第143話 ワールドシェイカー・ロケンロー

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 男子シングルは一位イリヤ・バシキロフ。採点方式の変更という激震を超えてもその強さは変わらない。

 年を重ねてもジャンプは高く確実で、ステップワークも表現力もいや増すばかりだ。もはやこの俗世間に一ヶ所だけ開いた天上界への通路というべき存在になっている。

 そして二位がレオ・ウィリスという構図は、前回ワールド以来バシキロフとウィリス二人が当たる試合では必ずそうなる組み合わせだ。

 レオ・ウィリスは伶里がワールド銀メダルを獲得した〇一年度に世界ジュニアで優勝し、ソルトレイクシーズンにシニアデビューしたアメリカ男子シングルの新鋭だった。昨年のワールドでは、十九歳の初出場でバシキロフに次いで銀メダルを獲得した。

 一八六センチの男子シングルでは稀な長身と男性的な風貌はそれ自体個性的だが、その演技を大会終了後に映像で観て、伶里は思わず身を乗り出した。

 プログラム曲は映画『パルプ・フィクション』のメインテーマ「ミシルルー」。

 銃撃音やバイクのエンジン音を混ぜ、具体的なパントマイムも取り入れたユニークな内容だ。バシキロフなら決して選ばないであろう曲と振付だったが、伶里が目を惹かれたのはその迫力だった。

 イリヤ・バシキロフの演技は限りなく美麗で高貴、欧州美の権化のような表現が身上だ。しかしただ綺麗なだけではなく、テレビで観ていてもまるで画面から飛び出してくるような力強さがある。

 バシキロフの演技にだけ伶里が覚えてきたその感覚を、昨年のレオ・ウィリスの「パルプ・フィクション」は放っていた。

 そして今シーズンのウィリスのフリーは、前年度以上に衝撃的だった。

 「ノーミュージック・プログラム」と通称されているそのフリーには、音楽がない。

 フィギュアスケート試合の基本概念を裏切る無音の中、二十歳の全米王者は何食わぬ顔で平然と氷上を滑走し、ジャンプを跳び、スピンやステップをこなしていく。それに合わせて時折、滑走や着氷や回転動作を想起させる強調的な音が立つ。

 雄大でエッジの深い、観ているだけでこちらの心も伸びやかになるスケーティングに埋め込まれた技が、効果音にぴたりとはまって印象を劇的に高める。超絶技巧の博覧会に魅入らされ、気付いた時には四分半が終わっている。

 楽曲世界を表現するためにスケートの技があるのではなく、技の披露がそのままひとつの芸術の域に達している。こちらの固定観念も揺さぶられ、観終わった後、自分の周りの世界がどこか違って見える。

 今シーズン、バシキロフは前半まで昨年度のフリーを再使用していた。年明けになって公開した新プログラム「牧神の午後」は彼のキャリア上かつてない官能性を盛り込み、新機軸と言われている。

 もしかしたら、長野五輪から今までどんなベテランにも新人にも脅かされることなくきて氷神にまで成り上がった男が、初めて押される感覚を覚え、変化の必要に迫られたということなのか。

 それとも転変のタイミングとウィリスの台頭がたまたま重なっていただけか。

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