第36話 平凡な街の魔法石鑑定士
朝の光を感じて、リリアは目を開けた。
ぐっすりと眠ることができた充足感。良くは覚えていないのだが、夢の中で綺麗な女性の歌声をずっと聞いていた。それはとても温かくて、清らかな声。
いつまでも聞いていたかったなぁと思いつつ顔を傾ければ、直ぐ横でつっぷして寝ているレギウスの柔らかな銀の髪。
あ、あの女性も銀色の髪だったわ。
レギウスを起こさないように、そうっと起き上がろうとして、リリアは「ひっ」と叫び声を上げそうになった。自分の胸元に血がべったりとついている。その瞬間、昨日の出来事を思い出した。
そうだったわ。私、魔矢に打たれたんだった。
痛くて痛くて、薄れゆく意識の中で思ったんだわ。
レギウスを置いて行きたくないって。
そうしたら、あの歌声が聞こえて来て……
気づいたら、ここに居た。
運んでくれたのはレギウスで間違いない。きっと死にそうなくらい心配させてしまたんだろうな。「ごめんね」と小さく呟いた。
それにしても……私は死にそうになっていたはず。
でも今は、なんともない。一体どうやって助かったんだろう?
そこまで思って、「痛い」っと小さく叫んだ。
左の指先。この感覚は……また二十一歳の体に戻っているらしい。
でも、まだ誕生日までは一か月もある。なのにどうして?
そうか! 死にそうだったけれど二十一歳の体に戻ったから、死なずに済んだんだわ。良かった! この呪いもいいことあるじゃない。
いや、そんな単純な話じゃないわね。
私って、実は不死なの?
これから先、どうなっちゃうのかしら。
「ん? リリア、起きたの?」
その時、レギウスが眠そうに顔を上げた。そしてリリアの顔を見た途端、がばりと抱きしめて来た。
「良かった。本当に良かったよ」
心の底から安堵した声。震える声に、あの時彼がどれほどの絶望を感じたのかが伝わってくる。
「ごめんね。心配かけちゃった」
「リリアのせいじゃない。痛い思いをしたのはリリアだし」
「うん、痛かった。でも今はなんともない。あのね」
そこまで言い掛けたところで、レギウスの人差し指が唇を塞ぐ。
「今は、もういいんじゃない。兎に角、助かったんだから。良かったよ」
「うん、そうだね」
二人でもう一度抱きしめ合った。
生きている。その実感を肌で感じるために―――
「お腹すかない?」
「うふふ。死ぬ思いしたのにね。お腹すいちゃった」
「俺、朝食作るからさ、リリアは着替えて体を清めておいでよ」
「そうさせてもらうね。でも、着替えた方がいいのはレギウスもだよ。服が血だらけ。ねえ、もしかしてレギウスもケガしてない?」
「大丈夫だよ」
そう言いながら立ち上がったレギウス。手足をバタバタとさせて怪我をしていないアピールをする。安心したように頷いたリリアを、もう一度抱きしめた。
ほうっと息を吐くと、ようやく安心したように部屋を出て行った。
扉の外に出たレギウス。服の上から無色透明な魔法石をぎゅっと掴んだ。
「母さん、明日でいいかな。明日、リリアに話すよ」
そう言って目を閉じる。
「リリアを助けてくれてありがとう」
祈るように、もう一度そう呟いた。
「ねえ、今日はもうダラダラしようよ」
朝食を食べ終わると、レギウスがそう言ってリリアの肩を抱きしめる。
「そうね。アズライルムの鑑定で二人とも疲れているし。うん、今日はダラダラしよう。お店もお休み」
ソファに座って編み物を始めるリリア。それを邪魔するように膝に頭を乗せたレギウス。
くすくす笑いながら、糸をレギウスの鼻先で揺らすリリア。ふざけて噛みつこうとするレギウス。
じゃれ合うように過ごしながらも、肝心な話題には触れずに、時間が過ぎていく。
そんな緩やかな時間を邪魔する訪問者がいた。
ユリウス皇太子とエールリック総隊長だった。
レギウスは鍵を開けまいとしていたが、リリアがそれを制する。
「わざわざいらしてくださったのだから」
店へ入るなり、二人が深々とリリアへ頭を下げた。
「リリア嬢、申し訳ない。王宮のことに関わらせてしまったために、命を狙われることになってしまって」
そう言って頭を下げたユリウスへレギウスがつかつかと歩み寄った。
「そうさ、お前のせいだ。お前がリリアを引きずり込むから!」
そう言っていきなり頬に殴りかかる。ユリウスは逃げも避けもしなかった。
咄嗟に腕を掴んで遮ろうとしたエールリック総隊長を止めて、大人しく殴られたユリウス。
「レギウス、だめよ!」
慌てて駆けよるリリア。
流石に二発目は殴らずにレギウスも腕を下げた。
「レギウスったら、ユリウス様になんてことを。申し訳ございませんでした」
「別に良いのですよ。これくらい。貴方の痛みに比べたら」
そう言って口元を拭ったユリウス皇太子。
「あなたを狙った犯人は、治安警備隊と共に騎士隊を動員し捜索して追い詰めたのですが自害されてしまいました。結局、どこの誰の仕業と言う証拠は残されていません。ただ、使われた武器には、やはりウォルシェ国の魔力の形跡が残っていました。いずれ、かの国とは決着をつけなくてはいけなくなりそうです。ひとまずは犯人の死体は抑えましたのでご報告に来ました」
そう言って改めて頭を下げた。
「犯人が一人なわけないだろう。リリアがまだ生きているとわかれば、また狙ってくるかもしれない。護衛は何をしていたんだよ」
「すまない。リリア嬢が店にいない時間は、人数を減らしていたのが裏目に出てしまった」
「だからと言って、俺たちはこれからも監視され続けなきゃいけないのかよ」
「それは……だから、最初に申し上げたのです。宮廷にいらっしゃいませんかと。宮廷内の方が警護がしやすいので」
「……」
言い争う二人を、なす術もなく見つめていたリリアが口を開いた。
「私は……この店から離れる気は無いんです。ごめんなさい。ユリウス様にはご心配とご助力をいただいてしまい、申し訳ございません。でも、この店を離れたら私は私でなくなりそうで。ここで、平凡な街の魔法石鑑定士として過ごしたいんです」
「でも、安全が……」
いつもの軽い調子とは打って変って、真剣な表情で心配を口にするユリウスに、リリアは清々しい笑顔を向けた。
「今回の件が無くても、魔法石鑑定士の仕事は常に危険と隣り合わせです。それでも私が生き延びてこれたのは、レギウスのお陰です。レギウスがいれば、私は大丈夫」
リリアの笑みは自信に溢れ、流石のユリウスもそれ以上は何も言えなくなったようだった。
「これは……参りましたね。熱烈な愛の告白を拝聴してしまいました」
そう言って、ため息をついたユリウス。
「あ、そんなつもりでは」
真っ赤になったリリア。
嬉しそうにリリアに寄り添うレギウス。
「どうみても、あなた方二人の間に私が入り込む隙間は無いようですね」
そう言って、大げさに肩をすくめたユリウスは、レギウスに今まで見せたことのないような優しい視線を向けた。
「リリア嬢をよろしく頼むよ」
「言われなくても、これからはあんなへまはしない」
二人が帰った店内。レギウスが後ろからリリアの肩を抱く。
「リリア。ありがとう。こんな無力な俺を信じてくれて……」
「レギウス、どうしたの? レギウスは無力じゃないよ。凄いんだよ」
そう言って振り向いたリリアは、レギウスを優しい眼差しで見上げた。
「でもね、覚えていて欲しいの。私はレギウスが頼りになるから好きなんじゃ無くて、レギウスが好きなの。それから、最初に信じてくれたのは、レギウスだってことも」
「俺が先?」
「そうよ。レギウスが最初に私を信じてくれたのよ。だから、私は強くなれたの」
そう言いながら伸びあがる。続きはレギウスの唇を捉えて―——ありったけの感謝を伝えた。
無色透明な魔法石、ユーラティオン。
レギウスがその石の鑑定をリリアに依頼したのは、次の日のことだった。
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