しかし屋宮の知識はフィクションのものだ。現実の警察が「とっとと帰れ」と言うのだから、屋宮としては帰らざるおえない。


 それに、日本刀OLから逃げ惑った屋宮の身体はへとへとだった。夕食もまだ食べていないし、肝心のおかずも日本刀で真っ二つに切断され紛失していた。


「今から買いに戻るのもなぁ。そもそもコメを炊くのも面倒だし……もうカップ麺でいいか」


 たしか備蓄のカップ焼きそばが残っていたはずだ。屋宮は痛む足を引きずりながら、自宅に向けて歩き出す。こんな事になるなら、帰りに牛丼屋に寄ってから帰れば良かった。


 生暖かい風が吹く。もう春も終わりを迎える頃合いだ。近くに公園があるという事もあり、小気味よい虫の鳴き声が聞こえる。


 それにしても、いろいろな事があった一日だ。


 昼は普通に講義を受け、帰りに真央から告白され、その後はOLに危うく殺されかけ、同じ大学の先輩にその危機を救ってもらった。警察の厄介になったのも初めてだ。良い悪いに関係なく、今日一日で随分と濃密な体験をした。


「これが大学生活……って訳ないか」


 たまたま今日は運が悪っただけだ。いや、彼女が出来た事は良い事か。何はともあれ、トピックスの多すぎた一日もようやく終わる。家に帰った後はカップ焼きそばを食べて、シャワーを浴びたら寝るだけだ。


 そんな事を考えているうちに、木造二階建ての趣のあるアパートが見える。これが屋宮の住む下宿先だ。


 まだ半分近い部屋から光が漏れていた。明日は土曜日という事もあり、ほとんどの学生は休みのはずである。青春を謳歌する大学生の夜は長い。


 手すりを伝って階段を昇る。ケガをした足では、いつも上がり下がりをしているこの階段も堪えるものだ。


「あー、明日は病院に行った方がいいかなぁ。こんな足じゃあ、遊びに行っても真央に迷惑かけるだけだし」


 とりあえず部屋に戻ったら、真央に連絡を入れよう。流石の真央も足を怪我したと言えば、予定を改めてくれるはずだ。


 階段を昇りきり、手前から数えて二番目の扉の前に建つ。隣の部屋では学生が集まって宅のみでもしているのだろうか、随分と騒がしい。屋宮は少しムッとしつつも、屋宮自身も友人を部屋に招いてオールでゲームをしていた事もあった。お互い様だと自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。


 財布を取り出し、鍵を開ける。すっかり慣れた自分の部屋の香りが鼻孔を刺激する。


「ただいま」


 誰がいるわけでもないのだが、ついつい呟く。どうにも一人暮らしを始めてから独り言が多くなって嫌になる。


 隣の部屋への配慮として、扉をゆっくりと閉める。その瞬間、最悪な一日の最後のイベントが幕を開けた。


雨雲一文字あまくもいちもんじ幻斬まぼろしぎり


 バンと扉を打つ音と共に、背に痛みを感じる。同時に足の支えを失ったように、屋宮の身体が崩れる。


 初めは自分が転んだのだと考えた。慌てて起き上がろうとして、自身の身体に起こった異変に気が付く。手足を動かすことができないのだ。


 狭い玄関がペンキをぶちまけたように真っ赤に染まっている。更に自宅の扉が重機で引き裂いたかのようにバラバラにされている。


 解体された扉の向こうから、黒いビジネススーツ姿の女性が姿を現す。銀色に煌めく日本刀を携えて、屋宮の部屋へと足を踏み入れる。その相手を見まがうはずもない。ついさっき屋宮の命を狙って追いかけてきた、あのOLだ。


 一体どうして? 確かに警察はOLを捕まえたと言っていたのに。


「や、やっと捕らえました。警察を洗脳するのは職務規定違反ですが、私のスコアの為には仕方がありません。私が逃げるだけでなく対象の住所を聞き出すよう誘導できたのはファインプレーでした。さあ、傲慢の魔王に連なる悪魔よ、ここが年貢の納め時です!」


 逃げなくては。そう思って必死に起き上がろうとするが、手足が一切動かない。目の前に自身の両手両足があるというのに……。


 しかし、屋宮はようやく理解する。自分の手足が本来あるべき場所に無い事を。その切断面からは白い骨が垣間見え、赤い鮮血が流れている事を。そして、なぜ自分の身体が自由に動かないのかを。


 理解と共に痛みが襲う。屋宮は自身でも信じられないほどの声で悲鳴を上げる。


「あ、ご近所さんに迷惑なので、悲鳴はやめてください」


 OLが刀を振り下ろす。首が切断され、視界がぐるぐる宙を舞う。消えゆく意識の中で最後に聞こえたのは、隣の部屋でバカ騒ぎしている大学生たちの笑い声だった。

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