第32話 噂と言う凶器

『ねえ、レギウス、これって酷いよね。絶対にこのバルミーリエって先生理不尽なことばかり言っているよね?』

『きっと嫉妬だな』

『え! 嫉妬?』


 驚くリリアに、レギウスが解説する。


『アルガンにわざと余分な仕事をさせて研究時間が無くなるようにしたり、出来ていることもダメだと言い続けたりしているのは、アルガンの才能に嫉妬しているからだと思うんだ。本当は、アルガンは色々成功させているんだよ。でも、それを認めたくない。認めたらアルガンの方が出世してしまうからね。だから、バルミーリエ先生って人は、アルガンを潰したんだと思う』


『そんな、酷い!』

『ああ、だからアルガンは、自分を貶め続けた碧色の瞳を恐れているんだろうな』


『その恐怖を使って、この石に悪意を集めるようなことをして。なんて酷いことをする人がいるのかしら。待って、と言うことは、アルガンさんは今、物凄く怖いはずよね。こんなたくさんの悪意に取り巻かれて、きっと怯えているに違いないわ』


『そうかもしれないね。彼自身に悪意は無くて、呼び寄せる磁石みたいにされているだけなんだろうな』


『よーし、早速癒して……』


 リリアが息巻いて詠唱を始めようとした時、目の前の記憶の映像が違う場面を映し始めた。


『記憶が増えたわ』

『見てみよう。もしかしたら、アルガンさんがリリアに見せたいと思っているんじゃないかな』

『レギウス……だったら嬉しいわ』


 二人してアルガンに意識を集中させた。 




 失意のまま両親と共に畑の世話をしていたアルガンの元に、王都の治安警備隊コンセルフォートがやってきたのは、それから三年後のこと。


『あら? あの制服はウォルシェ国では無くてヴァンドール王国の物よ。この石の主はヴァンドール王国出身なのね』

『それがウォルシェ国に渡って悪用された。この石も数奇な運目を辿っているんだな』


 レギウスのため息が聞こえてきた。


 王都の治安警備隊コンセルフォートの要件は最後に作り出した心の臓の薬についてだった。

 アルガンは正直にバルミーリエ先生が全て処分されたと告げる。


 ところが警備隊の話では、そのバルミーリエ先生が薬を世に出し、王都では既に治療薬として広まっていたことを伝えてきた。


 そこまで聞いてようやく、アルガンはバルミーリエに全てを奪われたことに気づいたのだった。


 弟子の成果を師匠が盗む。


 実際にそう言う被害は聞いていたが、まさか自分の身に起こるとは思ってもみなかった。今更ながら、ふつふつと怒りが沸き上がってくる。アルガンの顔が怒りに歪んだ。


 だが、事態はそれだけに留まらなかった。


 アルガンの発明した薬は、当初多くの心の臓の病の人々を救ってバルミーリエは世間から感謝され称えられていた。ところが、この薬は容量を間違えると危険だった。大量に使用すると心臓を破裂させる凶器になると言う弱点を悪用されて、殺人の犠牲者が出てしまったのだ。


 途端に、バルミーリエは掌を返した。実はこれはアルガンと言う弟子が作った薬であると。師匠である自分の名前で広めた方が、信用が出るからと頼まれて引き受けたのだが、こんな風に悪用されるとは思っていなかったと、涙を流しながら釈明したのだった。

 

 人々は、どこの誰とも知らない人物アルガンよりも、目の前で涙を流している専門家バルミーリエの言うことを簡単に信じた。


「そんな……」


 絶句したアルガン。


「事情を聞きたいので王都まで同行してもらいたい」


 有無を言わせぬ気迫に、彼はあきらめて素直に付き従った。


 でも、アルガンはそれほど心配していなかった。


 王都で話を聞かれるだろうが、俺は別に悪い事はしていない。それに、元はと言えば薬を殺人に使った奴が悪いのであって俺のせいでは無い。直ぐに解放されるだろうと甘く考えていた。


 実際に、治安警備隊コンセルフォートの事情聴取はそれほど時間は掛からなかった。

 だが、情報屋はこの出来事をあることないこと織り交ぜて書き立てた。その方が、人々の関心を呼ぶからだ。


 そのせいで、王都の人々はアルガンのことを『毒を開発した男』と言う目で見てきた。誹謗中傷の嵐が降り注ぐ。


 加えて、アルガンのことをよく知りもしない人々が、さも見てきたかのように彼の人柄をオモシロ可笑しく言い立てる。数多の動物を犠牲にし、日夜怪し気な実験に明け暮れていたとか、師匠の言うことも聞かず勝手な行動ばかりしていたとか。

 嘘の噂話によるイメージが一人歩きしていく。

 

 膨大な悪意が、彼に降り注いだ。


 彼の真実に目を向けてくれる人は、誰もいなかった。



 数多の裏切りが、彼の心を蝕んでいった―――




『うーーー!』


『え! リリア、大丈夫!』


 リリアの呻きに、レギウスが驚いて声を掛けた。


『私は大丈夫。でも、悔しい。あの先生、懲らしめてやりたい!』

『あ、息巻いていただけか』


 ほっと安堵するレギウス。と同時に、リリアの優しさに思わず微笑んだ。厳しい鑑定作業中に、ふっと血が通う瞬間。これがリリアの良いところであり、鑑定士として優れているところだと誇らしくなる。


 リリアの思いが、アルガンに届きますように!


 そう祈らずにはいられなかった。 


『本当の悪党は、要領よく立ち回るからな。あんな先生に人生をめちゃくちゃにされたアルガンが本当に可哀想だな』


『もう、どうしてこうなってしまうのよ! 彼は病の人を助けるために一生懸命薬を開発しただけなのに。実際に役に立つお薬を作ることができて、助けられた人もたくさん居たはずなのに。なんでこんな勝手な噂話に追い詰められなきゃいけないの!』


『確かに、これは酷いね。でも、詳しいことを知らない人たちは、この薬が元で命を奪われた人がいると言う側面しか知らないから、この薬を作った人が悪いって短絡的に思ってしまうんだろうな。噂話を鵜呑みにしちゃいけないなって、俺もひやっとさせられたよ』

 

『そうよね……それなのに、今もまた、彼は多くの悪意に晒されているなんて……本当に可哀想』


 リリアが記憶の欠片に話しかけた。


『アルガンさん、辛いですね。その辛さ、少しでも私に温めさせていただけないでしょうか』


 静かに詠唱を始めた。


 イーラ トゥ ラ エルゼ

 フェーレ トゥ ラ シエラ

  

 レラーテ!


 

 ア……リガ……ト……ウ デモ モウ……テ……オクレ



 欠片から妙に間延びした歪んだ声が響いてきた。と同時に、全てを吹き飛ばすように風が防護壁シールドを跳ね飛ばした。


 リリアも、セレストもアレスも、アッと言う間に黒い渦の中に放り出される。


 ぐるんぐるんと巻き上げられて、今度は一気に急降下。

 

 体がもみくちゃにされて気が遠くなってくる。

 

 それでもリリアは、胸に欠片を抱きしめていた。


『大丈夫。大丈夫だよ。私は大丈夫だから心配しないで。アルガンさん、本当は私たちのために悪意の渦に耐えてくれていたんだね。ありがとう。でも、もう限界だった。後は私たち鑑定士が引き受けるからね。心配しないでね』


『リリア!』


 最後の力を振り絞るように、レギウスが糸を引く。


 ああ、レギウス、ありがとう……



 今回は無視しないって約束したもんね。レギウスだって、今この糸を引く力すら残っていないはずなのに、頑張って私を救い出そうと死力を尽くしてくれている。


 だったら、せめて、この記憶の欠片一つくらい。私の魔力全部使って癒してあげたい。


 リリアはもう、後先考えていなかった。


 己の全部を使って、欠片に癒しを注ぐ。


 抜け殻になっても私は大丈夫だから。

 絶対レギウスが救いだしてくれるから。


 信頼が力になる。


 その強い思いが欠片に伝わったようだった。









 

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