第141話 喰うか喰われるかの音楽
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ベッドに脚を投げ出して、壁にもたれたまま伶里は口元を曲げ、『スケーターズ・ワールド』を勢いよく脇に置いた。
英文だから拾い読みだが、要するに「リズム感がないからまったくプログラムをこなせていない」ということだ。
小卓の上には同じ雑誌の二月号が載っているが、先刻に目次を見た限りでは欧米の大会に関する記事しかなかった。日本の冬季国体のことなど載っているはずがない。
伶里が今いるのは韓国ソウル市内のビジネスホテルの一室だった。同行の連盟役員に貰ったアメリカのフィギュアスケート専門誌の独立コラムに自分の名前を見つけた時には嬉しくなったが、読み進めるうちに落ちこんでいった。
雑誌を置いてしばらくそのままでいたが、記事は少なくとも、的外れなことは言っていないと思い始めた。特にグランプリシリーズについての記述には、耳が痛い。
オリンピックシーズンの前年である今季は、波乱の幕開けとなった。
世界ジュニア選手権で女子史上初の四回転ジャンプに挑み、転倒には終わったものの完全に四回まわりきり、他のジャンプは高度なコンビネーションを含みすべてクリーンに決めて優勝した、ハンガリーの新鋭アゴタ・レムのためだ。
ジュニアの時代から、練習では相当な確度で成功していたという四回転ジャンプにグランプリシリーズの初戦、スケートアメリカで早くも挑み、両足着氷になった。
披露されるたびに完成に近づいていく四回転とその持ち主を、世界中のスケートファンが固唾を飲んで見守った。しかし、次のロシア杯では封印した。
だが彼女は、四回転の有無に関わらず高得点を叩き出せるハードジャンパーだ。二位入賞し、グランプリファイナルへの出場権を手にした。
四回転というのは、男子シングルにおいてさえ悪魔的なまでの魅力を放つ技である。ましてそれを、十六、七の少女が跳ぶというのだ。スケートファンの間で一躍時の人となったアゴタ・レムだったが、リンク外でのかたくなな態度に変わりはなかった。
その熱狂の陰で、伶里の成績は振るわなかった。自分では必死に努力しているつもりなのだが、音楽に身体がついていかない。
スタッカートの音の連なりがリズム感の無さをあぶり出し、観ている者にも伶里自身にも、これ見よがしに突きつけてくる。見た目の悪さだけならまだしも、ジャンプが決まらなくなるのは大きな問題だった。
初戦のスケートカナダでは、十一人中七位という惨敗に終わった。ジャンプが決まらないことと合わせ、昨季は七点台をもらえていた演技構成点に五点台が出たのには落ちこんだ。
その後出場したロシア杯で、アゴタ・レムという規格外の選手を含め、皆が滑りやすい音楽で演技をする中で順位を上げて四位になった。
たとえよそから見れば表彰台落ちだろうと伶里にとっては快挙であり、大躍進だった。構成点も上がり、何よりジャンプのタイミングもある程度つかめるようになってきた。
曲の難しさを考えれば、プログラムになじむのが遅いという癖は昔に比べそれなりに改善されてきているのかもしれなかった。
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