第27話 命を懸ける覚悟

『こんなことって……酷い』


 言葉を詰まらせるリリア。


『酷い、確かにそうですよね。素直にそう言ってもらえて嬉しいです。そして、あなたがそう言えたということも』

『え?』


 真意が分らず困惑するリリアに、優しい眼差しを向けたエレノア。


『私たちの時代では、これを酷いと言うことすら出来なかったんですよ。何よりも家名の存続が優先でしたので。まあ、今もアンゲロスの家は、古い考え方が抜けていないようですがね。でもあなたは、酷いとはっきり言ってくれた。ちょっと嬉しかったです』


『あ、酷いことを酷いと言えることは、一歩前進なのですね』


『私は、自分で自分の娘を育てることができませんでした。それが、とても辛かったのです』


『それって、母親だったら当たり前に思うことですよね。ご自分の手で娘さんを育てたい、いつも一緒にいて守りたいって。それが叶わなかったから、心の中で娘さんを育てていたんですね』


『ええ』


『そして、自分と同じ思いをさせたくなくて、アンゲロス家の女性たちを守っていらっしゃる』


 その言葉に、エレノアは深く頷いた。


『それでも、敢えてグレイスさんの流産を止めなかったのは、グレイスさんの命を守るため。あなたの娘さんのように出産で命を落とすことが無いようにと』


『出産は女性にとって、とても負担の大きなことです。もちろん、可愛い赤ちゃんと過ごす毎日は幸せですけれど、己の命を犠牲にしてまでとは思いません。グレイスさんが周りのプレッシャーに追い詰められていることは分っています。だからこそ、もう一度よく考えて欲しいのです。己の命を懸ける覚悟があるのかと。己の人生を失っても、産みたいと思っているのかと。アンゲロス家の為では無くて、自分自身のために産みたいと思えるのかと』


『……わかりました』


 ふっとエレノアの顔が曇る。


『辛い伝言役をさせてしまいますね』

『いえ、それが魔法石鑑定士としての私の役目ですから』

『グレイスさんが周りの声に振り回されずに、ご自身の意思で赤ちゃんを産みたいと思えたなら……』


 その先は口にしなかった。


『エレノアさんの思い、しっかりとお伝えしますね』

『よろしくお願いします』 




 ハイルライトから帰還したリリア。ちょっと元気がない。

 レギウスが温かなハーブティーを持ってきてくれた。


「ありがとう」

 ソファに座って両手でカップを抱え込む。香りに顔を突っ込んでぽーっとしているのを見て、レギウスが元気づけるように話し出す。


「エレノアさん、きっとグレイスさん自身の気持ちを知りたいんだろうね」

「私もそう思うわ」

「家のためと思っているなら、グレイスさんの命を優先させる。赤ちゃんに会いたいと本気で思っているなら……赤ちゃんを助けるってことなのかな。いや、違うな。きっとそうなったら、グレイスさんも、赤ちゃんも両方助けるって思っているはず。きっと守ってくれるよ」

「……そう、だよね」


 いまいち歯切れの悪いリリア。


「まだ心配なことがあるの? そりゃ、グレイスさんに選択を迫るような話になるから、伝えるリリアは辛いと思うけど、そこから先は俺達には立ち入れないし」

「わかってる。レギウス、ありがとう」


 そう言って無理やり笑うと、とぷりとカップを傾けた。


「美味しい。あったまる」

「良かった」


「ねえ、レギウス」


 しばらく黙って飲み続けてから、レギウスの瞳を覗き込んだ。


「ん?」

 寄り添うレギウスが直ぐに答える。


「赤ちゃんが生まれてくるって、凄いことだね」

「だな。母親って凄いなって思ったよ。命をかけて産んでくれたんだなって。俺の母さんもそうだったのかなって思ったら、なんかすげえ、感謝の気持ちが沸き上がってきたって言うか……」

「やっぱり! 私も」


 あなたのご両親ってどんな人?


 喉元まで出かかったその質問をぐっと堪えて、リリアは宣言するように言う。


「折角、この世に生み出してもらえたんだから、楽しく、幸せに生きなきゃね」

「そうだな。でも俺はもう、充分幸せだよ。リリアに出会えたからね。それだけでいいんだ」

「レギウス……私もよ。私もレギウスに会えたから、もう幸せだわ」


 恋人たちは見つめ合うと、軽くキスを交わした。


「でもね、幸せが続くとついつい不安になっちゃうのよね。何か悪い事が起こるんじゃないかって」


 そんなリリアの頬を突きながら、レギウスがあっけらかんとした声で言う。


「そんなの当たり前だよ。人生は幸せな時もあれば、辛くて大変な時もある。交互に起こるから平等なんじゃないかな」

「えー、なんか若い癖して達観したこと言い出したわ。やっぱり本の虫は言うことが違うわね」


 リリアがそう言って茶化すと、レギウスは急に真面目な顔になった。


「でもさ、やっぱり、悲しみや苦しみよりも、ほんのちょっとだけ幸せが勝る人生がいいよな」


「そうね」と答えながら、リリアはふと、幼いレギウスが負った心の傷はとても深いのではないかと思った。


 だったら、一つでも多くの幸せな気持ちを届けたい。

 そんな決意を新たにしたのだった。 




 鑑定結果を聞きにきたグレイスに、リリアは包み隠さず真実を伝えた。そして、石の主がグレイスの覚悟を聞きたいと言っていることも。


 最初は驚きとショックで、声も出ないグレイスだったが、話の途中からは落ち着きを取り戻していった。そして、今までのただひたすらな焦りの中から、ゆっくりと己の位置へと戻ってきたように見えた。


「わかりました。鑑定ありがとうございました」


 そう言って帰っていく姿は、結論を急ぐのではなく、を手に入れた安堵感も纏っているようだった。


 

 しばらくして覚悟を決めたグレイス。

 その言葉をリリアはエレノアへ伝えた。



 

 アンゲロス伯爵家に待望の男児が誕生したのは、それから一年ほど後のこと。


 レギウスの予想通り、母子共に無事だった。


 エレノアのハイルライトは、力尽きて粉々に弾け飛んでしまったけれど―――

 


 でも、きっとエレノアさんは満足しているだろうとリリアは思った。


 だって、今度こそ大切なものを守りぬくことができたのだから。


 後にわかったことだが、グレイスはエレノアの娘、シャルロットの息子から続く血筋と繋がりがあった。それをエレノアが知っていたのか知らないままだったのか。今となっては確かめる術はない。でも、リリアは、きっとエレノアは母親の勘で気づいていたのではないかと思った。だからこそ、グレイスの命を守りたいと頑なだったのかもしれないと。



 粉々になったハイルライトの欠片は、グレイスが集めて再びネックレスとして作り直した。

 そして今も、アンゲロス伯爵家の宝として大切にしている。


「魔力のあるなしは関係ありません。ただ、感謝を伝えたいだけなのです」


 そう言って笑ったグレイスは、赤子を守る母の顔だった。


 そう、これは一年後の話。

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