第40話 透明人間

 その身分の低さから、正式な側室として認められることの無いアムネリアは、宮廷では触れてはいけない存在として、透明人間のように扱われていた。

 

 ユリウスと言う跡継ぎを産んだ皇太子妃イザベラは、血筋の良さ、後ろ盾の強さから宮廷で確固たる地位を築いていたが、それを気に入らない対抗勢力や他国は、それぞれの思惑を背負った側室を送り込もうと虎視眈々と狙っていた。

 そんな人々から、アムネリアは単に皇太子のお遊びの相手、気まぐれと見られ、特に目の敵にされるようなことは無かったことが、せめてもの救いだった。


 とは言えど、透明人間は身近な者からも透明人間として扱われた。

 食事もろくに用意してもらえず、蔑ろにされる日々。 

 どんなに大切に思ってくれていても、エリウスが訪れることができる日は限られている。


 運命の恋も、実質は一人寂しく部屋で囲われる日々。


 でも、アムネリアは辛いとは思わなかった。布と針があればいくらでも楽しく過ごせるし、出来上がった頃にはエリウスも訪ねてくれる。

 それを美しく着こなしては、「最高だ」と喜んでくれる顔を見られるだけで嬉しかった。

 訪れた時は疲れて苦悩の色の濃いエリウスが、帰る頃にはふっくらと柔らかな笑顔を見せられるくらい回復していることが、何よりも幸せだったのだ。


「朝なんか来なければいいのに……」

 そう言って駄々をこねるエリウスが愛おしくて、アムネリアはキス攻めの目覚ましと化す。


「そんなにキスされたら、寝てなんかいられないよ」

 そう言ってアムネリアを布団へ押し付けたエリウスが、もう一度体をピタリと寄せてくる。


「離れたくない」

「私も。でも、今日はユリウス様をお馬に乗せて差し上げる約束をしているのでしょう。子どもとの約束を破ってはいけないわ」

「なんでそんなこと知っているんだい?」


 目を丸くするエリウスに、アムネリアは「私の魔力は千里耳せんりじ」と言って笑う。


「アムネリアには叶わないな」

 そう言いながらも、エリウスは今度は自分からアムネリアに唇を落とす。


 そこからは淡い靄がかり徐々にフェードアウトした映像になって行った……のだが、二人の熱い一時が伝わってくる。

 エリウスは己の体にアムネリアを刻み込むように抱きつくしてから、ようやく、しぶしぶと部屋を後にしたのだった。



 パタパタと赤い顔を仰いで誤魔化しているアムネリア。


『ちょっと調子に乗って見せ過ぎたわ』

 

 そう言ってレギウスの反応を気にしている。レギウスの方は沈黙を守っていた。

 ただ一人、違うところで反応しているリリア。


『凄い! アムネリアさんは千里耳の魔力もお持ちだったのですか?』

 素直な言葉に、アムネリアが救われたように笑いながら返す。


『そんなわけないでしょう。私はしがない針子娘。魔力なんて持っていないわ』

『でも、歌声はエリウス王を癒された。きっと癒しの魔力はお持ちだったと思います。それをレギウスも受け継いでいるんですよ』

『わぁ、そうだったの。嬉しい』


 アムネリアがまた少女のように無垢な笑みを浮かべる。


 本当に、可愛らしい方。


 思わずリリアの方が姉のような錯覚に陥ってしまう。


 レギウスのお母様なのに、私ったらなんてことを思っているのかしら。でも、とっても純粋な方で見ているだけでほうっとしてしまうのよね。エリウス王が惹かれた気持ち、分かるわぁ。


『私が乗馬の話を知っていたのには、こんなからくりがあるのよ』


 そう言って、アムネリアは新たな記憶を見せてくれた。


 

 どうしても時間を持て余してしまう時は、こっそりといつもの庭園へと向かうことが多かった。そんなある日、木の下でしょんぼりと膝を抱えて座っている男の子に出会う。

 ユリウス王子。当時はまだ三歳にもならない頃。


「どうされたのですか?」


 悲し気な表情に居てもたってもいられなくなって、アムネリアは声を掛けた。


「……」


 最初は警戒して真ん丸な目に涙をためたまま黙っていたユリウス。アムネリアの優しさに触れ、ポロリと本音が零れ出た。


「お父様とお母様が喧嘩ばかりしているのです」


 その言葉に、ハッと息を飲んだアムネリア。


 もしかして、私のことで皇太子妃様が傷つかれているのかもしれない……


 正式な側室では無いけれど、だからこそ、心中穏やかでは無いはず。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ところが、続くユリウスの言葉に、どうやら喧嘩の原因は別にあるらしいと気づく。


「ぼ……あ、わ、私は楽器が下手糞で、お母様がもっと凄い先生に来ていただこうと言って。そうしたら、お父様が反対して。お二人が大きな声で言い合いを始めてしまったんです。私のせいです。私のせいでお父様とお母様の仲が悪くなってしまいました」


 そう言って、堪え切れなくなったようにポロポロと涙を零し始めた。


 アムネリアはそうっとユリウスの頭を撫でると、その小さな手を取って励ました。


「いいえ。それは違いますよ。ユリウス様のお手はまだこんなに小さくていらっしゃいます。だから、まだ楽器に十分に手が届かないだけです。お父様は、ユリウス様が大きくなったら自然と上達することをご存じなのです。でも、お母様は、少しでも早くから良い音楽に触れていただきたいと思って、凄い先生にお願いしようとお考えなのでしょう。お父様もお母様も、ユリウス様のことを考えて、より良い方に決めようと話し合われていただけです。ついつい、声が大きくなっちゃったかもしれませんけれどね」


 そう言いながら、ユリウスの手を両の手で包みこむ。


「本当? 二人とも怒ってないの? 僕のせいで困ってないの?」


「ええ、怒っても困ってもいませんよ」

「ならいいんだけれど……」


 次期皇太子として立派に育てなければと言うプレッシャーに押しつぶされそうになっている皇太子妃と、自分のように窮屈な思いはさせたくないと考えているエリウス皇太子。

 二人のすれ違いが悲しいと、アムネリアも一緒に心を痛めたのだった。



『それから時々、ユリウス様とは庭で遊んでいたの。だから、乗馬の話も聞いていたのよ。明日お父様に乗せていただくんだって、すっごい嬉しそうに話してくれたから』


 アムネリアの言葉に、レギウスが「ふん」と鼻を鳴らした。


『あの人もこんな可愛い時があったんだな』

『ね。可愛いわよね』


 わざとツンツンした言い方をしてくる素直じゃないレギウスに、リリアは思わずクスリとした。


 そんな二人の会話を感じ取ったように微笑みながら、アムネリアがポツリと本音を零す。


『でもね、王子って大変だなって思ったの。食べる物も着る物も住むところも困らないけれど、いっぱい習い事させられて、いっぱい勉強させられて。自由に遊ぶ時間も無くて、周りから色々言われてばかり。私は子どもの頃、いつもお腹をすかせていたし、兄弟げんかしたり、お転婆して怒られたりもしていたけれど、案外楽しかったなって。思いっきり笑って怒って泣いて。そうできるだけで幸せなのかもって、思ったの』


『だから……母さんは俺を……』


 レギウスがそう言い掛けた時、また目の前の記憶が移り変わった。

 


  

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