第153話 崇拝される者・高栄養な辛口野菜

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 本来なら聞くたびに大きな歓びをもたらすに違いない賛辞を、もう受けすぎて慣れてしまったとでもいうのかクレソンは眉一つ動かさず、

「メルシ。あなたも、大会でトリプルフリップ・トリプルループとダブルアクセル・トリプルトゥを決めたそうね。連盟の人から聞いたけど、ワールドでタイトルを争えるレベルよ」

 苦笑した伶里の耳に、「でも」という言葉が飛びこんできた。

「成績として記録に残るのは順位の数字だけだし。そもそも世間の人が気にするのは当時の点や演技の内容ではなく最終順位と、もっと言えば大会の名前だから」

 伶里の表情にも頓着せず、クレソンは続けた。

「去年の世界選手権もそう。あの女子シングルは、とてつもなくつまらなくて、面白い試合だったって言われてるの。最高の演技をして、最高の点数と満点を獲得した人間が六位内にも入れないなんて、ね」

 クレソンは一旦言葉を切り、伶里を見た。冷たさが一瞬緩んだような気がした。

「私もあのアランフェスを見たわ、病院のベッドの上で。色々な意味で奮起する気になって、リハビリにも力が入った。本当に素晴らしい演技だった。あの演技内容であの順位はおかしいって、私の周りの人間も言ってる」

「ありがとう……」

 頬が熱くなったのを感じた伶里に、

「でも、ショートで出遅れるのも実力のうちだし」

 とクレソンはびしりと言った。

「教訓として、どの段階でも気を抜いてはいけないということよね」

 伶里はまた不愉快になった。一年も前のことを蒸し返され、あの時の苦い思いがまたよみがえってきた。当然のようなことを、三つも年下の人間に説教めいた口調で言われるのも癪だった。

 しかし、そういう当たり前のことこそ肝に銘じられず、忘れがちになるのかもしれない。何より、年下とはいえトップクラスの選手の言うことなのだ。実感がこもりすぎている。

「ありがと。その気で頑張る」

 静かに応えてロッカーを開け、座りこんでスポーツバッグのファスナーに手をかけた伶里はもう着替えが終わったはずの相手が立ち去ろうとしないのに気づいた。訝しく思った伶里の耳に、またクレソンの声が届いた。

「私は、あなたを倒すためにこの大会に来たのよ」

 驚いて顔を上げた伶里に、冷たい顔でブリジット・クレソンは、

「もちろん一番大きな目的は、世界チャンピオンになってトリノで金メダルを獲る布石にするためだけど」

「あーそう……」

 クレソンはロッカーにもたれた。長い話をしそうだと伶里は思った。

「四年前のサンフランシスコ世界選手権……覚えてる? フリーで、あなたは私の前に滑ったわよね」

 クレソンは淡々と語った。

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