第18話 好きな人
「イーサン、離して!」
店の前でメリルの声が響き渡る。レギウスが慌てて扉を開けると、真剣な表情のイーサンがメリルの手をがっしりと掴んで飛び込んで来た。
流行りの髪飾りを揺らしながら逃れようと藻掻いている小柄な女性は、明らかに普段と違う雰囲気を纏っている。
「メリル、そのシンフリアンは危険だと思う。ちゃんとリリアさんに鑑定してもらおう」
「危険なわけないでしょ。私とジラート様を繋いでくれた大切な魔法石なのよ。渡さないわ!」
「その言い方。メリルはそんな子じゃない。いつも明るくて可愛くて、俺の話をちゃんと聞いてくれて。そんなきつい言い方したり頭ごなしに反対したりなんかしないだろ」
「……」
指輪を外されまいと暴れていたメリルの動きが一瞬止まった。その隙に、リリアが二人の間に入る。
「メリルさん、こんばんわ。私はリリアと言います。今晩だけ、その魔法石をお借りできませんか? 私に鑑定させていただきたいんです」
静かに語り掛けながらメリルの指に手を伸ばす。魔法除けの手袋をしてそうっと彼女の指から指輪を引き抜いた。
はっとして意思が戻る瞳。
「ここは……イーサン、私一体何しているのかしら?」
「メリル! 良かった」
イーサンが喜び勇んでメリルを抱きしめた。
呪縛を解かれたように穏やかな笑みを浮かべるメリルを見て、リリアはこの魔法石がかなり危険な石だと覚悟を新たにしたのだった。
「それではお預かりしますね」
二人にそう言って送り出す。先ほどまでの騒ぎは嘘のように、帰りは仲睦まじく、静かに夜の街へと帰って行った。
「リリア、別に今から鑑定しなくても、明日の朝で大丈夫じゃないか」
「レギウス、眠いところごめんね。なんか気になって眠れそうにないのよ」
「俺だって……リリアがやる気なら、俺は構わないぜ」
揺れるランプの光の中、二人で向き合う。
いつもの手順通り、左手の小指には赤い糸。
「レギウス、私が囚われそうになったら、即座に引いてね。今回はちょっと自信が無いの」
「わかっているよ。大丈夫」
心強い援護の言葉を貰って、リリアはついにシンフリアンに手を伸ばした。
深く深く……ピンクの光はアッと言う間に輝きを失い、リリアは夜の街で震えていた。
ここは?
その時、足元でふわりと動く感触。
な、なに!
慌てて確認すると、白いやせ細った犬が倒れ込んできた。
犬、しかも子犬だわ!
手を伸ばそうとしたところで、背後から近づいてくる足音に気づく。
そうっとその場を離れて傍観者となった。
「おや、こんなところに子犬が。病気か? 死にそうじゃないか」
そう言って子犬を抱き上げたのは黒髪に白髪が混じる老齢の男性。質素だがきちっと整えた衣服に身を包み、胸元には円と三角形を組み合わせたような模様のネックレスを身に着けていた。
『あ!』
『何? レギウス何か気づいたの?』
『そのネックレスの模様。テラ教のシンボルだね。この男性はテラ教の信者。と言うことは、ここはウォルシェ国ってことだな』
『また異国の記憶なのね』
男は子犬を優しく抱きしめるとそのまま歩き出した。
流れてくるのは、ほっとした気持ち。
助かった、やっとご主人様に会えたと言う安堵感と喜び―――
これは……男性の気持ちでは無いわね。と言うことは、この子犬の気持ち!
今回のシンフリアンは子犬だったんだわ。
リリアの驚きがレギウスにも伝わったようだ。
『なんか、ちょっと信じられないな。あの強力な魔力がこの子犬のものだなんて』
『とりあえず、後を追ってみるね』
『ああ、気をつけて』
子犬を家に連れて帰った男性は、とても大切に子犬の世話をしてくれた。弱った体に一滴ずつ水分を流し込んでくれたり、優しく体を拭いて温かい布でくるんでくれたり。元気になるまで傍で寝ながら様子を気にかけてくれた。
子犬はそんなご主人様が大好きになった。
男性の名前はオーランドで靴職人。自宅の一室でコツコツと作り上げては、時々町へ売りに行って生計をたてていた。家族は他におらず、壁に掛けられた古い写真には奥さんと娘さんらしき姿。時折それを眺めては涙を浮かべている。
「お前に名前をつけてやらないとな。何がいいかな……そうだ、アウラにしよう。娘の名前ラウラと一文字違い。姉妹のようでいいだろう」
アウラになった子犬は、オーランドの娘になれたと嬉しかった。
体力を回復したアウラは、仕事をしているオーランドの周りで飛び跳ねたり転げまわったりじゃれついたり。それを嬉しそうに眺めるオーランドは、毎朝一緒に散歩に出かけて、たくさん語り掛けてくれた。
「アウラ、私は流行り病で妻も娘も亡くしてしまったんだ。その後はずっと一人で生きてきたんだが、お前と会えて良かったよ。残りの人生がこんなに幸せで穏やか気持ちで過ごせるなんて。ジラート様のお陰だな」
そう言って、胸にかけたネックレスに祈りを捧げる。
散歩コースにある教会にも必ず立ち寄って祈りを捧げていた。
だから毎日、アウラは静かに祈るオーランドの横顔を見つめていたのだった。
月日が流れて―――
アウラの成長とは反対に、オーランドはどんどん体が弱っていった。特に心臓の音が乱れるようになり、毎朝の散歩も行かれなくなってしまった。アウラは役に立ちたいと思っても、料理もできなければおしゃべりすることもできない。
ただ、傍にいて見つめていることしかできない自分を不甲斐なく思っていた。
そんなアウラに、オーランドは変わらぬ愛情を注いでくれた。
優しい眼差し、背を撫でる優しい手。どちらもアウラの大好きな物。
「アウラ、お前がいてくれて本当に良かった。でも、もうそろそろ私もジラート様の身元へ行く時が来たようだな。お前を置いていってしまうのは心残りだが、どうかまた、良い人に巡り会えますように」
そう言ってアウラのために祈りを捧げている。
クゥンと悲し気に訴えかければ、オーランドは穏やかな笑みを浮かべた。
「心配してくれているんだね。アウラ、ありがとう。でも、私は嬉しいんだよ。ようやく妻にも娘のラウラにも会える。辛くても悲しくても、真面目に生きていればジラート様の身元へ行けるんだから。二人ともそこで待っていてくれるからね」
衰弱しきったオーランドは、その後静かに息を引き取った。
アウラは何度もオーランドの顔を舐めた。もう一度笑って欲しかった。
もう一度そのゴツゴツと骨ばった指先で優しく撫でてもらいたかった。
だが、オーランドは二度と目を開けることは無かった。
その時、オーランドの胸元のネックレスがアウラの目に写り込む。
そっか、祈ればいいんだ。ジラート様に。
早く私もオーランドの、パパの傍に行かれますようにって。今度こそ、ずっと一緒にいられますようにって。
そうして、傍に居続けたアウラも衰弱していく。
でも、幸せだった。
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