第152話 黄昏の風
(4)-1
男子シングルのフリースケーティングと女子シングルの予選は同日だった。
直前練習のために市内の練習用リンクに向かう車の中で、伶里は誰に言うともなくぐちった。
「この予選っていうのが本当にハードですよね。せめてショートプログラムにしてくれればいいのに」
車を運転していた連盟スタッフが言った。
「再来シーズンから、廃止になるらしいよ」
「え、そうなんですか」
伶里の隣に座っていた廉士も口を挟んできた。
「僕もそれは聞きました。何かね、六点満点の採点は今じゃ旧採点って呼ばれてるし、それを聞くと自分がひどく年を取った気がします。今はこの競技が大転換期を迎えている時代なんですね。今はまだ混乱している状態だけど、トリノオリンピックが終わればすべてが落ち着いて、新しい時代が始まるという気がします」
壮大な話を淡々と語った。聞いていてふいに伶里は、寂しいとも切ないともつかない感情に襲われた。
「旧採点」という呼称に対し、伶里も廉士と同じ感情を抱いていた。トリノオリンピックのシーズンが終われば完全に新しい時代が始まるという考え方にも同感だった。
自分の五輪への挑戦がどのような形で終わるのかはわからないが、競技者としての活動は来季限りだと伶里は決めていた。経済的な問題は言うまでもないが、肉体が競技者としての運動に耐えうるのもあと一年が限界だろうからそのことに迷いはない。
しかしいざこういう事態を迎えてみると、まるで新時代の潮流に押し流されての退場であるかのようでひどく複雑な気分になる。
ふいにイリヤ・バシキロフのスケートが脳裏に浮かんだ。あの華麗で奔放な演技は、今ではどこに求めようもない極上の贅沢品だけで構築された、修復も複製も不可能な古い壮麗な宮殿のようだ。
この現代に存在に堪えうるものではないような気がするというのは、言い過ぎだろうか。
更衣室には既に先客がいた。黒いスパッツと密着性の高いシャツをまとった長身の女が、プラチナブロンドの髪をまとめながら、恐ろしいまでに整った顔を向けてきた。
新しい欧州女王のブリジット・クレソンだった。今大会の優勝候補であり、伶里とは四年ぶり、二度目の顔合わせだった。
十七歳の頃にはまだあった若干の幼さが今では完全に消え、映像や写真では見ていたが実際に前に立つと、あまりの秀麗さに少し緊張してしまう。
その整った唇が動き「ボンジュゥフ」と言った。「あ、どうも」と思わず日本語で答えてしまい、決まり悪さを感じた時には相手はもう流暢な英語で話しかけてきていた。
「四年ぶりね。ウィンター・ナショナル・スポーツ・フェスティバル優勝、おめでとう」
「……ありがとう。あなたも、欧州選手権優勝おめでとう」
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