第36話

反社会的魔法組織【無色の紙】に属しているクリスは妖精騎士が四人も現れた時、彼は半ば本気でこのまま全力で逃げてやろうかと考えた。


だが、撤退は選ばなかった。この時点ではまだ勝機はあると考えていた。


それも直ぐに間違いだったと、傭兵として誤った選択をしたのだと直ぐに思い知ることになった。


バルドとロッズの二人が相性もあったとはいえアッサリと倒された。これはマズいと思いながら、眼の前の妖精騎士の猛攻を防いでいるとスミスの切り札が登場し、これで少しはましになるだろうと思っていた。


だが、スミスの切り札の巨大ゴーレムの魔力砲撃が自分達ごと撃つつもりで発射されると分かった時、クリスは即座に撤退を決めた。

そして、まさに自身の魔導書から転移の魔法を使おうとしたタイミングだった。


目の前にいるダンティと名乗る妖精とは思えないオッサンの肉体から放出される高密度の魔力に身体が恐怖で動けなくなったのは。


「I♡フィールド!」


ダンティは――きゃるん♪ という効果音が出てきそうなウインクをしたかと思うと手でハートを作り、両手を空に向けてそのピンク色の魔力で出来たハートを打ち出した。


そして、ハートはクリスとライ。ダンティと妖精騎士レイドをスミスの巨大ゴーレムの魔力砲撃から無傷で守り切った。


「流石はダンティ様だ」


クリスは魔導士として魔力はそこまで多くない。


一流と呼ばれる魔導士ではあるが、一流でも下位の魔導士だと自身でも理解している。


だが、今この場にいる理由はアーシャと言う恨みを持つ女を倒すため。


「妖精騎士レイド」

「なんだ?」


クリスはメガネの位置を直して、魔導書のページを一枚ちぎり、こう告げた。


「帰ります」


妖精騎士レイドが反応する前に、魔導士クリスは妖精騎士とダンティ、ライの目の前から姿を消した。


それは、復讐の為の勇気ある撤退とも言える判断だった。





ある意味では必殺の魔法でもある転移魔法。

地球上には様々な転移魔法が存在するが、武から言わせれば「使いづらい、それと妨害を受けやすくて怖い」というレベルの魔法だ。


武はチート能力の神の恩恵を受けた転移魔法。武の転移魔法はどこでも好きなところに無条件に転移出来る魔法ではない。


武も面倒だな。とは思っているが、自身の才能が影響しているので諦めている。


武の転移魔法は本人が一度行ったことがある場所にしか転移出来ない。


仲間の勇者は頭に思い描いた場所に瞬間移動出来る勇者もいる。


便利な魔法であるから、武が警戒している魔法の一つだ。


だからこそ、武は事前にこの港の周囲に網を張っていた。


魔法犯罪者を逃がさないようにするために念のために網を張っていたのだが、まさかこうもアッサリと捕まえられるとは武も思わなかった。


「ねぇ、この男。顔が凄いことになっているけれど大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ」

「涙と鼻水で凄いけれど、何があったの?」

「一定の距離。大体二十キロくらいかな、一気に転移魔法で移動すると発動する捕縛用のトラップ魔法だよ。使い魔のいっちゃんの家に落ちるようにしておいたんだ」

「いっちゃん?」

「巨大海洋ローパーのいっちゃん。色々な毒を使えるんだ。捕縛もお手の物」

「それ、絶対に地上では出さないでよ」


アンネが力強くそう言うと武は苦笑いを浮かべながら、何度も頷いていた。



「ええ、はい。分かりました」


ダンティは右手を右耳に当てながら、武から送られてきた念話にそう答えた。


「レイド、残念だけれど。逃げたクリスと言う魔導士はご主人様が捕らえたわ」

「不覚を取りました」


まだ、傭兵のライが居る為馬から降りずそう告げるレイド。だが、その声色は今にも馬から降りて土下座しそうなほど深刻なモノだった。


「いいえ、既に貴方はクリスと戦い武を示していたわ。逃げた魔導士の方に問題があった。追いかけっこは騎士の仕事ではないわ」


ダンティはレイドにそう声をかけながら、金色のワーウルフへ一歩近づく。


「ちょっと想定外だったけれど。そろそろ本格的に始めましょうか」

「……そうだね。ボクとしてもこれは使いたくなかったけれど」


ライは牙を剝き出しにしながら右手で自身の胸を強く叩いた。


「――レイド、下がりなさい」

「ダンティ様!」

「邪魔よ!」

「――っ、ははっ!!」


ライが自身の胸を強く叩いた瞬間。ライの身体から膨大な魔力が溢れ出てきた。

その量はダンティが先ほど使用したフィールド魔法を遥かに上回る。




「ちょっと、あれって神気も混じってない?!」

「そのようだ」


焦りの声を上げるアンネに、武は冷静に返した。

武は既にライの体の中に何があるのか知っていた。

だから焦る必要はない。


仮にダンティの首が刎ねられても武は冷静に対処するだろう。

それだけの死と様々な経験を積んできている。


「あ、あれって」

「金色の狼、まるで神を食らったフェンリルのようだな」




ライはワーウルフと呼ばれている種族だ。

幼い頃に孤児となり、裏社会で奪い、奪われる生活をしてきた。


彼が裏社会で生き残れたのは、自身の才能と血のおかげだった。


彼には伝説上の狼の血が流れているようだった。

とは言え、それは水の入ったグラスに数滴垂らした程度の血の濃さだった。


それでもライが戦い、勝ち残っていくには十分な量だった。


音速に匹敵するほどの速度。

素手で装甲車を破壊できるほどの力。

戦車を破壊できるほどの攻撃魔法を防ぐことのできる毛皮。


彼は世界でも上から数えた方が早い実力者だ。

そして、その彼の切り札は。


「牙?」

『そうだ。フェンリルの牙だよ』


ダンティと戦うためにライは路線バスサイズの金色の狼へと姿を変えた。

その気になればもっと巨大化できるが、人間サイズの敵に対しては戦いにくい。

それ故にライはこの大きさにした。


『ボクは今、神を食らうことも出来るフェンリルとなった』


神々しい黄金の毛並みを見せつけるようにライは言った。


『もうお前にボクは倒せない』

「……そう。なら、さっそく始めましょう。あまりその状態で戦えるわけではないみたいだしね」

『――っ?!』


ダンティに自分の状態を看破され、ライは驚き笑った。


コイツの見てくれに騙された。出てきた瞬間に、この状態となって全員で殺しにかかれば。いや、まだだ。とライは遠吠えをした。


『いくぞ、妖精! お前を殺した後は、後ろの騎士達だ。それが終わり次第アーシャとその姪も殺す!』

「ええ、殺せたらやってみるといいわ」


それは常人の眼では終えない神速、その速度で牙を用いた一撃必殺の突進。


だが、その突進をダンティは正面から受け止めた。





「ええっ!?」


黄金の狼。フェンリルとなったライがダンティに突進した。

俺は眼で追えたけれど、アンネは無理だったのだろう。


アンネの眼では、ライが消えて次の瞬間にはダンティがフェンリルとなったの巨大な犬歯を抱きしめながら、力比べのような形になっている姿だ。


「ど、どうなっているの?!」

「フェンリルとなって神速で牙の一撃、仮に避けられても質量で吹き飛ばすつもりだったのだろう」


けど、真っ向からダンティに受け止められた。




『馬鹿な!?』

「良い一撃ね。けれど、それじゃあ次はわたくしの番ですわ!」

『――っ!? 離せ!!』


ライは即座に頭を振るい、ダンティを引き剥がそうとした。だが、ダンティも自身の頭もピクリとも動かなかった。

ライはダンティがまるで巨大な山のように見えた。


『ありえない!!』


フェンリルの牙の力を全開にした。自身の肉体のダメージ。魂へのダメージも無視して全力でダンティを引き剥がそうとした。


『何故だ!!」


ライの考えでは、神獣となった自身の一撃なら、妖精ダンティを一撃で殺せる筈だった。

どれだけ強くても、神の力には及ばない。


絶対的な自信があった。

偶然手に入れたフェンリルの牙だった。

力に振り回されながら、意識を保ったままフェンリルとなれるようになるまでに多くの寿命を使った。


その魂を賭けた一撃があっさりと受け止めれた。


そして、終わりが訪れる。


「I♡流 奥義!」


『止めろ!」


「お帰りなさい、ご飯にする?」

――ミシッ!


『お、おい!』


「お風呂にする?」


――ミシッ


『ま、待て!』


――ミシッ


「そ・れ・と・も」


ダンティは囁くようにこう問いかけた。



――ワタクシイイィィッッ!!!!



ダンティは魂の奥底から響かせる魂の叫び声をあげながら、オリハルコンを越える硬度を持つフェンリルの牙を根元から、抱き潰した。


牙を抱き潰されたライは化学工場で薬品が爆発したような、大絶叫をあげながら気を失い。元の人の姿に戻り。



こうして、港での戦闘は終了となった。




「…………」

「アンネ?」

「…………」

「アンネ?」

「……武」

「なんだ?」


アンネは泣きそうな表情で武を見詰めながらこう問いかけた。


「妖精って何かしら?」

「ファンタジー」


武の即答にアンネは反射的にグーパンチを武の顔面に叩き込んだ。

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