第39話 運命の出会い

 アムネリアは、王都の近くにあるクラリタスという町の、ごく一般的な平民の家に生まれた。

 兄弟姉妹も多く早くに働きに出る必要があったので、読み書きと共に裁縫を学ばされたのだが、手先が器用だったアムネリアはアッと言う間に上達。元来の可愛い物、綺麗な物が大好きな性格が幸いして、洋服の意匠を工夫する能力も開花していく。

 周りの人に進められて受けた王都の針子試験にも見事合格し、念願の王宮勤務に就くことができたのだった。

 

 そんなアムネリアに転機が訪れた—――



 リリアの前に美しく手入れされた庭の光景が広がっていた。色とりどりの花が植えられていて、低木が少しばかりの日陰を作りさざめいている。


 その合間を踊るように歩きながら、美しい歌声を響かせているアムネリア。

 枝に小鳥が集まってくる。仲間の声と間違えているのかもしれない。首を傾げながらも共に歌い始めた。


 そんな小鳥にも笑顔を振りまきながら歩いていたアムネリアが、ふと立ち止まる。花壇の片隅からムクりと起き上がった姿に驚いたからだ。


 二人して、しばらく見つめ合った。


「綺麗な声だね。もう一度歌ってくれる?」


 風に揺れる金髪、湖面のように澄んだ碧眼。まるでお伽話の妖精の王みたい。

 それなのに……なんて懐っこい笑顔を見せる男性ひとなのかしら! 

 

 アムネリアの心臓がトクンと鳴った。


 目の前の青年こそ、当時はまだ皇太子だったエリウス王子であり、レギウスの父親となる人であった。


「は、はい!」


 緊張した面持ちでそう答えてから、深呼吸を一つ。

 アムネリアは先ほどとは違うもっと高音が踊る楽しい歌を披露した。


「ああ、なんだか気持ちが楽になったよ。君の歌には人を癒す力があるのかもしれないな。もっと聞かせて欲しい」

「はい。いくらでも」


 だが、次の歌は口から出る前に時間切れとなった。


「こんなところにいらしたのですか! エリウス皇太子様。皆があなた様を探していますよ」


 駆け寄って来た付き人数人に取り囲まれる。


「はあ。まったく人使いの荒い人たちだよ。私にはほんのちょっと休憩する間も与えてはくれないらしい。ねえ、君の名前は?」

「え、あの、アムネリアです」

「普段は何をしているの?」

「針子の仕事を」

「わかった。またね」


 そう言って去って行ったエリウスの残像を、アムネリアはずっと見つめ続けていた。


 ゾクゾクするほど美しいのに、温かくて優しそうな方。

 あの方が、エリウス皇太子様なのね。


 また会いたいと思った。けれど、それが難しいことはよくわかっている。

 一介の針子ごときが、王族と簡単に会えるはずがないのだから。


 今日は奇跡の日。エリウス様がお散歩逃亡の途中でおやすみされていたから会えただけのこと。

 そう自分に言い聞かせるけれど、また会いたいと言う気持ちが膨らんで来るのを止めることができなかった。


 私ったら。どうしちゃったのかしら?

 

 胸の奥がずっとふわふわして落ち着かない。こんなこと初めてのことでどうしたら良いのかわからなくなった。


 もう、忘れよう。でも、忘れられないわ……


 奇跡がまた起きることを信じて、アムネリアはその後もこっそり仕事を抜け出しては、あの庭園を訪れていた。



 奇跡は案外早く訪れた。今にも雨が降り出しそうな日。雲を見上げて今日も庭園へ行くかどうか逡巡したが、振り出す前に戻ればいいのだわと言い聞かせて飛び出して行った。針子部屋の先輩の呆れの混じった叱責に見送られながら。



 陽の光が無いと花は開く気を失うようで、庭園の色は少なかった。

 寂しくなって歌声も少し低くなる。


「もっと、聞かせて」


 その時背後から待ち人の声。心にぱっと花が咲いて、アムネリアは慌てて振り向いた。


 エリウス皇太子はあの日と変わらない笑顔を見せていた。


「やっと会いに来れた」

「え!」


 彼も会いたいと思ってくれていたんだ。そう気づいた途端、頬が熱を持つ。

 いきなりガシっと手首を掴まれて引っ張られた。


「まずい。見つかりそうだ。こっちこっち」


 そう言って案内されたのは、噴水の陰。どれほどの時間、水の演舞が続くのかはわからない。つかの間の障壁。

 時間を惜しむように、エリウスはアムネリアの顔を見つめてきた。


「この噴水、一曲分くらいは続くから歌ってくれないかな」

「はい」


 アムネリアの声はまた、高く舞い上がる。噴水の水音と混ざり合いながら、柔らかく包み込むようにエリウスに降り注ぐ。真っ直ぐに見つめながら聞き惚れていたエリウスが、歌の終わりと共にアムネリアを抱きしめた。


 いきなりのことに、体を固くするアムネリア。でも、嫌じゃ無かった。

 寧ろ嬉しくて、このまま時が止まればいいと思った。

 

「なぜだろう。君を見ていると本当に心の疲れが吹き飛ぶんだ。もっともっと君の声を聞いていたくて仕方が無い。歌って、僕のために」



『その時、私は初めて知ったの。一国の王になるべく生まれ出てしまった彼の孤独と重圧を。私なんかにできることはたかが知れていると思ったわ。でも、できることは何でもしてあげたいって思ったの』

 その時のことを思い出したようで、アムネリアの瞳に雫が光った。



 抱きしめられながら、アムネリアは決意を込めた明るい声で答える。


「私でお役にたてるのでしたら、いくらでも」


 噴水の水が途切れた。永遠に続いて欲しいと願った時間ももう終わり。

 全てを差し出したいと思っても、それは叶わぬこと。

 そう覚悟を決めた時、別の水が二人に降り注いで来た。


「雨……」


「雨だね。でも、これは恵みの雨だ」


 そう言ってエリウスが攫うようにアムネリアを抱き上げた。雨の中を走る。

 激しさを増した雨粒が、二人に滝のように降り注いできた。

 びしょ濡れになりながらも、アムネリアは寒く無かった。

 エリウスの体温が伝わってくるから。その鼓動の激しさも。己の鼓動の高揚感も。



 急な激しい雨に慌てて走り回っている人々の合間をすり抜けて、エリウスは己が部屋に辿り着いていた。

 いつも人目を気にして、王家の評判を気にして。

 思うように動けずにいた自分の大胆な行動に驚く。


 だが、生まれて初めての充足感を噛みしめていた———

 

 雨が味方してくれた。みんなの意識がほんの一瞬逸れた。

 そのほんの一瞬だけで良かったんだ。


 初めて掴んだ自由。

 初めて自分で求めた者。


 会ったばかりなのに鷲掴みにされた女性。それはずっと求め続けていた癒しだったから。


 誰になんと言われようと、彼女だけは我が物にしたい!

 手放したくない!


 エリウスはそう心に誓っていた。



 アムネリアの記憶を見ながら、リリアは不思議な気がしていた。

 普通、石の主の記憶は本人の記憶であって、周りの人の様子はあくまでも本人から見た姿として記憶されるに留まる。


 だが、今伝わってきたエリウス王子の気持ちは、アムネリアの単なる願望だったとは思えないくらいリアルにリリアの心に届いたのだった。


 それくらい、この二人は心を寄せ合い、互いを理解し合っていたと言うことなのかもしれないわね……

 


『それからの一年は今でもはっきり思い出せるくらい幸せだったわ』


 思い出すだけで幸せな気持ちを味わえるようで、目の前のアムネリアは初々しい様子で頬を染めている。


『エリウス様は私に専用の部屋をくださったの。針子の仕事はしないで良いからここに居て欲しいと言われて、私は正直に申し上げたわ。暇すぎて死にそうですって。そうしたら、綺麗な布と裁縫道具を届けてくださって、エリウス様の服を作って欲しいと言ってくれたの』


 一針一針、祈りを込めて縫い上げた服。

 少しでも、エリウス様の心を癒やせますように。エリウス様を守ってくれますように。


 そんなアムネリアの横顔は、この世で一番の幸せを噛みしめているようだった。

 

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