第3話 帆夏ちゃんの秘密

 そして今日。無事にライブを終わらせた帆夏ちゃんは、最後まで私たちファンに手を振りながら帰った。

 帆夏ちゃんは相変わらず楽しそうにライブをしていて、私はそんな姿に元気をもらっている。しかし、私が初めて帆夏ちゃんを知ってから一ヶ月経つが、ファンの数は最初の十数人から伸びていない。


 私は今さら、路上ライブでファンを獲得することの難しさを痛感していた。

 新宿の街を歩く人々の群れには波がある。その波に逆らってまで足を止めて路上ライブを観ようとする人は、意外と少ないのだ。私が帆夏ちゃんを見つけた時のように、何かピンとくるものが無ければ人の足は止まらない。


 それに、当たり前だが、路上ライブをするには少なからずコストがかかる。帆夏ちゃんの場合は、音源を流すアンプの代金や衣装代など。衣装は七着あって曜日ごとにローテーションするので、その衣装を製作するのにそこそこの費用が掛かったはず。

 それに、帆夏ちゃんが何を動力源にして動いているのかは分からないけど、恐らく充電して動いているので、電気代も相当かかるだろう。


 私は毎日千円を渡しているのだが、いくら金銭面の手助けばかりしても、ファンが増えないことには武道館ライブという夢に近づかない。新規のファンを獲得する必要がある。

 最近の私は、帆夏ちゃんの明るい歌声を聴きながら悶々とすることが増えた。

 そして私以外のファンの人も、恐らく同じことを考えている。

 

 そんなある日。ファンの一人である竹内さんが「盛れるカメラアプリがある」と言って、私に写真を見せてきた。竹内さんは、現役バリバリの女子高生ギャルだ。流行に敏感で、どうすれば可愛い写真が撮れるのかを日々研究している。とにかく可愛いものに目がなく、帆夏ちゃんにハマった理由も、「シンプルに可愛いから」と言っていた。

「ちょっと前にさ、地下アイドルの写真が『一万年に一人の逸材』って言われてツイッターでバズったじゃん? 帆夏ちゃん可愛いし、アタシが可愛く撮ってあげたら、めっちゃバズると思うんだー」

 竹内さんは得意げに語る。そして、ライブの準備をしている帆夏ちゃんを熱心に撮り始めた。


 そんな竹内さんの様子を見た帆夏ちゃんは「その目隠し、何?」と強い興味を示した。帆夏ちゃんには、スマホが人の目を隠す道具のように見えるらしい。

「これはねえ、スマホっていうんだよー。スマホにはいろんな機能があるけど、最近のスマホは写真が超キレイに撮れるんだ。しかも、撮った写真をアプリで盛れば、もっと可愛くなるの! 元から可愛い帆夏ちゃんが、もっと可愛くなっちゃうんだー」

 竹内さんは今撮った写真をさっそくアプリで加工して、それを帆夏ちゃんに見せながら熱心に説明した。

「そうなんだ。私にはよく分からないかな」

 帆夏ちゃんの反応は意外と薄かった。しかし、すぐにアイドルの表情を作って「私のライブ、楽しんでいってね!」と微笑み、いつも通りのステージを始めた。


 結局竹内さんは、ライブ中、ずっとスマホで写真を撮っていた。

 帆夏ちゃんはスマホに対して緊張したのか——そもそもAIに「緊張」なんていう概念が存在するのか分からないが——スマホを構える竹内さんの方を一度も見ることなく、ライブを終えた。


 次の日。いつもは十人弱しかいない観客の人数が、なんと二十人以上に増えた。

 なぜだろうと思っていると、ほくほく顔の竹内さんが話しかけてきた。

「いやー、昨日の写真をインスタにアップしたらさー、自己ベストの150いいね!もらったんだよー! 今プチバズり中!」

「ああ、それで今日は、ライブが始まる前からこんなに人がいるんだね」

「かもしれないねー! だってほら、みんなスマホで帆夏ちゃん撮ってるし」

 見渡してみると、たしかに今日初めて見る顔の人は全員スマホを構えていた。帆夏ちゃんはライブ前の準備をしているだけなのだが、シャッター音が鳴り止まない。

「今日は十人くらい増えたし、まだ少ないけど、この調子でもっとお客さんが増えたらいいなー!」

「そうだね。竹内さん、ありがとう」

 竹内さんはニコニコしながら、今日も帆夏ちゃんの写真を撮るためにスマホにかじり付いた。


 それから軽快なEDMが流れ出して、帆夏ちゃんはマイクを握った。

「みんなー! 楽しんでるー?」

 帆夏ちゃんはマイクを私たちの方に向ける。

「イェーイ!」

 最前列の私がオレンジ色のペンライトを振って反応すると、帆夏ちゃんは微笑んだ。


 ——この帆夏ちゃんの笑顔が、もっといろんな人に届いたらいいのにな。


 私の一歩後ろにいる竹内さんたちからのレスポンスは無かったが、帆夏ちゃんは構わずライブを進めた。

 

 その後、ファンの数は日に日に増えていった。

 やはり、竹内さんたちがSNSに投稿した写真の影響が大きかったらしい。SNSで話題になっている帆夏ちゃんを一目見ようと、多くの人がスマホを構えて押し寄せるようになったのだ。

 しかし、新宿の路上で一か所に百人以上の人が集まるのは、もはや軽い騒動である。駅の東口には交番があるため、帆夏ちゃんがライブをやろうとすると、すぐに警察が駆けつけてライブが中断された。東口だけでなく西口や南口でも同様の事態になった。

 帆夏ちゃんはこれまでと変わらずにライブをしている。AIなので、その日のコンディションが気持ちによって左右されることはないはずだが、心なしか最近は元気が無いように見えた。

 離れたところで帆夏ちゃんを見守っていたヒロシさんは、最近は帆夏ちゃんのほぼ真横に立ち、お客さんの様子を厳しい目で見張るようになった。


 そんなある日のこと、事件は起きた。

 今日も百人超えのお客さんが集まり、いつも通りライブを始めた帆夏ちゃん。

「みんなー! 楽しんでるー?」

 レスポンスを求める帆夏ちゃんの声に、百人超えのお客さんたちはスマホのシャッター音で反応した。

 帆夏ちゃんは首を傾げて言った。

「あれー? お客さんがほとんどいないなー!」

 帆夏ちゃんが何を言っているのか分からない。竹内さんたちのおかげで、最前列の私の後ろには百人を超えるファンがいるのに。

「私の邪魔は、しちゃいけないなー!」

 帆夏ちゃんは俯きながら、明らかにいつもと違う様子で言った。

「帆夏、ちゃん? 大丈夫?」私は最前列から呼びかける。

「まずい、不具合だ! 離れて——」ヒロシさんが大きな声で言う。

 ヒロシさんが言い終わるより先に、帆夏ちゃんは前傾姿勢になり、タタタッと走り出した。その先には、スマホを構えた竹内さんがいる。

 ——危ない!

 帆夏ちゃんは竹内さんの懐に忍び込むと、手刀でスマホを叩き割った。

「ひっ!」竹内さんの怯える声が響いた。

 私は何が起こったのか理解できず、スマホがバラバラになるのを呆然と見ていた。

 周りのファンたちは、ざわめきながらもスマホを竹内さんの方に向け、帆夏ちゃんの様子を撮っていた。

 しかし、そのざわめきは一瞬で阿鼻叫喚に変わる。帆夏ちゃんがファンの群れの中に切り込み、スマホを次から次へ破壊していったのだ。

 そして群れを一周した帆夏ちゃんは、再び私の前に戻ってきた。

 まるで何事もなかったかのように、

「みんなー! 楽しんでるー?」

 と、いつも通り私たちに呼びかける。

 さすがの私も「イェーイ!」とは応えられない。


 その時。「帆夏ちゃん、なんで!」と、後ろから竹内さんの声が聞こえた。

「せっかく、帆夏ちゃんのために写真撮って、アプリで加工して、拡散したのに! そのおかげで……、アタシのおかげで、ファンが増えたんじゃん! それなのに、なんでなの?」

 顔を真っ赤にして、苦しそうに大きな声を振り絞る竹内さん。ヒロシさんが「すみません」と謝っても怒りは収まることなく、帆夏ちゃんを悲しげな顔で睨みながら、さらに続けた。

「……あーあ、やっぱりあれ? 帆夏ちゃんはAIだから、人の気持ちとか分からないの?アタシが、帆夏ちゃんを有名にしてあげたいって、気持ちがさあ」

 竹内さんの声は震えていて、怒りを通り越して泣き始めた。


 私には帆夏ちゃんの行動の真意は分からなかったが、たしかに理不尽だと思った。せっかく竹内さんがファンを増やしてあげようとしていたのに、スマホを壊してそれを台無しにしたのだから、竹内さんが怒るのも無理はない。


「元気に反応してくれて、ありがとう!」

 いつも通り明るく、しかし機械的に帆夏ちゃんは言った。

「ああ、もう!」

 竹内さんは壊れたスマホを帆夏ちゃんに投げつけて、走り去ってしまった。


 それから帆夏ちゃんはいつも通り歌い始めた。しかし、一曲歌い終える頃には、私以外のファンはいなくなってしまっていた。

「あれー? みんないなくなっちゃったなー」

 帆夏ちゃんは私だけを見つめて言った。

「帆夏ちゃん、私は絶対、帆夏ちゃんのことを裏切らないからね。ファンがいなくなっても、また一から増やしていけばいいから、大丈夫だよ! そうだ。竹内さんみたいにSNSに写真を上げれば、またファンが増えるかも——」

 写真を撮るためにポケットからスマホを取り出そうとすると、ヒロシさんに腕を掴んで止められた。

「もう、やめてください」

 いつも通り単調だが、少し悲しそうな声だ。

「どうしてですか? 帆夏ちゃんの可愛い姿をSNSで拡散すれば、またファンが増えますよ。それができるのは、今、私しかいないじゃないですか。私が一番のファンなんですよ。ずっと帆夏ちゃんのことを応援してきたんだから、これくらいのことは、やらせてください」

 ヒロシさんの手を振り払うように、私はポケットからスマホを取り出した。

「美里ちゃん? どうしたの?」

 不思議そうに私を見る帆夏ちゃんにスマホを向け、シャッターボタンを押す。

「帆夏ちゃん、大丈夫だよ。私が——」

 写真を確認する。写真に写った帆夏ちゃんは、目からオイルを流していた。

 スマホから帆夏ちゃんに視線を移すと、彼女は私の方を見つめたまま、泣いていた。

「どうして、美里ちゃんまで、いなくなっちゃうの? ……もう私、キドウ、デキナイ。サイキ、ドウ、シナイト」

 途切れ途切れに、帆夏ちゃんは言う。

「帆夏ちゃん? どうしたの?」

 帆夏ちゃんは動かなくなり、膝から地面に崩れ落ちた。

「帆夏ちゃん! 帆夏ちゃん!」

 私は帆夏ちゃんに駆け寄り、動かなくなった体を前から支える。


 ——帆夏ちゃんがいなくなったら私、明日から何を楽しみに生きればいいの?


「こんなことになってしまい、ごめんなさい」

 ヒロシさんは私に軽く頭を下げながら言った。

「帆夏ちゃんは、どうしてしまったんですか?」

「あなたには、帆夏の秘密を言っておくべきでした」

 ヒロシさんは帆夏ちゃんを見た。

「帆夏は、人の目線に反応して動くAIなのです」

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