第3話~夜道は背後にご用心~


 スーパーで会計を済ませた屋宮やみやは再び自宅へ向けて歩き始めていた。時間は既に八時をまわり、次第に人影がまばらになっている。


「ちょっと近道していくか」


 屋宮は街道沿いから逸れ、柳野やなぎの運動公園に入る。芝生広場や運動場、武道場などもあるこの公園は、昼間は子供たちが元気に駆け回り、家族連れやカップルが思い思いに過ごす憩いの場であった。屋宮の住むアパートは、大学からこの柳野運動公園を挟んで反対側にあり、この公園を突っ切る形で帰宅するルートが直線距離となっていた。


 名目上は閉園が夜の八時という事になっており、入り口の駐車場にはチェーンで車の侵入を防ぐ簡易的な敷居が作られている。しかし人間には効果が無い。屋宮はルール違反だと知りつつも、たびたび閉園後に園内に侵入し、帰宅のルートに使わせてもらっていた。


 ウッドデッキや東屋のある池は水面が黒い闇に染まり、虫の鳴き声が辺りを満たす。閉園しているというのに、律儀に点いている街灯の光を頼りに、誰も居ない公園を行く。


 それにしても、明日はどうしたらよいのだろう。真央まおはエスコートは期待しないと言っていたが、わざわざ遠出するというのに、水族館以外がノープランという訳にもいかないだろう。せめて昼食を取る場所ぐらいは、小洒落た場所を考えておきたい。けれども、恋人どころか女子とのデートの経験が皆無の屋宮にとって、どんなお店がデートのランチに向いているのか想像できないでいた。


「ファストフードでも真央は文句言わなそうだけど、なんか味気ないしなぁ。下手に気合入った所は逆に嫌味言われそうだし……うーん、帰ったらちょっと調べてみるか」


 何の気なしに呟いた時、ふと公園に自分以外の足音がある事に気づく。しかも後ろからだ。


 何だか後をつけられているようで、嫌な感じがする。まさか幽霊という事は無いだろうが、閉園後の公園に忍び込むなんて、どうせろくな奴じゃない。屋宮は自分の事を棚に上げ、表情を曇らせつつ振り返る。


 少し離れた街灯の真下に、女の姿が見えた。顔は距離があってよく見えないが、黒いビジネススーツの女だ。どこかくたびれた様子で少し気味の悪いその女は、よく見ると先ほどのスーパーで目が合った相手のようにも思える。


 そして、その女があるものを握っている事に気づき、屋宮は全身が粟立つのを感じる。そして、その女が自分の後をつけてきた訳ではない事を祈りつつ、足早に公園の道を進む。


「何なんだよ、クソ」


 一瞬しか見ていなかったから、見間違いかもしれない。しかし、確かに街灯の光を反射させていたそれは、鞘から抜かれた日本刀のように見えた。


 おおよそ現代で実物を拝む機会はない、そのうえ会社帰りのOLにはあまりにも不釣り合いだ。やはり自分の見間違いではないだろうか。屋宮は女性の手元を確認しようと、再度振り向く。


 そこには両手で日本刀を掲げながら全力疾走で近づくOLの姿があった。


「うげぇ、ほんとに何なんだよ!」


 屋宮は慌てて駆け出した。信じがたいシチュエーションへの驚き以上に、命が危険に晒されている恐怖が上回り、足が震えながらも転ばぬように懸命に走る。


 心臓がバクバクと音を立てつつも、屋宮の思考は思いのほか冷静だった。確か、公園を抜けた先には交番があったはずだ。そこまで逃げきれれば何とかなるかもしれない。


「ま、待ってください! た、たぶん命は取らないので、止ってください!」


 背後から甘い女性の声がする。アニメ声という程ではないものの、随分と可愛らしい声だ。しかし、その声の持ち主は日本刀を掲げたOLという意味不明な存在で、とても足を止める気にはならない。


「う、うるせぇ」


 屋宮は持っていたコロッケ入りのビニール袋を背後に迫る女性に投げつける。女性は自分に投擲物が当たる寸前に日本刀を振り下ろし、中のコロッケをビニールの袋とプラスチックの容器ごと真っ二つに切断した。


(……本物かよ)


 模造刀という可能性を僅かに期待していたが、ここまではっきりとした切れ味のある現実を見せつけられ、屋宮は情けない叫び声を上げる。


「うわぁぁ! 何なんだよ、ちくしょう!」


「あ、あんまり大きな声出さないでください! 誰か来ちゃったらどうするんですか!」


 もう訳が分からない。なぜ自分に、日本刀を持った女に追いかけ回されるという不幸が訪れているのだろうか。彼女が出来るという幸運の揺り戻しにしては、随分と代償が大きすぎるのではないか。


 ぐにゃり、と右脚に違和感を感じる。すぐに痛みが襲い、崩れ落ちる様に転ぶ。どうやら足を挫いたらしい。


「はぁはぁ、手間かけさせないでください。私だって仕事終わりで疲れているんですから」


 OLがゆっくり近づいて刀を振り上げる。ああ、終わった。せっかく真央と付き合うことになったのに、デートすらできないまま死ぬのか。そう屋宮が覚悟を決めた時だった。


「お巡りさん! あれだよアレ。あそこで人が殺されそうになってるんだよ」


 目の前のOLとは違う女性の声が響く。それと同時に、ライトの光が屋宮とOLを照らす。この時、ようやく襲ってきたOLの容姿がはっきりと見て取れた。


 茶髪のショートカットで丸顔に愛嬌のある大きな瞳。口元にほくろがあり、スタイルは僅かに丸みを帯びている。美女というよりは、あどけなさの残る可愛らしい少女を思わせる魅力があるが、豊満な胸によりシャツがはち切れんばかりに膨らみ、目のやり場に困る。


 そんな女性が日本刀を掲げているのだから、アンバランスにもほどがあるだろう。彼女はライトに照らされ、驚愕の表情を浮かべる。


「うっそ、警察! 何で!? ああもう、あとちょっとだったのに!」


 OLは屋宮へ刀を振り下ろす事無く、走って逃げだす。


「待ちなさい!」


 二人組の警官が走って駆け付け、片方がOLを追う。そしてもう一人は屋宮の元にやって来て、声をかけて来る。


「大丈夫か?」


「えっと、はい。足を捻っただけです」


 若い男性の警官は安堵したようにため息をつく。


「とりあえず話を聞かせて貰いたいから、交番まで来てもらうよ。君、ちょっと彼を見ていてもらえるか?」


「はいよ、分かったよ」


 そう言って通報したと思わしき女性が警官の背後から姿を現した。それと同時に、警官は逃走したOLを追う様に、逃げていった方向へと駆け出して行った。

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