第26話 母親の直感
『ふふふ、そんな困惑した顔をなさらないで。あなたを害そうなんて気はさらさらないから安心してくださいな。これはただの私の願望。心の中でくらい、好きに思い描いたっていいんじゃないかしら。そうでしょう』
リリアはその言葉に、深く頷いた。
エレノアさんの言うことは正しいわ。でも、私はここへ、グレイスさんの気持ちを伝えに来た。だったら、率直に聞いてみよう。
覚悟を決めてエレノアと向き合う。
『あの……コソコソと記憶を覗くようなことしてごめんなさい。改めまして、私はリリア。魔法石鑑定士をしています』
『ええ、さっきそう言っていたわね』
『実は今のこの魔法石の持ち主、グレイスさんから依頼されてここに来ました。このハイルライトは、アンゲロス家では出産を助けてくれる守り神のように大切にされています。恐らく、あなたもその力を使って、アンゲロス伯爵家の女性たちを助けていらしたのではないですか。でもグレイスさんだけは流産を繰り返しています。それはなぜなのか教えたいただけたらと思いまして。それから、グレイスさんはお子さんを望んでいました。だから、石の主であるエレノアさんに、ご加護をいただけるようにお願いして欲しいと』
『グレイスさんね……わかっているわよ。だって、毎日私に語りかけて来ていたもの。私だって、できることなら助けてあげたいと思っていたわ。でも、無理なの』
『それは、どういう意味ですか?』
『だって、あの子は出産したら死んでしまうからよ』
『え!』
リリアは驚いてエレノアの顔を見つめる。
確かに、出産は命がけになる。体力が無かったり、体質的に出産が難しい女性はたくさんいるだろう。健康な人だって、様々なアクシデントに見舞われて危険になることは多い。でも、最初からダメだと言い切るには、きっと訳があるに違いない。
『それは……その、医術士たちが判断されている以外の理由があると言うことですか?』
『あなた、医術士が万能だと思っているの? 今の医療水準が最高レベルだとでも?』
『い、いえ』
エレノアは穏やかながらも毅然とした態度でリリアに語り始めた。
『医術士が気づけるような、わかりやすい変化は起こらないわ。でもね、妊娠が進むにつれて、彼女の体は確実に悪い方へ進んで命を落とすことになる。私のあの子のように』
『エレノアさんのあの子とは、娘さんのことですよね。出産で命を落とされた女性』
『そうよ』
『でも、あなたの記憶には、男の子を育てている記憶も交じっていました。だから混乱したんです』
申し訳け無さそうに俯いたリリアの気持ちが伝わったようだ。
エレノアの顔が急に優しくなった。
『あなたは優しい方ね。……わかりました。全てお話しますわ。私に実際に起こった事と私の個人的な願望。どちらも包み隠さずに』
そう言って両手を広げた。その手の中で、彼女の過去が走馬灯のように映し出されていった―――
月日は流れ成長したエレノアの息子は、アンゲロス家の家督を継ぐために必死で勉強していた。
そろそろ私も肩の荷が下せそうね。
そんなことを考えていたエレノアの耳へ、メイドたちの噂話が入ってくる。
テオドールが以前メイドに産ませた女の子を、今一番勢いに乗っているカーディナル商会の息子へ嫁がせるらしいから、その準備で忙しくなること。でも、ここのところ資金不足に陥っていたアンゲロス伯爵家も、これで一息つけるだろうと言い合っている。
その時のエレノアは小さく動揺するも、『ああ、旦那様も他の殿方と同じだったのだ』とあっさりと受け入れていた。
リリアとレギウスが生きる今のヴァンドール王国では、一夫一婦制が定められている。そこには、婚姻は男女個々人が対等な立場で交わす誓約であると書かれていた。
この決め事は、外戚の影響力を排除したいと思っていたエリウス王が積極的に進めて成立させたらしい。
ユリウス皇太子が、今も呑気に嫁探しをしていられるのも、この制度を盾にとっているからであった。
それまでの時代も、表向きは一夫一婦制だった。だが、財力のある男性は数人の愛人を持っていたし、貴族のように家系の存続を優先する者は、多くの女性に男児を産ませることに必死だった。それは時に下剋上を引き起こし、男の子を出産した愛人に正妻の座を奪われることもあった。
命の誕生と言う神聖な出来事が、人間の欲にまみれていく。
跡継ぎを産むことに固執し、跡継ぎを産んだ女性が出世していく。
そんな権力構造を作り出していた貴族制度。
だから、夫の浮気は暗黙の了解であり、相続権のある男児を出産した女性の方が高いステイタスを与えられることに、疑問の余地もなかった。
自分が男児を、メイドの女性が女児を産んだことで、アンゲロス伯爵家は波風立たずに済んだのだと安堵こそすれ、それを責める気持ちは微塵も無かったのだ。
そして、アンゲロス伯爵家の台所事情のために、見知らぬ商人へと嫁ぐことになった女の子の運命も、よくある話と割り切って聞いていた。
その娘の顔を見るまでは―――
婚儀の前日、エレノアはテオドールと共に、花嫁姿のシャルロットに祝いの言葉を述べていた。
この家から、正式にカーディナル商会へと嫁つがせるために。
その時、ちらりと見ただけのシャルロットの顔が、妙に印象に残っていた。
彼女が出立した後も、何度も何度も脳裏に蘇ってくる。
なぜだろう?
そう考えたエレノア。唐突に気づいた。
シャルロットの口元のほくろ。私と同じ位置にある……
そして記憶が蘇って来た。
出産の時、直ぐに赤子を見せてもらえなかったこと。体を清めるためと言いながらも、だいぶ時間がかかっていたこと。初対面の子は、生まれたての赤子よりも色が白くふっくらとしていたこと。
取り換えられたんだ!
メイドの子と私の子!
明確な根拠は無い。母親の直感とも言うべき感覚だった。
嫁ぐ日に初めて知ったシャルロットの誕生日は、息子と数日違い。誤魔化せるくらいの日数。
ふつふつと怒りが沸き上がって来た。
酷い! 狡い!
今回ばかりは我慢ができなかった。
母親から我が子を奪うなんて!
きっと夫は、メイドの子として男児を育てるよりも、貴族出身の私の子とする方が後々良いと判断したのだろう。伯爵家のことだけ考えれば間違った判断とは言えない。
でも、だからと言って許せることではなかった。
親心も、良心も捨てさった、なんて卑劣な仕打ち!
でも、同時に思ったのは―――
男児と女児の取り換え。
その悪企みのお陰で、自分は離縁されずにこの家に居られたのだと言う皮肉な事実。男児を産まなければと言うプレッシャーからも解放されたのだ。
夫であるテオドールへ、怒りを向け続けることは難しかった。
それに……あの時私が男の子を生んでいたら、そもそもこの悲劇は起きなかったのだから。
次にメイドの女性に思いを馳せた。
かの者は、この取り換え劇を知っているのだろうか?
それとも知らされないままなのだろうか?
今日見たシャルロットは、幸せそうだった。つまり、メイドの母親が愛情を注いで育ててくれたことは確か。
だったら……感謝こそすれ、その女性への憎しみは沸いて来なかった。
彼女も被害者なのだ。
理不尽を受け入れることに、慣れ切ってしまっていたエレノア。
結局怒りを自分の胸に収めることしかできなかった。
ただ……
我が子を育てられなかった後悔だけは、深く深く、彼女の心を抉り続けた。
ただただ、悲しかった。
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