26.二つの素顔
9月25日 日曜日 午後8時20分
僕がアジトに戻った時、ボックス席の柔らかい座席に、ラフトラックが横たわっていた。血まみれで。
「っ! ラフトラック!」
僕は体中の痛みを無視してラフトラックに駆け寄る。ついさっきまで自分の死について語っていたが、本当に死んでしまうことはないじゃないか。まだ助かるなら手当をしなければと、身近に迫った死に抗おうとした。
「ぐがぁご……むにゃむにゃ、インスマス共め……一匹残らず滅ぼしてやる……」
『おい、侍。ラフトラックは大丈夫なのか?』
「……寝てるだけみたいだ」
間近で見たところ、彼はどこにもケガをしていなかった。白いスーツについているのは、全て返り血のようだ。
『まったく! 侍が命がけで戦ってきたというのに、こやつはリーダーの癖して寝腐りおって!』
「まぁまぁ、彼も戦ってきたんだろうし、休ませてあげよう」
寝ているにも関わらず、ラフトラックはまだヘルメットを被ったままだった。彼のヘルメットの下の顔が気にならないと言えば嘘になる。だけど僕は彼に店の中にあったブルーシートを布団代わりにかけてやるだけにした。帰宅すべく葉から借りた装備を片づけようとしたところ、きわみがか細く声をかけてきた。
『な、なぁ侍?』
「どうしたの、きわみ」
『疲れてるとこすまんが、ちょっと話があるから付き合ってほしいんじゃが……』
◆
20分後、僕はネットカフェにいた。無愛想な店員に自分の名前を伝えると、ブースの番号を指定される。きわみが手回ししてくれた通りだ。いびきと寝息がするネットカフェの中を進み、指定されたブースに入ると、僕は持参したアジトのノートパソコンの電源を付ける。
「きわみ、到着したよ」
きわみから二人だけで話したいことがあると言われ、僕はきわみの指定したネットカフェに来ていた。初めて来る空間に、ちょっとドキドキしている自分がいる。僕がきょろきょろと狭いブース内を見渡していると、ノートパソコンにいつものきわみのアバターが表示された。
『おおう、来たの侍る。て手を煩わせてすまんなな』
「大丈夫だよ。それより話したい事って」
『あああ、そそれなんじゃがが』
インカムから聞こえるきわみの声に若干違和感を覚える
「あ、待ってきわみ。なんか回線の調子が悪いみたい。Wi-Fi繋ぎ直すよ」
「ああ、その必要はないぞ」
急に音声の不調が解消された。というより、インカムから声が聞こえていないように感じる。
「ええっと……こんばんわぁ、人間。なんちゃって」
「……もしかして、隣にいる?」
「せいかーい」
きわみの声はインカムやノートパソコンのスピーカーではなく、僕のいる右隣のブースから聞こえていた、リアルの、生身の軽羽きわみが今、壁一枚隔てた向こう側にいる。
「えっと……初めまして? かな」
「はじめまして、侍」
いつもの古めかく気取った喋り方でない彼女は、普通の女の子のようだった。いや、さらに言えば不安そうにしている普通の女の子だ。
「実は話したい事っていうより、こうやって生身で会いたくて呼んだんだ」
「そう……でもなんで?」
「顔、見てもらおうかなって」
葉の話ではきわみはAIAのメンバーの誰にも正体を明かしていない。その彼女が何故。
「侍は私のこと信頼してくれたのに、私はそれに応えられなかった。だから少しでも信頼を取り戻したい」
「そんな……あれを予期するのは、どんなに下調べしても無理だよ」
意味をなさない非常口があるとは、普通は誰も思わない。彼女のというより事前に周辺を偵察しきれなかった僕の落ち度だし、もっといえばライブハウス側の責任だ。火事でも起きたら本当にどうするつもりなのだろうか。
「きわみが今回の件で気に病む必要はないよ」
「でも、聞いちゃったんだ。狩りの前のラフトラックとの話」
「あれは……」
数時間前の自分をビンタしたくなってくる。
「顔も名前も知らない相手が信用できないのは、その通りだと思う。侍は私の話を聞いて泣いてくれる優しい人だし、そんな人の信頼に私は応えたい」
健気な人だ。今、僕が抱いている軽羽 きわみの印象は、第一印象とはかけ離れたものだった。自分が傷ついても、誰かのために立ち上がろうとする人。怖がりな本性をキャラクター付けで隠して、そんな素振りを見せずに戦う人。みかりとは違うけど、ヒーロー然としている人だと僕は思った。
「でも、私は卑怯者だから直接顔出し出来なかったや、あはは」
きわみの声は震えている。
「今も侍に顔を見られて『期待外れだった』とか『予想してたのと違う』とか言われるのが怖い。嫌われるのが怖い」
僕程度の人間に嫌われても、彼女にはたくさんのフォロワーがいるのに。きわみは本当に僕との繋がりを大切にしようとしてくれているのだろう。
「だから、私が怖くて逃げだす前に、上から私の顔見て欲しいの。自分じゃ怖くて、顔出せないから」
彼女の言う通り、ネットカフェのブースは上が開いている。背伸びするか、椅子に登るかすれば簡単に向こうの様子は覗き見れるだろう。でも僕はそうしない。
「きわみが決めていいよ」
「え?」
「どっちが素顔か、きわみが決めていいんだ」
「そ、そんなぁ」
きわみは涙声になって困惑している。だけど僕は自分の主張を変える気はない。
「顔が見えなくたって、きわみはしっかり仕事をした。屋上から逃げるときも、きわみのサポートが無ければ僕は逃げられなかったよ。だからきわみは悪くない」
「でも……」
「それに、もうきわみは『軽羽 きわみ』として僕らの前に現れてくれている。声や文字だけでもいいのに、表向きの仕事を公表するというリスクを負ってくれている」
「それはそうだけど……」
「君がどちらの顔であってもきわみはきわみだ。僕はきわみがどちらの『素顔』で接してくれても嬉しいんだ」
パソコンが発する音と、どこかのブースから響くいびき声が聞こえる中、隣のブースから紙コップを持った少女の手でぬっと伸びてきた。
「……乾杯しよ」
僕はきわみの選択を受け入れ、ブースに入る前に汲んできたオレンジジュースの入った紙コップを、きわみの持つ紙コップに当てる
「乾杯」
僕は洋画でいかつい男がショットグラスでやるように、中身を飲み干した。疲れた体に柑橘類のフレーバーが沁みる。
「今は『軽羽 きわみ』の素顔でいる。でも、いつかきっと、リアルの顔も見てもらうから」
「うん、ありがとう」
胸が熱くなる。人を信頼し、信頼されるのがこんなに心地よいことだということを僕は初めて知った。
「ねぇ、ところで気になってたんだけど、屋上からどうやって逃げたの? アイデアの盗用って?」
「ああ、これ見て」
きわみの疑問に、僕は自分のスマホをブース越しにきわみに差し出す。
「これは……」
「友達の書いた小説だよ」
僕がきわみに見みせたのは、琉衣が昨日見せてくれた小説の原稿だった。家で読み返したくて、スマホにも送ってもらっていたのだ。
「この小説に出てくる殺人鬼を真似て、VALのワイヤーガン機能で屋上からビルまで飛んで脱出したんだ」
「こ、こんなヘタクソな小説を真似たの? 自分の命がかかってるのに?」
僕はブースの壁を軽く蹴って抗議する。
「ヘタクソなんて言うなよ。僕の数少ない楽しみなんだ」
「ご、ごめん」
「まぁ、ほんとに上手く行くとは思ってなかったけど。みかりさんにもお礼を言わなきゃ。彼女はほんとすごいよ」
「そうだね……ところで侍。今から時間ある?」
本当は早く帰って痛めた体を休めたほうが良いのだろうが、逃走劇の熱が抜けきっていない体では、休むに休めない気がしたので、彼女に付き合うことにする。
「あるよ。なんでもどうぞ、お姫様」
「このネカフェで今、侍の好きなSF小説の劇場アニメ版が観られるって言ったら、観る?」
「本当?!」
周りが静まり返っているにも関わらず、大きな声を出してしまうくらいには魅力的な提案だった。
「せっかく会ったのに、ちょっとお話してさようならじゃ寂しいから」
「観よう観よう! 一度観てみたかったんだ!」
サブスクを契約する金もない僕には願ってもない機会だった。
「ふふっ、慌てない慌てない。お菓子も持ってきたから、食べながら観よ。ご飯まだでしょ」
ブース越しにスナック菓子の袋が投げ込まれる。
「じゃ、操作教えるから、いっせーのせで見よう?」
「分かった」
こういうのを同時視聴と言うらしい。きわみはまだしたことがないそうだ。そして僕も初めての経験だった。女の子と二人で映画を見ながら、ご飯代わりにお菓子を食べ、時々コメントを言い合う。映画はもちろん面白かったが、葉やみかりとは違う、壁一枚隔てたきわみとの不思議な距離感が、僕にはとても心地よかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます