第5話

義勇兵のリーダーである、アロイの父、ハロイに連れられて、広い救護室から隣の休憩室へ移った。

 数十人程の兵士が地図を木の壁に張り出し、作戦会議をしている。

 俺たちがやって来ると、みんなが振り向いてこちらを見た。

 ハロイが俺を紹介する。

「機械の国の、ジンだ。話をしたいと言ってくれた」

 俺は言う。

「まだ協力するかは決めていません。俺は人を殺したくない。人を殺す兵器を破壊したいだけです」

 義勇兵の兵士たちは頷いて言った。

「僕達も同じ気持ちです。その為にこの義勇兵に志願したのですから」

 一人の兵士がたずねてきた。

「あなたは剣で直接機械を切っているのに、どうして爆発は起きないんですか?機械は壊れる時爆発するので、周りの兵士を巻き込むし、機械だけを攻撃することは出来ないんです」

「俺は機械技師なので、内部設計は把握しています。エンジンルームには触らずに、機動力を司るトランスミッションとサスペンション、砲撃する筒部分を45度角で切断するように破壊していました」

 みんながポカンとする。

 俺は前に出て言っていた。

「紙を貸してもらえますか?」

 俺は紙を受け取り、万年筆でザックリと外観を描いた。

「戦車は正面の装甲は厚いですが、側面や後ろは薄くなっています。なぜかというと、機動力を上げるために出来るだけ軽量化しているからです。どの戦闘車両も同じ装甲の厚さの違いがあるので、種類ごとに説明します」

 俺は手早く戦闘車両の絵を描いて説明をしていった。

 ハロイが感心したように言う。

「なるほど。とても参考になった。話に聞いていた通り機械についてよく知っているな」

「ありがとうございます。あの‥‥北部での爆弾について、皆さんは、本当の事を知っていますか?」

 みんなが首を傾げる。

「あれは、魔法の国がやったものではありません。唯一の生存者は俺で‥‥第三の組織が古代文明を利用するために落とした爆弾だったんです」

「‥‥」

 みんなが眉を上げる。

 機械を失くすために必要な人柱を選定するために爆弾を落とした、なんて荒唐無稽な話をどうやって信じさせれば良いのか。

 トバトは父さんには届かなかったか、届いたけど、父さんがそれを進言出来なかったんだ。

 俺が魔法学校の入学を放棄して一度帰れば良かったんだ。

 男の証拠品も持っていた。ちゃんと話をしたらこんな未来は無かったかもしれないのに、俺のせいだ。

 呪いの事を治したいばかりに、状況を説明しない事が、どうなるかなんて、何も考えていなかった。

 俺は首を振る。過去を嘆いても仕方ない。

「今思いついた作戦があるのですが、提案しても良いですか?先程、爆発魔法を使えないと言っていましたが、使う事の出来る方法があります」

「何だって?教えてくれ」

 地図を受け取り、俺は言った。

「幻覚魔法で、出来るだけ巨大な、恐ろしい未知の機械を見せます。南西側にある、山の稜線に沿って、幻覚魔法を打つんです。そして、機械の後ろに待機している兵士を山間部の東の方まで後退させます。この地図から考えると、高低差から、ここの場所を通る可能性が高いので、俺が広範囲の冷凍魔法で氷の壁を作り、道を塞ぎ、その間に国境に沿って並ぶ機械を出来るだけ多く破壊します」

 みんなが驚く。

「‥‥そんな事、出来るのか?」

「機械の国は爆弾の仕組みを知っているので、防空壕という爆風から身を守るための場所を山の斜面に用意しています。洞窟形式のものが多いです。浮遊魔法で、上空から爆発魔法を撃てば、空襲が来たから、防空壕に避難するという風な流れに繋がる可能性が高い。もちろん、実際にやってみないと分かりませんが、これで上手くいっている前例があるんです。機械の国の最北端で落とされた爆弾は、幻覚魔法によって追い込まれ、人々が集まったところで爆弾を落とされました。俺は唯一の生き残りなんです」

 その時、ウィーーーンと空襲の警報が唸るように鳴った。

 ハロイが俺に頷き、声を張って言う。

「ジンの作戦を実行する。無線を通して情報をやり取りし、目標達成を遂行する。巨大な幻覚魔法では、数十人がイメージを共有し、上空から辺り一帯に魔法をかける事が重要になる。まず、幻覚魔法の小隊と、爆発魔法の小隊に分かれる」

 ハロイは素早く指示を出して統率を測る。

 カムパネラの家は宿や他の事業も展開しているらしいが、アロイの父親が切れ者で主導力のある人間だと分かった。

 俺は剣と身体に強化魔法をかけ、外に出て行く義勇兵の後を追った。



   ー



 オシシはミゲルと難しい話をして、部屋を出て行った。

 何とか今すぐの血抜きをされるのは免れた。

 いつ血を抜かれてしまうか、怖いけど、脱出を頑張るしかない。

 震える手で拳を作って堪える。

 服の中から、トバトがひょこりと顔を出した。

「トバト‥」

 気を失って、車の中に運ばれていたけれど、その時には既にトバトが服の中に隠れて入っていた。所持品を奪われて、服を脱がそうとしてきて、怖くて泣いた。そうしたら、運んでいる男たちは顔を見合わせて困った顔をして、許してくれた。

 三食くれたし、謝ってきて、優しくしてくれた。

 だから、バレなくて済んだ。良い人なのか悪い人なのか、分からなかった。

 その時、ガコガコ、と床にある小さな換気口の蓋が動いた。

「何!?」

 黒い小さな影が飛び出してきた。

 近づくと見た事があるシルエットでトトは歓喜に震えた。

「モックル!」

 鍵を咥えている。

「すごい!どうしたの?大丈夫?怪我は無い?」

 モックルは長い尻尾を優雅に持ち上げて振り、答える。

 トトは鍵を受け取り、外側に手を伸ばして鍵穴に挿して回すと、鍵が開いた。

「よし!」

 モックルとトバトが居てくれると思うと、勇気が湧いてくる。

「どうしてここが分かったの?」

 モックルにたずねると、トバトが羽を羽ばたかせた。

「そっか、大地の加護で呼んでくれたんだ」

 大地の加護は植物だけでなく、動物を含めた生物に通じる。モックルは大地全体に働きかけて、トバトが応え、きっとモックルはそれを感じ取ったんだ。

 早く脱出しないと。

 辺りはすごく暗い。

 モックルが通って来た場所は狭すぎて自分は入れない。

 オシシとミゲルが通っている扉から出るのは鉢合わせる可能性があるから、選択しない方が良いだろう。

 モックルがデスクの上に飛び乗り、二本足で立ち上がって上を示した。

 見ると、四角く穴がある。

 ダクトだ。

「でも‥どうしよう」

 全然届かない。 

 モックルはデスクの上のペンを持ってきて、グルルと喋る。

 モックルは自分の《縮小魔法》を解いて、と言っている。

「ダメだよ!モックルを置いてけない!」

 モックルが首を振って、グル、と喋る。

「嫌だ‥モックル‥」

 トトは拳を握る。

 モックルは一緒に過ごしてきた大事な家族だ。

 元々スイズの森にいて、小さい頃に仲良くなって、自分の旅が決まってからも、ついて来てくれた。

 ジンだったら、こんな時どうするかな。

「そうだ!」

 ジンは戦っている時に自分の洋服に《浮遊魔法》を掛けていた!

 トトはモックルを服の中に入れ、デスクのペンで書類の裏に設計図を描いた。

「オン!」

 ペンで服を指す。

 白い光が伸びて、服に絡まると、ふわりと浮き上がった。

 集中して、ゆっくり身体をダクトの上へ持っていく。

 蓋を取ろうとしたが、ネジで固定されていて、開かない。

 モックルがグワっと口を開け、扉の格子に噛み付いた。

 小さな柱に牙が突き刺さり、ジワジワとヒビが入り、遂にガシャン、と音がして格子が砕けた。

「やった!」

 ダクトをすり抜けて、進み、横に真っ直ぐ続く闇の中へ身体を進めた。

 四つん這いで着地した時、扉が開く音がした。

 誰か帰ってきた!

 全速力で手足を動かして、闇の中を進んだ。

 胸の中でモゾモゾ動くモックルとトバトの温かさが勇気をくれる。

 怖くない。


 

   ー

 


「砲撃は北西方向から続いている。小包式の物が高台にあるはずだ。自分は上空のドローンと砲撃を山伝いに破壊していくので、みんなは機械の国の兵士たちを誘導していく事に集中して下さい」

 みんなが「了解」と返事をする。

「来るぞ!」

 自動操縦(オート)の砲撃が飛んで来て、みんなが爆発魔法で撃ち落とす。

 俺はガラスの剣を浮遊魔法で浮上させ、柄の部分を前方に向けて柄を両手で掴んで飛び乗った。

 一直線に向こう側の山まで飛翔する。

 有効射程距離に侵入し、俺を目掛けて砲弾が飛ぶ。

 俺は飛び降り、剣を振り被って、宙で前転しながら弾を斬る。突き進み、爆発に吹き飛ばされながら、自動操縦大砲(オートキャノン)に向かって加速した。

 山の麓に大砲があり、強化した足で地面に着地し、身体を捻って再び跳躍し、飛び跳ねて照準を逸らしながら、大砲を貫いて連続で破壊する。

 その時、上空で不可解なプロペラ音がした。

 破壊した大砲の影に身を隠すと、カンカン、と銃弾を弾く音がする。

 ドローンからの射撃だ。

 俺が工廠にいた時は試作段階だったが、遂に完成させたのか。

 俺が内ポケットから紙とペンを取り出そうとした時、呪いの痣が右手の甲に降りて来て、《冷凍魔法》の設計図を作る。何も考えずに便利で使っていたが、呪いの力として、乱用しても良いのだろうか。血の直描き程の威力もある。

 他の方面からも射撃が相次ぐ。

 考えていられない。

 ガラスの剣を瓦礫の隙間から差し込み、ドローンに向けて唱える。

「オン」

 光を短く物体に展開させる。鋭利な氷柱が凄まじい勢いで発射され、稲妻の如く突き抜けた。ドローンは爆発して、バラバラになって崩れ落ちていく。

 俺は首を振って、山間を見下ろす。

 幻覚魔法によって作り出した不可思議な物と突如発生し始めた上空からの爆発によって、兵士は退避している。

 誘導は上手くいっている。

「機械の兵士は全員移動した」

 ー了解。今から冷凍魔法を起動させます

 俺は周囲の機械を一掃し、山から山間に飛び降りるように、大地を蹴って跳躍した。

 片手で設計図を掴み、そのまま地面に直角に、ガラスの剣を構える。

「オン」

 蒼い光が瞬き、広がる。

 刹那、爆発するように光が乱反射して、気付けば分厚い氷の壁が出来上がっていた。

 光で方向感覚を失い、俺は氷の壁を滑りながら、落下の衝撃を落として着地した。

 間違って壁の内側、機械の国の兵士がいる方向へ着地してしまったと分かったのは、カチャリ、と銃口を突きつけられた時だった。

 俺は包囲されていた。

 最後に、円の中央に立った父親が、俺に拳銃を向けた。

 俺に。

 激しい衝撃が、俺の頭頂から爪先までを貫いた。

 厳格さが漂う低い掠れた声で、その聞き慣れた声は言う。

「大損害だ。俺たちは帰れない」

「‥」

「開発費、材料費、燃料費、人件費。注文を受け、兵器を作る。戦争によって恒常的に需要があることで、投資を受ける。つまり、兵器産業への投資によって、この状況が成立している。要するに負債まみれだ」

 分かっていた事だった。

 答えに窮した。

「気持ち一つで動いたお前は大馬鹿者だ。取り返しがつかない。ここに居る人間は皆んな家庭があり、仕事がある。雇用を失い、生活に窮する人がいる。お前は人殺しと同じことをしている。そこまで想像せずに行動を起こしたお前は、許されない」

「それは魔法の国の兵士も同じだ。皆殺しにするのはおかしい。相手の兵士にも一人一人家族がいて、みんな大切な人がいて、国を守ろうとしているだけだ。俺は体験した。何も非の無い村が爆撃を受け、子供達が怪我を負い、生活が破壊された。それを父さんは肯定するのか?」

 父親は平然と答える。

「別に肯定も否定もしていない。俺は俺の立場として、それを優先させなければならないだけの事だ。それが仕事だ」

 俺は言った。

「戦争に依存した商売なんて、する必要は無い!」

「これは必要な事だ‥例えば飛行機、インターネット、発信機、電子レンジ‥これらは全て戦争によって開発されたもの。軍事技術が民事転用され、今は平和に使われているものばかりだ」

 俺は拳を握り、哀しみを堪えて言った。

「それは戦争を肯定するための都合の良い言い訳だ!どうしちゃったんだよ父さん!人々を笑顔にする機械を作るって昔から言っていたじゃないか!」

 父親が、銃の上部分を引き、カチャリ、と拳銃をリロードした。

「これ以上戦況を掻き乱すのであれば、ここでお前を射殺する」

 俺はガラスの剣を持ち上げる。

「そこを退いてくれ」

 四方から銃口を突き出される。

 みんな、目が血走り、恐ろしい形相をしていた。

 一人の兵士が俺に向かって、引き金を引いた。

 俺の身体を不可解な衝撃が襲う。

 本当に一瞬だった。

 父親が拳銃を落として、駆け寄り、俺の肩を掴む。

 呼吸が荒く、目を見開いて傷を見る。

「掠っただけだ」

 俺が苦笑すると、父親に抱きしめられた。

 父親は胸から搾り出すように言った。

「無事で良かった」

「どういう事だよ、怒ってたんじゃないのか」

「怒っている。本当に‥‥哀しかったんだ。大切な‥‥大切な‥‥」

 それ以上父親の言葉は続かず、その場に座らされた。

 父親はハンカチを出して俺の脇から肩にかけてを縛ってくれた。

「ここに居ると、よく分からなくなる。色々な事が‥」

 父親は深くため息をついた。血濡れた片手で、頭を抱える。

 頬が光る。一筋の涙が伝う。

 父さんが泣くなんて‥‥

 それを見ていた一人が、急に拳銃を落とし、地面に頭をつけるように蹲った。

 みんなが次々に武器を落とした。

 父親は言った。

「手紙が来るまで、俺はお前を戦争で失ったとずっと思っていた。怒りと哀しみのやり場を失い、仕事に従事する事で紛らわせていた。だが、俺はもう戦わない。救護と機械の停止、兵士の説得を促す。だからお前も危ない事はしないでくれ」

「父さん‥‥」

 涙が出そうになって堪えた。

「ちょっと色々事情があって、そこに行かなきゃいけないんだ」

「‥絶対に戻ってこい」

「勿論」

「手紙を信じなかったのは周りの人間だ。俺が前線に来たのは整備もあるが、お前を探していたからだった」

「父さんの立場も考えずに勝手な事をしてごめんなさい」

「いや‥‥機械はいくらでも作れるが、人はそうはいかないよな。お前に言われて目を背けていた事に気付かされた。再会できて本当に良かった」

 父親と抱擁を交わし、俺は立ち上がった。

 トトの居場所へ走り出した。


 

   ー



 暗闇の中を四つん這いで突き進んだ。

 不意にモックルが出てきて、匂いを嗅ぐと、立ち止まり、左方向きマズルを向けた。

 そっちらしい。

 モックルを信じて直角に左に曲がり、進んでいくと、入ってきた時と同じ、ダクト口の蓋があった。

 他の部屋に続いている!

 モックルが入ってきた時と同じように、格子に噛み付いた。バキン、と砕けて、蓋が開く。

「あっ」

 紙が無いから《浮遊魔法》が使えない。

 絶望した時、モックルが前に出て、ひょいと降りた。

 下から自分を見上げてくる。

 そんなに高くないかも。自分は、自然の中で生きてきたから、脚力とかには自信がある。

 せーの、で降りる。ダン、と音が響く。

 足がジン、としたけど大丈夫だ。

 それより、ここは何処だろう。

 四角いコンテナがいっぱい高く積み上げられていて、荷物が置かれているのだと分かる。

 倉庫かな。

 ずっと歩いて行くと、扉があって、ちょうど薄く扉が開いていたから、そっと中に入った。

 中でもコンテナは続いていて、でも、外へ続く窓が付いていた。

 ここから出られる!

 窓際に駆け寄った時、右奥の暗闇の中で、月光に照らされて、何かが白く光っていた。

 大きな檻の中に、誰かが立っている。

「‥だれ?」 

 近づき、トトは首を傾げる。

 綺麗な白い髪でハッとした。

 丸くて小さな角。

 朧げに記憶の中の母親の優しくてほんわかした輪郭と、重なった。

 もしかして‥

「ママ?」

 母親が息を呑む。

「トト!トトなのね!?」

「ママ〜」 

 嬉しくて、感極まって涙が出た。

 檻越しだが、再会して、両手を握り合った。

「本当にトトなの?夢じゃないわよね」

「夢じゃないよ!私、色々あって、車で運ばれて、ここに来たんだよ!

「何ですって、血を抜かれたの?」

「ううん。抜かれそうだけど、逃げて来た」

「良かった‥」

 トトは言った。

「一緒に逃げよう」

 母親は首を振る。

「ダメよ」

「何で!」

「血が無いと死んでしまう人がいるの。それに逃げたら‥‥きっとオシシに殺されてしまうわ」

「え?」

 何を言っているのか分からなかった。

「いい?よく聞いて。オシシは悪い人なのよ。私はオシシに人間との交渉道具にされたの。私を、私の血を貸し出すから、オシシの悪巧みに協力するように、人間に悪い交渉を持ちかけたのよ。それで私は売られてしまったの」

 刹那、ぼやけていた記憶が鮮明に蘇った。

 突然家に誰か入ってきて、母親は拳銃で脅されて、抵抗して、そうしたら、拳銃がパン、と音を立てて発砲されて、私は危険を知らせようと、ベルに手を伸ばして、ギリギリ銃弾を回避した。

 自分のせいで、母親が悲鳴をあげて、無抵抗になり、人間たちに付いて行った。

 死ぬかと思った。

 そうだ、自分はあの時から痣が出来たんだ。

 死線を潜って、呪いが覚醒しちゃったんだ。

 どうして忘れていたんだろう。

 ショックだったからかな。

 トトは冷静にたずねる。

「お父さんは?」

 母親は手をぎゅっとして柔らかく笑った。

「生きてるわ。人の世界で暮らしている」

「え!!どこにいるの?」

「お父さんはその‥‥本当は機械の国に住んでいて、機械技師で、仕事をしている最中に、スイズに来て、お母さん達を助けてくれて、そこで私がパパを好きになったの」

「え!そうなんだ、え?パパは精霊じゃなくて、人間なの?」

「うん」

 凄まじい衝撃だったが、喜びに震えた。

 私は人間が大好きだ。その血が流れているなんて!

「どうしてパパと出会ったの?」

「スイズの村一帯では病が流行ってしまって、それは水が悪いせいだったの。だから機械を使って、深くて彫るのが難しい場所から綺麗な山の水を引いた井戸を作ってくれたの」

「へぇ!すごい!」

「他にも色々な物を作ってくれて、格好良かったわ」

 お母さんは嬉しそうに笑った。

 そして、申し訳なさそうに言った。

「トトには本当は機械の国にお兄さんがいるの。その、お父さんはもう一つ家族がいて」

「えええっ!?」

 驚きすぎて尻餅をついた。

 お母さんは「良く聞いて」と言った。

「《精霊は人間とは違って、相手の事を大好きになって、心から愛してしまうと、赤ちゃんを宿してしまうの》だから街に行ったり、人と一緒に暮らしたり、人の世界で過ごしちゃいけないの。だから、掟を破ったお母さんが悪いんだけど…」

「ええ、そうなの!?相手を好きになっちゃうだけで赤ちゃん出来るの!?」

「そうよ。とーっても好きで、この人しかいないって思うと、精霊は身籠もってしまう事があるのよ」

「ええー!?嘘だ!」

「本当よ。だから、トトのパパとは結婚してないし、本当に少し話をしていただけで、ママが一方的に大好きだっただけなのよ。パパは凄く真面目でちゃんとした人だったから」

「そうなんだ」

「お母さんが悪いのよ、反省してる。言いつけを破って村に行ったり、パパと話したりしてたから。でも、パパが本当に大好きだったの。トトを産んだことは後悔してないわ。トト大好きよ」

「うん!私もママ大好き!お兄ちゃんに会ってみたい!名前はなんて言うの?」

「ジンって言うのよ。トトとはそうね‥10歳くらい離れているかしら。凄く頭が良いそうよ」

 ん?

「ジン?ジンって機械技師?」

「お父さんが機械技師だから、ジンにも機械技師になって欲しいって言ってたわね」

「‥‥えっと、お父さんは、機械の国に住んでて、お仕事でたまにいろんな国に行ってたんだよね?」

「そうよ。家族の事をとても大事にしていたわ。本とかを沢山買ってるから、よく読むね、って言ったらジンの分だって言うの。きっと父親似で頭が良いんじゃないかしら。古代文字の分厚い本も持ち帰ってたから。暗記が得意で自慢の息子だって言ってたわ」

 卒倒しそうになった。

 絶対ジンじゃん!!

 歓びが湧き上がってきた。

 何度もこんなお兄ちゃんが欲しいって思っていたから、それが現実で叶うだなんて思わなかった。

「ジン知ってるよ!!!今会ってるよ!!」

 その時、足音がした。

 振り向くと、ミゲルがいた。

 ミゲルは腕を組み、くすくすと笑い出した。

「なるほど、そういう事か。運命とはこういう事を言うのかもしれないな」

 意味が分からず、トトは黙り込む。

 ミゲルは言う。

「悪魔も宿主をでくの棒より優秀な人間を選ぶに決まっているのは分かるか?目的を達成したいからだ」

「‥うん」

「詳しくはまだ分からないが、呪いには何らかの因子がある。そこから更に絞られて、優秀な人間を選んだのだろう。私もミローディアも血縁関係にあるからな。父と叔父はとても優秀だった。人としても尊敬できるような人物だ。精霊の生殖は意味不明だが、血縁ならば筋は通りやすい」

 ミゲルはズボンでパンパン、と手を払い、言った。

「拳銃を使っても良いが、少し疲れた。お前から檻に入ってくれ」

 トトは拳を握って、怒鳴った。

「バーカ!」

 ミゲルが滑らかにペンを構えて言う。

「オン」

 緑の光が目を焼いた。

 だが、それが向かったのは自分ではなく母親の方だった。

 檻全体が凍り付いて閉じ込められてしまった。

 お母さんの籠った声が聞こえる。

「トト!」

「ママ!」

 ミゲルがペンを振る。

「オン」

 怖くなって目を閉じた刹那、ガシャン、という音と共に、眼裏で蒼い閃光が弾けた。



 俺はギリギリミゲルの飛ばす光の間に割り込んで《冷凍魔法》を起動させた。

 ミゲルの魔法も《冷凍魔法》でぶつかり、氷の礫が銃弾のように弾け飛ぶ。更にドライアイスのような白煙が周囲に流れた。

 俺はトトを庇い、左腕を引いてガラスの剣を引きつけながら、氷の煙の向こう側に《幻覚魔法》を起動させた。

 イメージを固定させ、幻覚を動かす。

 《幻覚魔法》により、もう一人の俺が煙の中から飛び出して、ミゲルを追いかけようとする。だが、ミゲルの居場所が分からず、無防備になった時、ミゲルが攻撃を仕掛けてくる。という算段だ。

 発砲音が響く。

 白い空気が歪んで、ミゲルの場所がハッキリした。

 飛び込もうとしたが、トトに腕を引かれて、冷静になれた。

 俺は幻覚魔法に一度まんまとやられている。

 敗因は複数人いたのが大きかったが、攻撃しようと激しく動いてしまった事だ。

 この煙に乗じて、と考えるのはミゲルも同じ事。相手の先を読まなければいけない。

 服の内側に用意してある設計図はあと一分しか持たない。

 俺は近くにあった氷の礫に《強化魔法》をかけた。

 魔法で光が発生し、位置がバレる。

 すかさず飛んでくる銃弾を、氷の礫に《浮遊魔法》をかけ、周囲一帯に撒き散らした。

 それらのうちの一つが銃弾とぶつかって、不可解な動きをした。

 先程の煙の歪みとは正反対の位置だ。

 撃たれて砕けた礫の直進、射撃方向に向かって跳躍した。

 連射で飛んでくる複数の銃弾を、剣を構えて回転しながら切断、勘で回避しながら、ミゲルの手にある銃に《浮遊魔法》をかける。

 蒼い光の奔流が、拳銃にクリーンヒット。

 ミゲルの手から銃が離れて遥か後方へ投げ捨てられた。

 ミゲルが腰から剣を引き抜いて、俺に襲い掛かり、俺はガラスの剣で受け止める。

 一度、衝突し、互いに離れ、距離を取る。

 ミゲルが中段から突きを放ち、俺は受け止めようとしたが、嫌な予感がして上へ飛んで大きく回避した。

 案の定、ローブの下から剣が現れる。

 下段から、もう一本の剣が突き出された。

 素早くミゲルの背後に周り、俺は全身を使って、地面スレスレで思い切り剣を薙いだ。ミゲルの足を掬って後ろに転倒させる。

 だが、ミゲルも長い剣を薙いで間合いに入らせない。脅威の体幹でバランスを取り戻すと、再度俺に切り掛かる。

 上段突きと左下段から、斜め上。

 魔法の国の剣技は知らないが、機械の国の剣技や体術は、父親の文武両道という教育の元俺は育てられ、習得している。

 バラバラに切り掛かるそれを躱し、上段突きを、剣で擦れるように下から受け止め、素早く手首を返して、上を陣取り、速攻突きを放った。

 ミゲルの左肩を貫く。左胸を刺せなかったのは、恐れと油断だった。

 ミゲルの遅れてやってきた左手の、斜め下からの切り上げを避け切れず、俺は肩甲骨から太腿の側面の靭帯を切られて、バランスを崩す。

 ここでミゲルに負ければトトを取られる。

 更にやってくる右手の大上段からの切り下げを俺は敢えて避けなかった。構わず身体を左に開くように移動し、ミゲルの背後に回って、手首を返して左肩に突き刺した剣を引き抜き、左胸に深く刺し直した。

 俺たちは血を流しながら、同時に床に倒れ込む。身体が上手く動かない。

 その時、手足が急に痺れて、全身の筋肉が引き攣った。一気に肌色の皮膚が鱗状の黒い何かに変わっていく。

「ジン!」 

 デクシアの文字が、手の甲に降りて来て、嗤うように顔の形を作った。

 そうだ、全然血を飲んでなかった。

 手に現れる設計図も都合が良いと思って何度も使っていた。

「ジン!」

 トトが駆け寄ってくる。

 ‥‥トト‥‥

 意識が途切れた。



   ー



 ジンの皮膚に鱗状の何かがビッシリと生え、首を覆い、顔の辺りまで埋まってしまう。

「ジン!!」

 黒い血がバッと広がっていき、気が動転した。

 早く、白い血をあげないと…トトはジンのガラスの剣で皮膚を傷つけようとした時、ジンがカッと目を見開いた。

 瞳孔が真っ赤で、ジンは怪我などしていないかの様に、すくりと立ち上がり、窓ガラスを破壊して外へ出て行った。

「ジン!!」

 倒れていたミゲルの全身にも、ジンと同じように鱗状の何かで生え始める。

 ミゲルも赤い目になり、トトを鬼の形相で睨み付けた後、四つ足で走り出す。建物の壁を突き破り、凄まじいスピードで外に出て行った。

 二人とも悪魔に‥‥思えば悪魔が身体を乗っ取ろうとするのだって当然だ。きっと人間の方が弱るのを待っていたんだ。

 氷で覆われた檻越しに言う。

「ママはここで待ってて!絶対戻ってくるから!」

「トト‥」

 トトは氷に乗り上げて、上の隙間から手を通した。

 小指をくっ付けて、二人でおまじないをする。

「「ささらぎ、モックルのしっぽ、アイの花。大事大事よ」」

 母親はトトを見上げて言う。

「絶対無事で帰ってくるのよ」

「うん!」

 トトはミゲルの作った穴から外に出た。

 方向も距離も特徴も指示できないとトバトは使えない。

「モックル、アロイを呼んできて。きっとジンを助け出すのに、私だけじゃ力が足りないと思う」

 ペンを使い、モックルの縮小魔法を解く。

「オフ!」

 モックルの身体が白い光に包まれて、ぐんぐんと大きくなって元の大きさになる。

 モックルはペロリとトトの顔を撫でてから踵を返して走り出した。

 トトは《強化魔法》を足にかける。

 靴には黒い血が付着していた。

 あんなに出血していたんだ。悪魔でも、元は人間の身体だから、早く何とかしないと、ジンが死んでしまうかもしれない。死線は避けるって言っていたけど、ミローディアの情報なんか、信じられない。

 周囲は凸凹した何も無い場所で、雨が降っていたのか、水溜まりが沢山あった。足を踏み出したその時、《落ちた》。

 ダボン、という音。

 全身が冷たい。腕と足を動かすと、慣れ切った水の抵抗がある。

 水の中!?

 だが、呼吸をしても、口に水が入ってこない。胸が苦しく無い。

 下は藍色が深くて、底が見えない。

 上を見ると、水面があって、てらてら光が揺れている。

 一度少し潜ると、藍色の中で微かに何かが見えた。

 深く潜ってみると、それは大きくなり、ハッキリ見え始めた。

 土色の大きな物体だ。

 四角を斜めに傾けた遺跡、ロドピックだ!

 神秘的だった。

 でも、どうしてこんなところに?水たまりの中は実は湖で、湖の底には遺跡があるなんて、もう何が何だかよく分からない。

 更に深く潜ると、遺跡の前に敷かれた石畳がハッキリと見えてきた。削られて斜めになっている石柱を抜けると、丸く切り抜かれたような穴がロドピックの正面にある。入り口のようだ。

 悪魔に乗っ取られてしまったジンとミゲルが行く先は、間違いなく終末の機械がある遺跡の中に違いない。

 これも遺跡だし、何か関係があるかもしれない。

 ジンに白い血を飲ませて、悪魔の乗っ取りから意識を取り戻させないといけない。

 ジンを助けなきゃ。

 思い切って穴の中に入り、右手で壁に触れながら、壁伝いに泳いだ。ずっと泳いで、不安になってきた時、脛(すね)に何かがぶつかった。どうやら階段のようで、上陸してみる。

 その先には、真っ直ぐな長い廊下が続いていた。壁に沿って突き進んだ。

 怖い。

 二又の道に分かれた。

 踏み出した時、飛び出した石に躓いて前の壁に手をついた。

 すると、石の壁はズズズズ、と土煙を出しながら、下に下がっていった。

「おお」

 上に上がる階段があって、上った。

 でも壁が崩れていて、とても小さな隙間しか空いていない。

 うーん。自分なら入れるかもしれない。

 両手を真っすぐ出して、芋虫のように進むと、部屋に入ることが出来た。

 入って、腰が抜けそうになった。

 目の前にあったのは、自分の身体の五つ分くらいありそうな、巨大な壁画だった。

 羊の角を生やした、人間の、目玉がぎょろりとした、怖いバケモノが描いてある。

 私達と同じ、《羊の角》をしている。

 でも、鋭い歯を剥き出しにして、凄く恐ろしい形相をしている。


 Ἀσμοδαῖος


 暇なときに、ジンから文字を習っていたが、古代文字も少しだけ教えてもらった。

「あ、あすも…で、あうす」

 名前かな?へんな名前。

 あすもであうすの前には、四人の人型がある。

 その下には古代文字がある。


 ανω   αριστερά    δεξιά  κάτω


 ανωは上(アノー)だ。

 δεξιάは、右(デクシア)だから、そうか、これは古代の戦争で生き残った四人の悪魔だ。

 壁画は長方形に区切られていて、物語のように右に続いていた。

 ほとんど同じだけど、上(アノー)だけ、あすもであうすの前に出て、三人よりも偉い感じになっている。

 そして次の壁画で急に、上(アノー)の頭に羊の角が生えていた。

 更にそこからは、家系図のようなものが描かれていた。

 ポツリポツリと羊の角の人間が生まれ、彼等は次第に集まって、羊の角の人の中で家系図を作り始める。

 最後の壁画には、こう締めくくられていた。


 διάβολος  αστηρ


「‥‥悪魔の、星」

 ゾッと背筋が冷たくなる。

 確かにそうだ、ジンの話じゃ、結局悪魔しか生き残らなかったのに、人間と精霊がいるのはおかしい。

 トトは自分の手を見る。

 急に激しい不安に襲われた。

 自分は一体……



   ー



 ミゲルは、仄暗い海底を彷徨っていた。

 ここは何処だろう。

 意識が上手く纏まらない。

 そうだ、俺は左(アリステラ)に乗っ取られたのか。

 だが、別に問題ない。儀式をちゃんと叶えてくれさえいれば良いのだ。

 この世界から機械を消す事さえ出来たら‥

 眠い。

 目を閉じると、昔のことを思い出した。



 楽しいひと夏の休暇で、親戚と集まっていただけだった。

 銃を持った強盗犯が庭から侵入し、家族を立て続けに打った。一発だけで、信じられない程の殺傷力を持ち、カーペットに広がっていく血の量が絶望の色合いを濃くした。

 俺は肩と脛を撃たれ、ミローディアは腕を打たれた。両親の血糊がべっとり付いた状態だったので、床に倒れていたら、生きているとバレなかった。

 あの時の絶望感は未だに忘れられない。

 オシシから、機械を絶やす事の出来る逸話を聞き、手を組み、凄まじい覚悟で、俺はそれに取り組んだ。


 ある時、考古学を専攻していた同期に驚かれた。

「え、まさかお前、ずっとそんな事やってたのか」

「ちゃんと結果もある」

「‥‥友人として言うが、お前のやってる事は無駄だよ。目、覚ませよ。そりゃ、俺だって人を殺す機械は良くないと思う。でも無理だ。世界から機械をなくすなんて、出来るわけが無い‥気持ちは分かるけど‥」

 次第に馬鹿にされるようになった。囁き声が聞こえる。

「あいつ、ヤバイぜ、おかしくなっちまったんだよ」

 悔しかった。

 考古学だけでなく、数学、化学から量子力学、工学、天文学、あらゆる分野を学び、事業を資本に研究をした。

 必死だった。手段もエスカレートした。

 だが、真相に近づけば近づく程、本当に大切なものを俺は見失っていった。

 機械を求める人間が愚かだとずっと思っていたが、本当の愚か者はこの俺自身になってしまった。

 そんな事とっくに分かっているのに、認められなかったのは、自分のしてきた行いが取り返しのつかない物だと分かっていたからだ。引き返せない。

 だから、この儀式に賭けるしかない。

 そして、ミローディアに嫌われていても、それでもミローディアを操縦席に乗せて、機械の無くなった世界に生かしたい。

 楽になるにはまだ早い。

 最後の役目が俺にはある。

 左(アリステラ)に奪われた意識を奪い返し、ミゲルは顔を上げた。



   ー



 地震が起きた後、ミゲルからメールが来た。

 

ー 終末の機械があるロドピックは、水の中だ。本体はスイズの北部にある湖の中にあり、そこから泳いで辿り着けるが、もう一つ簡単な方法がある。

ー 黒い血を自然の水に垂らし、体表に触れることだ。これにより、直接水中のロドピックと接続される。なお、水中に入ってからは自分で泳がないといけない。

ー つまり、《悪魔を飼う人間だけはショートカットが出来る》という事だ。

ー ロドピックは精霊のオシシが場所を見つけ、暗号を解いて中に入ったらしい。地震が起きたのはその衝撃だ。

ー 来ないようなら無理にでも連れて行く。

ー 待っている。


 ミローディアは考え、ジンたちの棲んでいる宿にトバトでメッセージを送っておいた。ジンたちの事は一通り調べ切っている。トバトは方向と距離を指示できる。更に目が良いから、建物の目印を理解すれば、届けてくれるはずだ。

 ミローディアはそのメッセージを受け取った直後、仲間に連絡した。

 ミゲルのやっていることに疑問をもつ人間もいる。

 ミローディアは少しずつ話をし、自分の考えを訴えかけ、仕事を斡旋したり、裏金で組織に所属する人間を仲間にしていた。

 ジンと手を組む前から、少しずつ仲間を増やして準備をしていたが、義手を受け取った時に最後の覚悟を決めていた。

 ミゲルが仲間に指示した「私を連れてくるように」という命令を、仲間に請け負って貰った。そして、自分が眠らされ、捕獲し、スイズの森へ輸送中という事にしておいた。

 これは大きな事だった。

 時間が生まれる。

 ミゲルは自分が落とした爆弾により、大きな戦争に勃発し始めた事を酷く気にしている。最後に会った時も、ずっと画面越しに、戦場を見つめていた。

 

 そして現在、ミローディアは黒い血を利用したショートカットで、先にロドピック内の探索を行っていた。

 一応自分も優秀な父親の血を引いている。

 考古学も勉強したし、特に数学は得意だ。

 考古学と数学はとても相性が良い。蟻の巣のようになっているロドピックを計測し、角度や通路の幅、天井の高さから、内部構造を予測する事が出来る。

 また、考古学では大きな視点での考えが重要になる。地図上で、水中のロドピックと、他のスイズの森にある四つのロドピックの位置を結んだ時、水中のロドピックだけ四角形の内側にあった。四角形は水中のロドピックと縮尺が一致した。

 縮尺を合わせ、水中のロドピックの外観と照合すると、地図上のロドピックのある場所は、ロドピック内の南南東、地下20メートルの部分を示した。

 四つん這いで洞窟を抜け、ひたすら場所を目指すと、一つの部屋に辿り着いた。

 終末の機械の場所はとても分かりやすい場所にあるが、これは非常に分かりにくい。

 ここに一体何があるのか、儀式に関わる重要な何かが隠されているはずだ。

 壁に四角形が描いてあり、辺の部分は太く溝が出来ている。四角形の内側には、正方形の古代文字のアルファベットが描いている石のパネルが敷き詰められていた。

 つまり、このアルファベットを溝の部分に入れれば良い。

 ロドピックは斜めだ。

 つまり、北は上(アノー)、東が右(デクシア)、西が左(アリステラ)で、南が下(カト)を指す。

 バラバラになっている古代文字のアルファベットを整えて、悪魔の名前に揃えると、ピッタリとブロックがあてはまった。ガコン、という音と共に、手前の壁が崩れて、奥に壁画が現れた。

 三本脚の巨人。

 この巨人が終末の機械だろうか。

 巨人を、臙脂(えんじ)色の炎のマークが囲っている。

 熱しているのか?

 巨人の胸には赤い目玉があり、そこに赤い剣が突き刺さっている。

 剣を突き刺している人型の上に、文字がある。


 πνεύμα

「精霊?」

 つまりこれは《火炎の中、精霊が赤い剣を機械の目玉に突き刺している》ことになる。

 壁画に手を伸ばすと、横に出っ張りがある事に気がつく。それを引っ張ると、石の箱が出てきた。

 蓋を開けると、赤いガラスで出来たような、美しい剣(レイピア)が出てきた。

 すぐにピンと来た。

 落胆する。

「‥保険、ね」

 本当は阻止できるような物やヒントが欲しかった。

 だが、何もないよりマシだ。

 柄の部分にはとても複雑な、線が交差し過ぎて黒い丸のようになっている刻印が、入っていた。

「まさか‥設計図」

 ミローディアは指を用いて床に描こうとするが、余りに複雑で線がぶれる。設計図自体の線が多すぎて、覚えられない。

 この二つは、起動した終末の機械を止めるのに必要な物に違いない。

 ダメだ。 

 これはあくまでも保険。

 絶対にミゲルとオシシの計画を阻止しなければ。

 ミローディアはロドピック内の探索に励んだ。



   ー



 トトは部屋を出て、再びジンを探し始めた。

 今は自分の事なんてどうでも良い。

 ジンを助けることが一番大事なことだ。

 四つ角を曲がった時、通路の先が朱く灯った。

 白い髭に、薄い身体。

 ランプを片手に、ゆっくりとこちらを向いた。

「オシシ…」

 今は精霊の服ではなく、魔法の国のローブを着ていた。

「ジンは何処にいるの?」

 オシシは無視して、唇の端を釣り上げて応えた。

 トトは走ってオシシの前に行き、言った。

「ジンを返して!!」

「少し話に付き合え。ここから先の道は複雑に分岐している。話を聞いたら、居場所を教えてやっても良い」

 トトは考えて、口を噤んだ。

 オシシは問う。

「お前は何故、みんなに嫌われていたか分かるか?」

「人の血が混じってたからでしょ。でもそれだけで嫌われるなんて、おかしい話だ!」

 オシシはトトを凝視すると、肩を震わせ、やがて全身を震わせて声を上げて笑い始めた。

「何が面白い!」

「ずっと見たかったんだ、お前が真実を知った時の、ショックを受けた顔がな」

 オシシは満足そうに深く息を継いで、前を進む。

「お前は精霊の役目を重視していたな?それならば言わせて貰うが、私のやっている行いは、何もおかしい事じゃ無い。むしろ、役目に沿っている。人間の祖先は生き残った悪魔だ。精霊が悪魔を駆除しようとするのは、むしろ道理に適っている。愚かな悪魔を庇うお前の方こそ間違っているのだ」

「…さっき不思議な壁画を見た。それによると、この星にいるのはみんな悪魔の子孫なんだ。それが本当なら、精霊だって元は悪魔だ。オシシの言う事はぜんぜん、どうでも良い事だ!」

 オシシはほう、とトトを見る。

「壁画を見たか。だが、よく理解できたな」

「ジンに古代文字を教わった。あすもでうすっていうのが、神様なんでしょ」

 オシシは無視して言う。

「お前は何故、人を助ける役目を重視していた?責任感が強く、いつでもその事を考えて行動していたじゃないか。お前のしていた事は、一体何だったんだ?」

「それは‥」

「お前は、何も意味のない事をしてきたんだ。《精霊の役目》に依存し、孤独と憎しみを誤魔化していた」

「…」

「悪魔の王、アスモデウスは、悪魔がこの世界に安寧の地を築くには難しいと考えた。その為、今まで平和が維持されてきた旧惑星と似たような社会を作る事にした。実際はこのように全く違う世界になってしまったがな。魔法は旧精霊達から盗んだ技術だ。多少の違いはあれど、精霊と人間の概念はこうして作られた。悪魔は直ぐに喧嘩をするから、その仲裁役として、精霊には特別な治癒力を悪魔の王から授けられただけの事。実際はただの悪魔だ。つまり、お前は悪魔だ」

 よく分からなくなってきた。

 急に自分自身が分からなくなった気がして、動揺する。

「お前が拘っていたものすら、意味が無かったという事だ。お前の中には何も無い。お前は何にもなれない、空っぽだ」

「そんな事…」

 オシシは持っていた長い杖で頭を殴ってきた。パチン、乾いた音がして、こめかみから血が流れた。

 何もない‥そんな事ない!

 ジンの言葉が蘇った。

 そう、あの時の言葉は自分にとって凄く嬉しいものだった。


ー トトは料理が上手だよな。料理人になれるんじゃないか?

ー 料理人?

ー ご飯を作って仕事をする人。本当に飯が美味いからさ


 トトは拳を握り、大声で主張した。

「私は…料理人になる!」

「は?」

 トトはオシシに飛び掛かった。

「や、やめんか!」

 杖をひったくった。

 オシシは拳銃を取り出し、トトに向ける。

 昔の記憶が蘇って身体が震えた。

 殺される‥!

 よろけて壁に手を着くと、そこだけ凹んでいて、何かの仕掛けを押してしまった。

 天井からガコンと音がした。

 見ると、四角く穴が空いている。そして、そこから大量の水が流れてきた。

「わっ」

 通路は一瞬で密閉された川となり、トトとオシシは流される。ふいに視界が開け、滝のような高所から、急落下した。ドボン、と落ちたのは深い滝壺のような水溜まりで、慌てて泳いで岸に腕を掛ける。

 その先には、人間の仕掛けるトラバサミみたいな、食虫植物のような形の機械が地面にあって、その外側に何かが落ちている。

 一つ、二つ。

 目を細め、トトは息を呑んだ。

 ジンとミローディアだ。

「ジン!ジン!!」

 岸辺に上がろうとしたその時、視界の端に、滝壺にうつ伏せに浮かんだオシシの姿が見えた。

 水面に叩きつけられて気を失ってしまったのだろうか。

 一刻も早くジンに駆け寄りたい。

 でも‥このままじゃ酸素が吸えずにオシシは死んでしまうだろう。

 トトは水の中へ戻った。

 オシシを担いで岸に引き上げてから、ジンの元へ向かうとすると、カチャリ、と拳銃を背中に当てられた。

「‥っ!」

「最後まで甘いなぁ‥‥クックックハッハッハゥハ」

 パン、と音が聞こえ、目を瞑ったが、痛くない。突き付けられた拳銃が地面に落ち、オシシは地面に両手を付いた。

 脛から出血している。

 いくら精霊でも、銃の傷は直ぐには治らない。

「い、痛い!痛い!痛い!おいトト、お前の血を分けろ!」

 その時、トトのこめかみから流れていた血が、蛇のように、ひょろひょろと出てきた。

 それは《真っ黒な血》で、自分の白い血に混じった呪いの正体だと直感で分かった。

 黒い血はそのままヒョロヒョロと地を這い、倒れたオシシの脛の傷口に溶け込んだ。

「ウアッ」

 その瞬間、オシシの血が真っ黒に染まる。

 オシシが顔を青ざめさせてもがく。

「死にたく無い!私は‥‥」

 喉を掻き毟り、目が赤く変色する。瞬間、体に鱗がビッシリと生え始め、オシシが上(アノー)に乗っ取られたのだと分かった。

 オシシはトトを突き飛ばして設計図の上へ突進する。

 トトはジンを見た。

「ジン!」

 ジンは目を覚さない。

 どういうこと?今の発砲はジンではないの?



 俺は驚いていた。

 今撃ったのはミローディアだ。

 俺より僅かに早かった。

 俺が意識を取り返した時には、すでにミローディアは倒れていて、俺は悩んだ末、ここに来た油断しているミゲルを仕留める気で、意識を失ったフリをしていた。

 ミゲルの目的が儀式の実行ならば、ここに来るに違いない。ミローディアもいて、その確信は強まっていたが‥‥もしかしてミローディアも俺と似たような事を考えていたのだろうか。

 それならば協力し、気を失うフリをする必要は無い、と思ったその時、水辺とは反対側、僅かに階段がある儀式台の上の石像が動いて、ミゲルが現れた。

 ミゲルもまた、俺と同じように悪魔に似た醜い外見をしていた。

 だが、意識は乗っ取られていない。ミゲルは変わり果てた姿のオシシを見て、僅かに足を止めた。

 そしてトトに視線を向ける。

「おとぎ話の真相を知ったのは、俺もついさっきの事だ。それなら精霊にも悪魔の因子があっておかしくない‥という事か」

 ミゲルがミローディアを担ぎ上げ、トラバサミの内側に移動させようとして、俺とミローディアは同時に発砲した。

 だが、ミゲルは黒い血を流しながらも、顔色を変えなかった。

 ミゲルは無表情から、鮮やかに色がついたような、嬉しそうな顔をした。

「悪魔の支配から意識を取り返し、見事に俺を欺いたお前達は流石だ」

 ミローディアがもがいてミゲルの拘束から離れ、連射する。

 次々に急所を撃たれるが、ミゲルは最後の一発を手で掴みとって言った。

「悪魔はこの程度では死にはしない。人間の肉体があったからこそ死線を潜り抜けるように悪魔が動かしていたが、こうなってはどうでも良いようだ。ほら、痛くないだろう」

 ミゲルはそう言ってミローディアと俺を撃った。

 痛くない。

 黒い血がじわりと広がっていく。

「ジン!」 

 トトが駆け寄ってくる。

「来ちゃダメだ!」

 どうやってミゲルを止める?

 俺は走ってきたトトを抱き止めた。

 思考を巡らせたその時、獣のように手をついて走って来たオシシが、ミゲルに飛びかかった。ミゲルは悪魔の脚力で素早く身を翻(ひるがえ)して躱す。

 オシシがトラバサミの中に入った時、地面が赤く光った。

 俺とミローディアは、トラバサミの機械の外側にいる。

 一体何に反応しているんだ。

 嫌な予感がして、距離を取ろうと後方に跳躍した時、トラバサミの外側に、更に地面に隠されていた巨大なトラバサミが、ガチン、と音を立てて閉じられた。

 俺達は閉じ込められた。

 真っ暗な闇。

 その瞬間、落下した。

 否。落下したと思ったのは、その落下速度の速さによるもので、実際は地面はある。

 エレベーターのような物に乗っているのか?

 トトがギュッと俺にしがみ付く。

 暗闇を出て、視界いっぱいに広がっていたのは、巨大な地下都市だった。

 沢山の種類の歯車がビッシリと辺りを覆い、塔のように大きい柱が並んで天井を支えている。天井はドーム型をしていて、木で出来ている。木組みで凹凸(おうとつ)を利用した建築で、当時の建築技術の高さが伺えた。

 辺りには、無数の小さな灯りが静かに灯っている。

 近づくと、歯車に付いた赤い目玉だった。

 それがくるくる回って、俺達を見る。

 謎のエレベーターは直進し、巨大な目玉の石造の前で停止した。

 バタン、とエレベータ―の蓋と窓が閉じ、天井が下がって来る。

 床の中心には丸く穴が空いていて、そこから伸びる管が巨大目玉の方へ繋がっている。

「…嘘だろ」

 余りの事に、全員が動けない。

 ミゲルは諦めた表情で、オシシは自分だけ助かろうと、未だに操縦席を探して辺りをキョロキョロ見回している。

 トトが腕を引っ張って言う。

「ジン、天井が下がって来るよ。ここから出た方が良いんじゃないの」

 上下、左右、全て触れて確認するが、分厚い石で囲まれていて、密閉空間になっている。

 上からゆっくりと、天井が降りてくる。

 理解したトトが、腰にしがみ付いて叫んだ。

「押し潰される!」

 ミローディアが朱いガラスの剣を差し出し、柄の部分に彫られた特殊な設計図を親指で示して言った。

「ミゲルが来る前に遺跡の中を探索して見つけたものよ。壁画によると、終末の機械を止めるには、この設計図と剣を使う。取り敢えず、この設計図が何らかの強力な魔法だと分かる。威力を信じて使ってみるしかない」

 悩んでいる暇はない。

 俺は剣を受け取り、設計図をよく見て、最短で描けるルートを頭の中で導き出す。

 ミローディアが紙とペンを差し出してくる。俺は受け取り、柱の部分に紙を押しつけて描いた。

 手が震えそうになるが、それを必死で押し留める。

 ウィーン、と音がして、天井が下がって来る音が聞こえる。

 絶対にトトだけでも助ける。

 集中力が飽和して、音が消えた。

 線と白紙。

 黒。白。

 直線。曲線。

 鋭角、直角。鈍角。

 手首を固定し、腕を正確に移動させる。

 脳に貼り付けた設計図を重ねながら最短ルートで線を引く。

 転写。

 そして、完全なコピーを完成させた。

 気づけば、既に天井の高さは1メートルもなく、無意識で俺含め、みんな這いつくばっている。

 トトを抱いて俺はペンで天井を指し、唱えた。

「オン」

 蒼い光が瞬き、天井にぶつかると、光が転換されて、バッと蒼い花弁が弾けるように散った。花びらは蒼い光を放出しながら、ドーム型のバリアの様なものを形成する。

 天井は下がるが、バリアの表面に飲み込まれるように消えていく。

「防御魔法‥!」

 二次試験のバリアのようなものと良く似ているが、これは物理の攻撃まで完全に防御出来る上位互換のようだ。

 助かった‥‥

 安堵したその時、オシシがエレベーターから飛び出した。

 内側からは透過しているのか。

 いつの間にか、明らかに操縦席、と分かるようなハンドルのついた、風防のある座席がポツンと目の前に現れていた。

 オシシが飛び込んで中に入ると、風防がバタンと閉じ、黒い血が内側で噴き出した。

 トトが悲鳴を上げる。

 操縦席は助かるというのは、嘘だったのか?

「大丈夫だ」

 俺はトトを抱っこした。

 オシシの黒い血液は、電線のようなものを経由して循環し、巨大な眼に注がれる。

 目玉に注ぎ込まれた血液が瞳孔に注ぎ込まれ、石像だった巨大な目玉が鮮やかに色づいて、ゆっくりと瞬きをした。

 それは静かな目覚めだった。

 激しい地震が発生し、地下都市が崩れ始めた。

 目玉の周囲が窪んで落ちて、金属と筋肉が融合したような銀色と赤筋の奇妙なものが見え隠れする。

 人間の筋肉と骨を想起させた。

 だが、それ以上、見ている暇もない。

 天井から崩れた石壁が降って来る。俺は跳んで、悪魔の力で強化された拳を振り上げて石を打ち砕く。

 足場が悪く、地震も続いているので、設計図が描けない。足場も悪く、跳んでも地上に戻れそうに無い。

 八方塞がりで唇を噛んだ時、上から声が聞こえた。

「ジン!!トト!!」

 見上げると、ロケットのような金属製の乗り物が急降下して来た。風防が空いていて、赤髪が覗いている。

「アロイ!」

 乗り物には、プロペラもエンジンも無いので、《浮遊魔法》を用いているのだと分かる。地面と衝突しそうになったところを、機体を捻って上げて、ギリギリで回避して着陸する。

 俺は笑って言った。

「遅かったな」

「は!?お前を探してたんだよ!咄嗟につけたトバトはトトだけだったしな!‥‥何だその姿」

「説明は後だ!‥その乗り物は何だ」

「魔法の国の飛行機だ!金属製だし、乗りこなせるのは千人に一人も居ないから全く普及してないけどな!ここまで来れたのが奇跡だ、運転代われ!」

 アロイに腕を引っ張られて操縦席へ座らされる。操縦と言っても単に最前列で固定された手摺(てすり)のようなバーがあり、視界が開けているだけだ。

 アロイがトトの腕を掴む。

「おいトト!お前は後ろだ」

 トトがアロイの腕を振り解いて隣に座ってくる。

「離れるなよ」

「うん!」

 アロイが残るミローディアとミゲルに怒鳴る。

「お前等も早く乗れ!」

 ミローディアとミゲルも乗り込む。

 ミゲルは無表情だった。微かに諦観の色も見える。

 頭上の風防がガチャンと閉まる。

 今まで身を縮こめていたトトが、目を大きくして上を見た。

「オン」

 《浮遊魔法》が起動して、乗り物が浮き上がる。倒れてきた柱を猛スピードで躱し、急上昇した。

 上から天井を支えていた平らな岩と共に、水が噴き出して落ちてくる。

 降り注ぐ石や瓦礫、降り注ぐ水がボコボコと側面に当たる音がするが、戦車などと違って装甲を薄くして機動力を確保する必要もないので、金属を取り敢えず溶接したような無骨さが飛行機の頑丈さに直結していた。

 レバーに捕まり、悪魔の動体視力で、崩れていない開いた場所に突っ込んで急上昇する。ロケット状で細長いのですり抜け易い。

 ふと見ると、周囲に壁に黒い古代文字が虫のように這いあがっている。

 文字は壁に付着すると、土砂崩れを発生させた。他にも歯車に張り付くと、歯車は分解されて、ただの金属の円筒となり、ボロボロと剥がれていく。

 何が起きているんだ?呪いの一種か?

 更に、その奇妙な黒い文字は、壁を伝い、凄い勢いで落ちてくる湖の水を、激しい白煙を上げて蒸発させた。

 今だ!

 水が入って来た天井の穴に突っ込む。湖の水が落ちてくるなら、外に繋がっているという事だ。

 意外にも水の抵抗は感じられず、少しして暗闇の中に光が見えた。

 湖の底を突き抜け、地上に出た。

 本来なら周囲にスイズの森が広がっているはずだが、草原…いや、手前から黄土色の何も無い平らな土壌が広がっている。奥の方に行けば草原があるが、これも奇妙な古代文字のせいで、植生に変化が起きてしまったようだ。

 トトが言う。

「時が戻ってる‥」

「…何だって?」

 そんな事あり得るのか?

 綺麗な水は、奇妙な古代文字で溢れ返り、どんどん干上がっていく。

 トトが風防から外を見て、悲しそうに言った。

「世界が古代に戻って行きます」

「生物はどうなる?」

「スイズの森には沢山生き物がいますが、見渡す限り、一匹も居ません。私の故郷も…無いです…じいじ、ばあや…」

 荒野は広がり、地割れが発生する。

 そこから毛虫の様な形をした機械が這い出てきた。

 俺が絵の中の遺跡で見た、背骨が飛び出たような長い、とぐろを巻いていた機械だ。

 側面に目玉がある。機械が移動する度に、木々が薙ぎ倒され、機械から発生している奇妙な黒い古代文字のようなものが大地に波及し、時を古代に戻す呪いが広がっていく。

 怪奇な機械は、街がある南の方へ向かっていく。

 人間もこれに触れたら、幼児に戻り、赤子に戻り、胎児に戻り、何も無い死へと遂げてしまうのだろうか。

 俺は振り返って言った。

「おいミゲル、アレをどうやって止めれば良いんだ。お前はひたすら調査してきたんだから、何か知っているんじゃ無いのか?」

 ミゲルは項垂れて沈黙している。

 アロイが指差して言った。

「なんか居るぞ!」

 ソレは、ゆっくりと頭を持ち上げて、起き上がった。

 地鳴りがして、遥か遠くまで地割れが起きる。亀裂から、古代文字が噴出する。

「三本脚‥」

 銀色の骨と朱色の肉が絡まり合い、まるで人間の様な様相を呈していた。

 三本脚の機械は完全に立ち上がると、頭が見えない程に大きく、俺はその正体を完全に捉えるべく、雲の上に上昇した。

 月が顔を出すかのように、巨大な横顔が見えた。

 笑っている。

 生物として非効率的な理由から、選択されなかった三本脚の進化系。いや、これは機械だから命は無いのだろうか。

 新しい世界を創り出すのに相応しい威容。

 機内に沈黙が落ちる。

 これを‥一体どうしたら良いのか。

 絶望を感じたその時、視界の端に何かが見えた。

 終末の機械とは反対方向、後方の空中にポツポツと漂っている。

 近づくと、人が乗っていると分かった。

「「父さん!」」

 俺とアロイの声が重なった。

 大きな魔法使いの国の救命ボートだ。

 沢山の兵士を乗せている。ローブを着ていない、機械の兵士もいる。

 協力して生き延びたんだ‥!

 父親が言う。

「ジン、無事か」

「あぁ!あの機械達が放出しているのは、時を戻すものだ。触れたら草木は生える前に戻るし、人間も同じように生まれる前へ、おそらく消失する」

「‥‥絶対に進ませてはならないな」

 こうしている間にも、三本脚の機械とその取り巻きは街を目指して進んでいく。

 俺は閃いた。

「あれが古代の機械なら、二次試験の発掘された機械のように、悪魔の俺を追いかける可能性があるかもしれない。俺が囮になる。その間に避難をしてくれ」

 父親は頷く。

「市民の避難を優先させる。後方の海辺は安全だろう。ボートを使う」

「了解。トト、向こうに移ってくれ」

「やだ!ジンと一緒にいたい!」

 トトが俺にギュッとしがみ付く。

「トト…」

「ヤダ!」

「良い子だから、待っててくれ。絶対に戻ってくるから」

 俺が頭を撫でて言っても、トトは首を振って泣き出す。

 困った時、低い声が言った。

「…作戦がある」

 機内から立ち上がったのは、ミゲルだった。

「作戦?今決めたのじゃダメなのか?」

 ミゲルは先ほどとは違う、しっかりした口調で言った。

「終末の機械を止める。その為に海側に行ってはいけない。終末の機械は止められる。止める事を目標に、動くべきだ。本当なら俺達も生贄になっていたはず。オシシの血液で、本来の力の四分の一なら、機械の復活は不完全だ」

「止められると思う根拠は?」

「機械の停止には幾つかの条件が必要だ。それが全て満たされれば、止められる。まず、古代の機械は火に弱い。ミローディアが壁画でも確認している」

 アロイが言う。

「あんなデカいのに火炎魔法を当てたって、無理なの分かるだろ」

「爆弾を使う。俺の開発した高熱の爆弾だ」

「まさか、タマオアイのことを言っているのか?」

「そうだ。タマオアイの北部の爆撃は試験的なもので、本来の威力の20分の1だった。それでもあの威力だ。つまり、全てを用いれば、爆心地の中心部で10000℃を裕に超えるだろう‥これがどの位かと説明すると‥」

 俺は答える。

「太陽の表面温度は5700℃。まったく未知の高熱だ。けど、そんなの地上で出来るのかよ」

「地下施設で開発を進めていた。そこに全て格納している。ここから北に直進した、海の中だ。施設の中に酸素を入れれば、中で勝手に爆発する」

「それで海側がダメだと言ったのか」

「そういう事だ。激しい爆発が起き、数キロ単位で辺り一帯は何もなくなるだろう。そして、単に爆弾だけでは機械は破壊できない。業火とそしてミローディアの話によれば、機械の胸部にある目玉に先程ミローディアがジンに渡した赤いガラスの剣で、精霊が止めを刺さなければならない」

「‥‥は?なんで精霊じゃなきゃいけないんだよ、目玉に剣を突き立てるなら、むしろ俺の方が良いだろ」

「人間はそう思うが、過去の悪魔達は何か考えがあったのかもしれない」

 その時トトが言った。

「今いる人間も精霊も、元は悪魔だから、精霊はいないよ。それ、おかしいよ」

「その通りだ。あの遺跡は全てが終わり、記録のために悪魔達が残したものだ。だから再起動してしまった場合の対処法も描いてある。つまり、悪魔の中での精霊は、今の精霊という認識で問題ない」

「いずれにせよ、トトはダメだ」

 ミゲルは滔々と言う。

「《防御魔法》を完全に展開すれば、問題は無い。故に、《防御魔法》を起動できるお前がトトを抱え、目玉の部分に突っ込んで、トトが止めを刺せばお前たちは助かる」

「さっきの数秒でもキツイんだぞ、トトを危険に晒す訳にはいかないと言っているんだ!」

「ジン、私、やります」

 トトが俺を押し退けて前に出る。

 ミゲルが俺を挑発した。

「それともお前は、トトを守れる自信が無いのか?」

「‥‥」

 トトが両手を開いて言う。

「ジン、もしジンが刺してダメだったら取り返しがつきません。だから合理的に考えて、私が一緒にやった方が良いと思います」

「でも」

 ミゲルが肩を竦める。

「トトの方が冷静だな」

「ジン、私は大丈夫です。だってジンが守ってくれますから」

 トトがお腹に抱き付いてくる。

 俺は逡巡し、言った。

「分かった。必ず終末の機械を止め、世界もトトも守ってみせる」

 みんなが静かに頷く。

 ミゲルが言った。

「ここから北北東の海に向かってくれ」

 俺はトトと視線を合わせて手を繋いだ。

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