25.危険フェイズ
「終わったよ」
『よくやった! とっとと退散するとしよう!』
きわみの喜ぶ声を聞きながら、まだ少しぼうっとする感じの頭のまま楽屋を後にしようとした。しかし僕の頭にかかっていた靄は一瞬で晴れることになった。
「……え?」
「あ……」
楽屋のドアが開き、眼鏡をかけた女性スタッフがペットボトルを抱えながら僕のことを見ている。恐らく本物のケータリングスタッフなのだろう。彼女は目の前のトカゲ男の仮装をして血まみれになっている存在が突拍子もなさすぎて、固まっていたし、僕も狩りの後で油断しきっていたのですぐに反応できない。
「どなたですか……?」
「えっと……」
「ここは関係者以外立ち入り禁止で……きゃああああっ!」
女性スタッフの目線がMaysonの服を着た怪物の死体に向けられている。インスマスの死体の分解が早いとはいえ、殺したばかりのそれはまだ原形を十分残していた。
「だ、誰か! 警備員さん!」
女性スタッフが手に持ったペットボトルを取り落としながら逃げる。ぱっと見では、というか事実そうなのだが、僕がMaysonを殺した殺人鬼にでも見えたのだろう。事情が説明ができればいいが、きわみが言った通り、インスマスの存在を普通の人は信じないし、僕が施設への侵入と言う犯罪を犯していることには変わりない。つまり、まずい状況だ。
「まずい、姿を見られた」
『案ずるな! 楽屋を出てすぐ非常口がある。すぐにそこから逃げろ!』
きわみの声に従い、通路に出てすぐ近くにある緑色のピクトグラムの下、脱出口となるドアに手をかけ開けようとするが、
「……開かない」
『なんじゃって?!』
「外に機材ケースか何かがあって、つっかえて開かない!」
『なっ?!』
他の脱出口として、僕が侵入した道を逆進するルートもある。しかし、そちらは女性スタッフが助けを求めに走った方向で警備員もいる。ステージ側へ逃げ込むことも考えたが、人ごみで動けなくなったら終わりだ。まずい状況が、かなりまずい状況にレベルアップする。
『ど、どうしよう! どうしよう! ごめん侍! 本当にごめん!』
きわみの口調が焦りで素になっている。だけど僕もそんなことは気にしていられない。危機感によって分泌される脳内物質が、僕の体感時間を遅くする。
考えろ、考えろ、考えろ青座 侍! なんのためにアホみたいな量の本を読んでるんだ! 頭でっかちの役立たず! 打開策のアイデアを絞り出せ、思いつけ、編み出せ、考え抜け!
「ライトフェザー、屋上に通じる道は?」
『え、なんで……』
「ライトフェザー!」
『直進、次の角を左、突き当り右に階段!』
きわみのナビの途中で僕は駆け出す。曲がり角を滑り転びそうになりながら曲がり、通路の荷物や機材を滅茶苦茶に倒し、時間稼ぎを試みる。
「君! 止まりなさい!」
背後から聞こえる制止の声を無視し、僕は階段を駆け上がる。
『逃げられなくなるよ! 何するつもり?!』
「アイデアの盗用だ!」
『何それ?!』
叫んだ僕の目の前に影が差す。黒いスーツを着た長身の男性が上階で待ち構えていた。顔の横に厳めしいタトゥーが入っている。
「オイ、ゴラァ! 人のハコでなにしくさっとnnafaw!」
巻き舌になっていたので男性の言葉の最後の方は理解できなかった。でも、聞き取れた前半部で、彼がこのライブハウスの管理者らしいことは推察できる。きわみが言っていた『耐えかねる程のパワハラをするマネージャー』なのかもしれない。
「ごめんなさい、通ります」
僕は致命傷にならないよう、VALを男性の脇腹目掛け振り払う。パワハラは許せないが、インスマスでなければ殺すべきではない。だけど僕の配慮など気にせず、相手はVALを脇で絞め、僕を殴りつけようと拳を振りかざす。かなり喧嘩慣れしている動きだ。
「オラァッ!」
よかった。喧嘩慣れしていてくれて。僕は思わずマスクの下で口元を歪めて笑ってしまう。
「ばっ! っああああ!!」
マネージャーと思しき男性は、VALから流れた電撃をその体で全て受け止めてしまった。バットなどの武器は戦いなれた人間であれば、それを逆手にとって掴み相手から奪い取ることができるという。聞きかじった知識だったので自信がなかったが、相手がその通りに動いてくれたので、VALのスタンガン機能を食らわせることができた。僕は痺れて動けない男性を蹴り飛ばし、屋上へ向かう階段の残りを登りきった。
◆
屋上に出ると、僕は急いでリュックサックの中から葉が普段使っているガムテープを取り出し、それでVALを握った右手をグルグル巻きにして固定する。階下から人の声がする。マネージャーらしき男性の看護で追っ手の足が止まっているのか、まだ僕には追いついてはいないが、時間がないことには変わりはない。リュックサックを背負い直し、屋上の縁に立つ。
思ったより高い。
4階くらいの高さしかないが、人が落ちて死ぬには十分な高さだ。
インスマスと対峙するときにはなかった恐怖心が沸きあがってくる。足がすくんで、目がくらみ、下を見るだけで気絶しそうだった。
自分に言い聞かせる。大丈夫、やれる。友を信じろ、そして僕自身を信じろ、と。
「屋上だ!」
「早く警察を!」
背後から声が聞こえてくる。腹を括るときが来た。僕はVALのワイヤーガンを発射させる。飛んでいった先端が、ライブハウス向かいにある雑居ビルの壁に突き刺さった。先端と繋がったワイヤーがライブハウスとビルとを一本の線で結ぶ。追っ手の声が近くに聞こえてきた。時間だ。意を決して、僕は屋上から飛び降りる。
一瞬の浮遊感。そしてすぐに落下という現象に切り替わる。だが僕の体は重力に反抗した。固定したガムテープの中でVALのスイッチを押し込む。瞬間、ワイヤーが巻き上がり、僕の体は猛烈な力で雑居ビル側へ飛んでいく。あまりのパワーに右肩が外れそうになる。だがその痛みも、僕の体が雑居ビルの壁に激突した痛みで上書きされた。
「ぐうっ……ははっ! 飛んだ! 飛んでやった!」
雑居ビルの壁に張り付きながら、首をなんとかライブハウス側へ向けると、屋上で呆気に取られている警備員やスタッフの顔が見えた。トカゲ頭の男が目の前で飛んだらそりゃ驚くだろう。もっと彼らの驚く顔を見たかったが、パトカーのサイレンが聞こえてきた。早く地上に降りなければと、僕はよく考えずにVALのワイヤーガン発射ボタンを押す。VALはこんなにも酷使をされても完璧に動作した。
「わぁっ!」
そう完璧すぎる程に。
「がっ!」
ワイヤーは発射された時と同じように勢いよくリリースされ、
「ぐっ!」
僕は雑居ビルの壁に備え付けてある室外機に何度もぶつかりながら落下し、
「ぎゃっ!」
最後に地面と熱いキスをすることとなった。
◆
「ライトフェザー?」
『は、はべるぅ! 大丈夫か?! 今どこだ?!』
「大丈夫、逃げ切ったよ」
僕はアジト近くにある、シャッターの閉まった中華料理屋の前に座り込みながら、マスクを外しようやくきわみに連絡できた。
『ご、ごめんね、危険な目に合わせて』
「危険は承知の上だよ」
『でも……! でも……!』
「大丈夫、大丈夫だから」
本当は全然大丈夫ではない。体中痛いし、足はもう立てないくらいにガタガタ震えている。でも泣きそうな声の仲間を安心させてあげたかった僕は、精いっぱい嘘をつく。
『ごめんなさい……私のリサーチ不足で、侍が死んじゃうかもしれなかった……』
きわみはそれでも落ち込んでいる。こんなに人に心配してもらうのは悪い気はしなかった。だから責めるつもりもないし、代わりに僕はきわみが好きそうな言い方で彼女を励ますことにした。
「きわみ、僕はVTuberも暴露動画も詳しくないんだけど……」
『どうしたの……?』
「非常口が咄嗟に開かないの、防災上とてもよくないよね」
『う、うん……?』
「これ暴露ネタにならない? 『地方ライブハウス、防災意識ゼロ、行政指導求む』ってさ」
少し静かな時間が流れて、きわみの笑い声が耳を突き刺した。
『わっはっはっはっは! 確かにそうじゃ! 滅茶苦茶問題じゃな!』
「だろ? しかもアーティストの楽屋近くっていう、一番大事なとこでさ」
『確かに! 酷いもんじゃ!』
「あはは! 僕も暴露者の仲間入りかな」
『ああ、お主の声なき声、確かに聴いたぞ!』
僕たちは夜の街で笑いあう。二人で笑っているけど、傍から見ると僕一人で笑ってるように見える。その光景がまた滑稽で、僕はさらにおかしくなってしまって、より大きく笑い声をあげた。
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