第4話 スケートカースト

(3)-2

「ああ、あ。やっぱりこうなったか」

 それほど悔しがる風でもなく、環が呟いた。

 試合開始から四十分余りが経過し、最終グループ六人のうち五人が演技を終えている。天井から吊るされた巨大モニターには各選手の得点と暫定順位が表示されていた。

 レオ・ウィリスが現在首位に立っているのも、環が五人分繰り下がる形で六位になっているのも、まずは予想できたことだった。

 しかし順位よりも、その脇に表示された得点の意味をこの十八歳の全日本チャンピオンは理解しているのだろうかと雅之は思った。

 五人のうちただ一人転倒したイタリア代表のジョバンニ・モラヴィアが現在五位となっているが、それでも六位の環に十点以上の差をつけている。

 それが転倒したモラヴィアとノーミスの環の差であり、ひいてはトップ選手と中堅選手との差でもあった。

 その差を埋めることがどうしてもできない。俺にとってはなおさらだ。

 雅之は歯を噛みしめた。何を言っても他人にはとうてい聞かせられない醜く惨めな繰り言にしかならないが、心の中で思う位は許されるだろう。

 四年前のこの時、俺もこのオリンピックの最終滑走グループにいたはずなんだ。

 だが当時の彼がいたのは病院のベッドの上だった。それだけではない。激しい悔恨が突き上げてきて雅之は目を堅くつぶり、すぐに開いた。

 考えに没頭していた身にもはっきりわかるほど、周りの空気が急変していた。リンクサイドに氷神が姿を現したのだ。

 端麗な面ざしは相変わらず穏やかで、会場の緊張は彼の心には決して届かないとでもいうようだ。


 人々が静かに興奮を高めるのにはわけがあった。最高のフィギュアスケーターの現役最後の演技であるとともに、これから演じるフリープログラムは今季まだ一度も披露されていない新作なのだ。

 グランプリシリーズでも欧州選手権でも、フリーでは昨季のプログラム「牧神の午後」を再使用していた。

 五輪プログラムの曲は、タイトルだけは発表されていた。モーツァルトの「ジュピター」交響曲第四十一番。

 ありとあらゆる賛辞で呼ばれる真の天才の交響楽群の掉尾を飾る、音楽史上不滅の名曲である。期待が高まる条件はこれ以上はないというほどに揃っていた。

 だが会場の緊張に確かに染まりながらも、雅之の頭はまだ先刻までの思考をひきずっていた。

 ふと、現在一位のレオ・ウィリスよりも四位のペール・ハルコネンの方が選手として立派なのかもしれないという思いがした。

 四年前ソルトレイクで最終滑走グループ入りし、今回も同じく最終グループに入った、バシキロフを除けば唯一の選手であるからだ。

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