第3話 寒色と暖色のあいだ

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 すり鉢状の大空間であるパラヴェーラ競技場の内装は、イタリアらしさを全開にして鮮やかな赤とオレンジを基調にしていた。

 寒いリンク内では暖色の内装はありがたい。選手にとって緊張というものはなにをしてもほぐれないものではあるが、青のような冷たい色に包まれるよりはよほどいい。

 ソルトレイクはその意味で最悪だった。あんな寒色一辺倒の内装では、心も冷え切ってまともな演技はできないに決まっている。

 雅之がソルトレイクに抱く思いには私怨に近いものがあった。

 もし四年前出場して上位入賞していたら、当時の彼には本来それだけの力があったのだが、とにかくどんな結果になってもそれで競技を引退していただろう。

「加藤さん、いよいよですね」

 環の言葉に雅之は我に帰った。直前の氷上練習を終えた六人の男たちがリンク出口に集まっている。

 ドラキュラのようなタキシード姿や褐色肌の海賊に至るまで肌の色も扮装も様々、オーラを放つ最高のスケーターたちがただの挑戦者として一ヶ所に押しこめられる。ある意味試合中よりも異常な瞬間だ。

 彼らの放つ緊張が離れて見ているこちらにも伝わってきて、関係ないはずなのに身体の内側が震えてくる。だがその六人の中で、静かで穏やかな表情を崩さないでいる人間がたった一人いた。

「本当にすっごいメンツですよねえ。面構えっていうか、あの六人だけで軍隊相手に戦えそう」

 環がのんびりとした口調で声をかけてきた。思わず気を外された感じがして、雅之は苦笑した。

「何言ってんだよ。でもま、レオ・ウィリスなんかはそんな感じだよな」

 ドラキュラ風タキシードの姿は六人の中で一際目立つ。アメリカ代表レオ・ウィリス。

 十七歳で出場した前回ソルトレイク五輪では十位に終わったが、その二年後には全米選手権で優勝する躍進をとげ現在三連覇中、世界選手権では連続銀メダル獲得のスケート界の若き重鎮である。

 スケート靴を履いた状態では上背は百九十センチに迫るシングルスケーターには稀な体つきの逞しさとともに、猛禽のような鋭い目が印象的だ。

 だが見ていて目が自然に吸い寄せられるのは、ウィリスにではなかった。

 会場全体を支配するこの重圧感の源である六人の中でただ一人、平静に落ち着いた男だった。

 男子シングル選手には極めて珍しく、髪を背中まで伸ばして一つにまとめている。

 前回ソルトレイク五輪の優勝者、あらゆるタイトルを総なめにしそのあまりの強さから「氷神ひょうじん」と呼ばれた生ける伝説。

 今大会限りでの競技引退を表明している、古豪ロシアの生んだ史上最高のフィギュアスケーター、イリヤ・バシキロフその人だった。

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