第2話 魅入られた子

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 そんな所に、新入社員として入ってきた女子社員サライの、上司が自分の手柄のようにして語るサファトの過去に無反応で、フットボールに興味がないと言い切る態度は新鮮に映った。

 アメリカのスクールカーストにおいてフットボール選手は常に最上位に来る。その上トップ選手ともなれば、言い寄ってくる女たちを捌く方が大変だ。

 それは社会人になっても変わらず、そういう軽薄な女たちにうんざりしていたことも相まってサライの反応に感じた安堵はたちまちのうちに敬意と恋愛感情に変わった。

 その選択が数年後、このような形で跳ね返ってくるとは思いもしなかった。サライとは「安住の家」という意味ではなく、「女戦士」という意味だったのだ。

 だが葛藤はあったものの、サファトは結局妻の意向を尊重した。彼女を愛していたし、何より一つの目論見があった。

 あんな、ただ滑って時々跳んで回るだけのスポーツなど、子供心にも手応えがなさ過ぎてすぐに飽きるだろう。焦らずただ待てばいいのだ。

 こうしてレオ・ウィリスは三歳九ヶ月で氷の世界の住人となった。

 南国とはいえ、アイスホッケーの盛んな地域であることでもあり滑る場所には不自由しない。自宅から車で十分ほどの場所にあるアイスリンクに付属するフィギュアスケートクラブに入会することになった。

 男子生徒は幼年クラスには十五人中二人しかおらず、さらに上のクラスでは選手育成コースに大学生の選手が一人いるだけだった。

 母親が息子を入会させても、成長するに従ってフィギュアスケートをやっていることでクラスメートにからかわれるのを嫌がり、また他のスポーツに魅力を感じるようになって辞めていってしまうのだという。

 そういう事情を聞いてサファトは密かに期待する思いだったが、父のそのような思惑をよそにレオはスケートの感覚が気に入ったのか、女の子ばかりの環境に気後れすることなく母に送迎され元気にリンクに通い始めた。

 レオが五歳を過ぎると、サファトはスケートに役立てるためと称して、家の近くの空き地で小さいコーンパイプを並べてジグザグで走らせたり地面にはしごを置いて反復横跳びをさせるようになった。それは実は、アメリカンフットボールランニングバックのためのトレーニングだった。


 サファトが内心舌を巻くほど、親の贔屓目を抜きにしても五歳のレオの動きには切れがあった。

 全身がばねで、体幹から指先の隅々まで神経が行きわたり本人の思い通り自在に軽やかに身体を動かすことができるというようなのだ。まさにスポーツをやるために生まれてきたような子供だ。

 所属するスケートクラブでも長足の進歩を遂げ、その技術は男子ということを差し引いても同年代の中で一歩も二歩も抜きん出ているという。

 レオが小学校に上がると、その傾向はさらに顕著になった。

 夕食時にレオ自身が誇らしげに語ることだったが、体育の時間彼はクラスの他の誰よりも速く走り、高い跳び箱を跳ぶことができるという。笑顔で頷きながら、サファトは内心複雑な思いだった。

 その能力は、広いフィールドの上で、雲一つない紺碧の空のもと己と同じような強く逞しい男たち相手に自らを叩きつけることで解放されるべきものだ。

 それなのに、光と風の中どれほど身体を動かそうと、時間が来ればあっさりとレオはあの寒く閉ざされた薄暗いリンクに回遊魚のように帰っていっていまう。

 サファトはなにも、息子が自分の跡を継がないかもしれないから不満なわけではなかった。

 バスケットでも野球でも良い。陸上でも水泳でも、そういう「普通の」スポーツであれば、わだかまりなく応援できただろう。

 よりによってあんな、男らしさの欠片もないスポーツに「フィールドの魔術師」の息子ともあろう者が取り組まなくてもいいではないか。そんなことを、メキシコ湾の海水浴場で楽しげに泳ぐレオの姿を見ながら思ったりもした。

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