第6話 水神の戯れ

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 放課後リンクに行くと、コーチやクラブ生たちがテキサスの期待の星そっちのけで、そのロシア人選手のショートの演技について興奮気味に語っていた。

 プログラム曲はモーリス・ラヴェル作曲「水の戯れ」。

 甘く爽やかだが不協和音の巧みな使用によりどこか危うげで気だるげな詩情を湛え、それでもピアノの硬質でクリアな音色が俊敏に跳ねて水の動態を見事に描きだしていくというフランス印象派の旋律に乗って、イリヤ・バシキロフは見事な演技を披露したのだという。

 音楽とスケーティング、ギリシャ神話のアドニスのような外見と高度な技が完全に絡み合い、演技者が旋律の具現化のようでもあり、音が表わす水の流れそのもののようでもあった。

 視覚と聴覚が渾然一体となり、せせらぎに陽光が当たって生み出す黄金色のきらめきが見えるような夢幻世界が白い氷上に展開され、気が付いたら二分四十秒が終わっており、鳥肌が立った。

 そう彼らは口々に言った。特に女子生徒が陶然とした表情で語るのが印象的だった。

 期待のマックはバシキロフよりも前に滑ったのだが、目立ったミスはなかったもののジャンプ構成の難度をこれまでの大会より落としており、着氷にも流れがなく、動きも見るからに堅かったという。あれではショート二位だって出過ぎだ、街でこんなことを口にしたら袋叩きにされるがね。

 ビンガムコーチは肩をすくめて言い、イリヤ・バシキロフについて改めて語った。

 ジュニアカテゴリではめぼしい国際大会は世界ジュニアしかないため(一九九五年当時)今まで無名だったが、ロシア国内ではすでに関係者の間で驚異の神童として知られていたのだという。

 翌土曜、試合が終わったらまた迎えに来てもらう約束で、レオは父親の車で午前のうちから試合会場に赴いた。

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