第19話

麻山美波の向かいの家に引っ越してきた人間がいるのが分かったのは、武とファミレスでパフェを食べた日、麻山が家に帰って小一時間ほどしてからだった。


美形で知的な雰囲気の白人男性と小学生くらいのプラチナブロンドの美少女の親子が家に引っ越しの挨拶に来たのだ。


日本語が少したどたどしいが、ちゃんと日本語が話せる男性の名前はディスマス・フロラキス。娘の名前はイオン・フロラキスと名乗った。


風が吹くと綺麗なセミロングの銀髪がキラキラとして麻山は思わず見惚れてしまった。


白人男性に比べて女の子の方は日本語が不得意なようで、麻山が声をかけるとたどたどしい「こんにちは」と言った後は、麻山を怖がるように父親の影に隠れていた。


引っ越してきた美しい親子と挨拶を終え、それから数日後のこと、麻山は家に帰っている途中で、俯きながら道を歩いているイオンを見かけた。


彼女はイオンの様子が気になったので、イオンに話しかける。だが、イオンは日本語が上手くないので、中々お互いに話が伝わらない。


そこで麻山は翻訳アプリをダウンロードし、なんとか会話をしてみるとイオンは日本語が上手く喋れず、クラスになじめないことが分かった。


後で麻山は知ることになるが、本来はちゃんと対応出来る学校に転校するつもりだったが、父親の仕事の都合で普通の学校に転校する羽目になってしまった。


麻山はイオンが悲しんでいるのを見て、昔の自分を思い出し、麻山はイオンに日本語を教えることにした。


それから、イオンと麻山は少しずつ仲良くなっていく。


最初はイオンは麻山を警戒していたが、単語と意味を優しく教えてくれる麻山にイオンは少しずつ心を開いていった。


「じゃあ、スマホで翻訳しながら、会話は出来るようになったのね」

「ハイ、おはなし、できました」


放課後、麻山はイオンの家のリビングで今日学校で何があったのかイオンと話をしていた。


最初の頃はほぼ全てスマホの翻訳アプリの通訳が必要だったが、イオンは覚えが良く、日常会話で使う日本語をイオンは直ぐに喋れるようになってきていた。


「それは良かった。えっと、女の子と話は出来た?」

「ハイ、できました」

「男の子は?」

「イイえ、はなしして、にげた」


イオンのクラスの男の子達はシャイなのかな? と麻山は考えた。


まあ、下手に男子と仲良くなると女子が嫉妬するから、麻山は男の子が話しかけてくるまでは挨拶だけにしておくといい。とアドバイスをしておく。


「ミナミ」

「なに?」

「しゅ、しゅく、だいっ、てつだって」

「うん、いいよ。日本語の翻訳もしてあげるからね」

「ハイ」


幼い女の子が頑張って、自分を頼ってくれる。今まで孤独を強く感じていた麻山にとってそれは新しい感覚だった。


最近は武によって孤独感を埋められていた。イオンとの時間はそれとはまた別の心を満たす大切な時間となった。


「イオンちゃん」

「ハイ?」


ランドセルから宿題を取り出したイオンの名前を呼んだのは、家政婦の川上という中年の女性だった。


「ディスマスさんから知らせてもらっていた、荷物が届いたからこっちのテーブルに置いておくわね」

「ハイ」

「それと後、私は一時間でお仕事が終わるから、何か用事はあるかしら?」

「だいジョウぶです」

「分かったわ。美波ちゃんもせっかくだから遠慮せずに言ってね」

「ありがとうございます」


リビングにあるソファの前のテーブルではなく、食事をする為の椅子とテーブルの上に送られてきた小包を置く川上という家政婦の女性は中学生の頃に一年ほどだが、美波の家でも仕事を頼んだことがあった。


イオンは美波と出会ったお陰で、家政婦とも関係は良好となる。


「ミナミ、これは」

「ん? これはね」


イオンの宿題は数学のプリントだった。

美波がプリントを見ながら、イオンにヒントを一つずつ上げていく。


イオンちゃんはやっぱり頭がよい子だな。これなら、直ぐに終わるかな。と美波が考えていた時だった。


――カタッ。


「え?」


何かの物音が聞こえた気がして、麻山はリビングを見渡す。


何か物が倒れたかと思ったがイオンの家は絵や小物などを置いてはいない。


美波はテーブルに置かれた先程の小包を見たが、気のせいかと考えてイオンの宿題の手伝いに戻った。




宿題を終えたイオンと美波が日本語の練習兼談笑をしているとイオンの父親、ディスマスが家に帰宅した。


「ただいま、イオン。そして、こんばんは、みなみさん」

「おかえりなさい、パパ」

「こんばんは、ディスマスさん」

「今日もありがとうございます、娘の為に」


少し発音が訛っているように聞こえるが、美波は気にせずに首を横に振った。


「お気にせずに、私もイオンちゃんと話せて楽しいですから」

「ありがとうございます」


美波はディスマスと少し雑談をして家に帰ることにした。今日は早めに帰宅したが、ディスマスは夜遅くなることも多い。


ディスマスは最初こそ、美波を警戒したが、迎えの家に住んでいる学生で娘に日本語を教えてクラスで馴染めるように手助けをしてくれている美波を信用した。


妻を亡くして、ずっと男手一つで育ててきたがやはり、寂しい思いをさせていたのだと考えた。


最近、良く笑うようになった自分の娘を見て、日本に来てよかったと思う反面、送られてきた荷物と日本での仕事に陰鬱な感情を持った。


「まったく、厄介ごとを二つも。まあ、送られてきたこの毛玉はもう完全に白だと分かっているからいいけれど」


久しぶりのイオンとの夕食の後、親子の時間を過ごし、娘を寝かしつけてから、ディスマスは自室で故郷から送られてぃた小包を開封した。


専用の透明な強化プラスチックに入れられた毛糸の塊を見て、ディスマスは溜息をついた。


「やはり、ただの古代の毛糸の塊だな」


既に科学的、魔法的に分析がなされている。

なぜ、これが日本に送られてきたかと言うと、日本の調査機関で念のため調べてもらおう。ということになっているのだ。


「ヒドラ調査の表向きの対価とはいえ、こんなゴミを調べないといけないなんて、日本の学者たちも可哀そうに」


ディスマスは自分の左目を軽く押さえて、同じ学者たちに同情する。


自身の左目は魔力に過敏な特別な眼だ。とはいえ、ランクはそこまで高くはないが。過敏な眼のお陰で命を救われたことも多い。


「まあ、一応、神話の時代のモノだから、価値が無いわけではないけれど。アリアドネの糸は伝承ではもっと細い糸のはず、別の場所からの輸入品か?」


ディスマスはしばらくは目の前にある本物の神話の時代の毛糸を眺めていたが、途中で情報が無さ過ぎる上に、眼の前にある物はただの毛糸だと結論付けて今日は寝ることにした。


「向こうの準備もあるし、しばらくは家に置いておかないと」


ディスマスは価値のある毛糸を自宅に保管することに抵抗感を感じていたが、日本なら強盗も少ないだろうし、盗難防止用の魔法道具も置いておくので問題ないと考えた。


「しかし、なぜギリシャではなくて、日本に現れたんだ。ヒドラめ」


ベッドに入りながら、故郷から突然日本へ引っ越しさせられたことを恨みながらも、娘との時間が増えたことを嬉しく思いながら、ディスマスは眠りについた。


ディスマスが眠りについた後。


彼の机の上に置いてあった強化プラスチックの透明な箱は音もなくイオンが眠っている部屋の方へ数センチ動いたことは、翌朝目を覚ましたディスマスが気づくことはなかったのだった。






数日ぶりに武は美波と二人で放課後を過ごすことになった。


ファミレスでまた何か奢ろうか? と言われて遠慮なく麻山は注文し、前回と同じファミレスのボックス席で向かい合って座る。


「へー、じゃあ、イオンって女の子とは仲良くなれたんだな」

「はい、もう。本当に可愛くて」

「それは良かった」


今回はパフェではなく、ショートケーキを食べながら、麻山が最近仲良くしている女の子、迎えに住んでいるイオンについて武に話をした。


どんな女の子か分からないので、武が無難に返答をすると麻山はからかい半分で武にこう告げる。


「あれ~、もしかして最近会えなかったから寂しかったですかぁ~?」


麻山はここで寂しくない。と否定されることを想定していた。

そこから、久し振りに武をからかうつもりだったようだが。


「ああ、寂しいとは思ったな」


真っ直ぐな瞳で麻山を見つめてくる武の視線に、麻山は顔が熱くした。


「えっ、な、なんで?」


からかうつもりが真面目に返されたため、思わず麻山はそう聞いていた。


「なんでって、親しい人と会えないのは寂しいだろう?」


武に素直に返答されて、固まる麻山。

両親とはここ数年、メッセージくらいしかやり取りが無く、祖父母達が居なくなった今の彼女にとって武の言葉は嬉しいと感じるものだった。


「そ、そうかもしれませんね」

「俺はそうだよ、それで今日はイオン、ちゃんって子は?」

「今日は習い事です。イオンちゃんってヴァイオリンが弾けるんですよ」

「へー、小さいのに楽器が弾けるのか。凄いな」

「先輩は何か弾けますか?」

「いや、無理。小学生の頃に吹けた縦笛も多分もう吹けないだろうな」


チート能力のスキルポイントはあまりまくっているから、この世の全ての楽器を神のごとく奏でることはできるけど、あまり意味はなさそうだからな。


ああ、でもギターとかでアニソンを弾いてみたいな。


今度こっそり、スキルポイントを控えめに振り分けて、後は練習をしてみようかな。

趣味がゲームだけなのは、ちょっと寂しいからな。


「そういう麻山は、何か弾けるのか?」

「何にも弾けません」

「コイツ」

「あははは」


その後、何故か音ゲーを遊ぶことになって、近くのアミューズメントパークへ移動して、最終的にはお互い下手だったので白熱した音ゲーバトルをすることになった。


俺と麻山の点数が酷すぎて、見知らぬ女性グループにアドバイスまでもらってしまったが、これはこれで中々楽しめた。また、遊んでみよう。


「ああ、そうだ。これを渡しておくよ」

「これは? え、え?! 宝石」

「違う、偽物だよ。ま、お守りだな」


俺は先日の縁眼さんの一件のことを考慮して、麻山にネックレスタイプの魔法道具を渡した。


感知能力の高い魔法業界の関係者にバレないように隠蔽効果をかなり付与しているので、高位の能力者でないと、このネックレスが魔道具であることすら分からないだろう。


「い、良いんですか? これ偽物にしてはなんか凄そうですけれど」

「良いんだよ。それ、知り合いの見習い職人が作ったもので格安で売ってくれたんだよ。その青い石は人工サファイアだから安いぞ」

「いやいや、それでもこれ……その、本当にいいんですか?」

「ああ、貰ってくれ、出来るだけ身に着けてくれるとお守りになる」

「……武先輩、こういうことをしていると、本当に刺されますよ」


表情がぐるぐる変わった麻山だが、直ぐに落ち着いて少しあきれた表情で俺にそう言ってきた。


「分かっているよ。けど、やっぱり、大事だから」


麻山が魔法関連の事件に巻き込まれる可能性は低い。忍者としての活動のお陰でこの街だけではなく、日本全国で魔法犯罪は減っている。


割と本気で魔法犯罪者と通常の犯罪者の明確な証拠を影分身で探し回り、後は警察に丸投げしているので、この街の犯罪者達と麻山が出会う確率はほぼ無いだろうが。


「世の中何が起こるか分からないからな。気休めだよ」

「しょうがないですね。貰ってあげますよ」


麻山はそう言って、青い石が付いたシンプルなネックレスを身に着ける。


「似合いますか?」

「ああ、似合うぞ」


それ一つでイージス艦の巡航ミサイルなら数発耐えられる魔法の結界が自動的に展開される。


アンネに上げたモノよりも使える回数は少ないが、十分な防御力だろう。


「そろそろ、帰るか」

「そうですね」


俺は麻山を家に送ろうとしたのだが、心配しすぎだと笑われてしまった。


それに、お守りもあるから平気ですと言われてしまって、あまりしつこく言うのも駄目だろうと思い、今日は家に帰った。



麻山が自宅に帰ると、既に迎えの家に住むイオンも家に帰ってきていた。

イオンの家の灯りが付いているのを確認して、麻山はイオンにメッセージを送る。


――そろそろ ゆうはん だけど だいじょうぶ?

――だいじょうぶ!


――なにか あったら よんでね

――はい!



まだ、日本語が上手く読めないイオンの為にひらがなだけのメッセージを送り、大丈夫そうなので安堵する麻山。


そして、夕飯を食べた後、シャワーを浴びて何事もなく眠りについた。



この日、イオンの父、ディスマスの部屋の机の上にある、強化プラスチックの箱がイオンの部屋の方ではなく、麻山の家の方角に大きくずれ動いたことに誰も気づかなかった。

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