帰途の出来事

第35話 魔矢

 リリアの魔法石店がある通りに馬車が差し掛かると、立ち並ぶ顔なじみの店からみんなが心配して出て来きてくれた。夕暮れ時の淡い光の中、馬車を遠巻にしてリリアとレギウスが降りて来るのを待っている。


 恥ずかしそうに戸惑っているリリアより一足先に降り立ったレギウスが、みんなに笑顔を見せると、安堵のどよめき。


 そこへ遅れて追いかけて来たエールリック総隊長がやって来て、みんなの輪が崩れた。


 レギウスが手を差し伸べて、そろそろと馬車から顔を出したリリア。


 だがその瞬間、ドスっという鈍い音が響いて、リリアの体が馬車の中へと押し戻された。


 咄嗟に、馬車へ飛び乗って扉を締めたレギウス。リリアを助け起こせば、みるみるうちにその胸に、真っ赤な血の花が開いていく。


「リ、リリアーーー!」

 レギウスの絶叫が響き渡った。


 慌てて胸に手を当て、必死で止血を試みる。一体何が起こったのかと胸元を見れば、十字の傷跡。


 これは……魔矢! 

 魔法の呪文がかけられた矢で、当たると霧散してしまう厄介な矢。だが、そこに込められた呪詛によって確実に体が蝕ばまれていく。

 ヴァンドール王国では、戦場の騎士にしか使用が許されていない強力な魔力兵器だった。


 どうすればいい?


 レギウスがリリアにあげたシンフリアンが砕け散っている。多分呪いを跳ね返そうとして力尽きたのだろう。それがなければ即死だったかもしれない。

 ひとまずほっとするが、油断はできない。残った呪いは徐々に広がってしまうのだから。レギウスはリリアからもらった自分のシンフリアンをとりだしてリリアの胸元に置く。その上から、必死で解毒の魔法を掛け続ける。

 その石もあっという間に弾け飛んだ。


 一旦は血の広がりが止まったように見えたが、それも一時的なもの。相当に強力な呪いがかけられているようで、レギウスの魔力ではこれ以上広がるのを食い止めるだけで精一杯。無効化まで持ち込む事が出来ない。


 騒然となって逃げ惑う人々を落ち着かせ、犯人の追跡を指示し終えたエールリック総隊長が、反対側の扉から顔を出した。

 急いで共に解呪魔法を唱え始めた。


 苦しそうに息をしているリリア。瞳がレギウスを見つめ続けている。

 何かを言おうと口を開きかけて、がふっと血が吐き出された。


「うそだろ。嫌だ。嫌だよ。リリア俺を置いていくな。頼む。俺を置いていくな」


 リリアの瞳からツーっと涙が零れ落ちた。


「ごめん。また守れなかった。俺は大切な人をいつだって守れない。こんな、なんでこんなに俺は無力なんだ」

 

 そう言いながら、必死で魔法を唱え続けるが、その効果はあっという間に失われていった。


「足りない、俺じゃ足りない。俺じゃだめだ」


 愛おし気にレギウスを見つめていたリリアの瞳から、徐々に光が薄れていく。

 力が抜けていく体を抱きしめて、その胸に顔を埋めたレギウス。


 祈るように呟いた。


「頼む、母さん。リリアを助けてくれ!」


 悲痛な祈りを繰り返す。


「頼む。母さん……」


 レギウスの胸元が一瞬キラリと煌めいた―――



 リリアの指先がぴくんと跳ねた。


 消えかけたリリアの命が、再びあるべきところに戻ってきたような微かな風圧。

 

 レギウスが「おっ」と言って顔をあげる。その胸に耳を当て直すと、表情がみるみる明るくなった。鼓動を確認できたのだ。


 微かだったその音が、リズミカルに響き出した。

 先ほどまで溢れ続けていた血もピタリと止まっている。


 一体何が起こったのかと驚いているエールリック総隊長に頷くと、レギウスはリリアを抱き上げて素早く店の中へと滑りこんだ。


 共に入ることを許したのは、エールリック総隊長ただ一人。


「レギウス殿、これは一体」


 リリアの顔色が戻っていく。先ほどまで青ざめて白くなっていた顔が嘘のように、血の気が戻っている。すやすやとただ眠っているようだった。


「リリアの命は助かりました」

「それは良かったが、信じられない。多分かなりの呪いを受けていると思うし、先ほどまでは血が溢れかえっていた。一旦息も止まったように見えたのに。今は出血も止まっているし息も穏やかだ」


「きっと、隊長のお陰だと思います」

「私の?」

「解呪の魔法を掛け続けてくださったでは無いですか」

「それは、一応戦いの場で色々な呪いを解いては来ているが、それでも今回はそんなに簡単に回復するような類のものではないと思っていたのだが」


「エールリック総隊長。もう大丈夫です。それよりも犯人の確保を。これ以上犠牲者が出ないように。安心してリリアが暮らせるように」


 その言葉に、エールリック総隊長は何かを悟ったようだった。数多の修羅場を潜り抜けて来ている彼は、この世には深く追求しない方が良いことがあると知っている。


 レギウスを真っ直ぐに見つめた後、静かな声で言う。


「私が解呪魔法でリリア様をお救いした。そう言うことでよろしいのですね?」

「はい」

「わかりました。ユリウス様にもそうご報告いたします」

「よろしくお願いします」


 深く頷いて敬礼をしたエールリック総隊長は、素早く店の外へと走り出て行った。犯人確保の指揮を執るために。



 レギウスは店の入り口に鍵をかけた。中が見えないようにカーテンを引く。


 そしてリリアを抱き上げると、ベッドへと運んでいった。



 血で汚れたドレスの胸元を開けば、何事も無かったような傷一つない胸元。その代わりに、左指先に出現した小さな切り傷。


「やっぱり……」


 レギウスは小さくそう呟いて納得すると、リリアに布団を掛けた。

 その横に腰を下ろして、自分の胸元から小さな革袋を取り出した。巾着絞りの紐を長くして、首に掛けられるようにしてあるだけの粗末な物。年月を感じさせる変色のせいで、黒く煤けている。


 中から取り出したのは、何の装飾も施されていない大粒な魔法石。

 

 無色透明の石―――


「やっぱり。母さんだったんだね」 


 石の声は聞こえない。リリアでないと聞けないのだから。


 ぎゅっと抱きしめると、泣き出した。


「母さん、ありがとう」




 


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