第9話 夢の百貨店の玄関口にて
(3)ー3
その年の八月下旬、四ヶ月間の猛特訓を経てリアムはロチェスバレエアカデミーの入学試験を受験した。
試験は三段階に分けて行われた。初日は身体検査と基本技術のチェックで、それをクリアした者が次の二次試験に進める方式だった。
この第一次の基本技術の試験で、リアムはひどく緊張してしまった。
これまでフィギュアスケートではクラブの発表会にも出たし、国内公式試合である州大会にも地区大会にも出場したが、そのどれにおいてもリアムは緊張というものをしなかった。
だから、自分は表現は下手でも舞台度胸はある方なのだと思っていた。だがそれは結局、本気でこれに賭けるという意気込みがなかったからプレッシャーもなかっただけなのだ。
ロチェスバレエ団のレッスン場と付属学校の施設を兼ねる、蔦の絡まる煉瓦造りの建物で行われた試験には、アメリカ全土から五百名近い十二歳の子供たちが集まってきていた。
そのうち男子は五分の一ほどだったが、中にひどく目を惹く少年がいた。金髪で、顔立ちが美しく、何よりも堂々として、自分が合格することを確信しているという風だった。
基本の技を披露するだけでも彼は華があり、無論質量ともに確固とした練習を積んできたことを窺わせる高い技術を持っていた。
リアムはバレエ教師から、どんな基本技でも誰も見ていなくとも、バレエの技は、それで踊る歓びを表現するつもりでやるようにと言われていた。金髪の少年オリヴィエ・メルメはまさにその通りの動きをし、リアムはその対極になってしまった。
すべての動きにおいて身体が硬く、ピルエットに至っては顔をつけること(回転技において目が回らないように顔の位置を固定するバレエの基本技)を忘れてしまった。完全に素人の有様だった。
もはや望みは断たれた気分で、母の慰めも耳に入らない状態でいたリアムだったが翌日バレエ団施設に張り出された予選突破者一覧の中には、奇跡的にリアムの番号があった。
最終選考にあたる二次試験の内容は、練習着でバリエーションを踊るというものだった。
受験を申込んだ者は、その時点で今年の課題演目と振付の内容を指示される。振付のステップは、あえて極端に難度を落としたものになっている。
アイスダンスのコンパルソリダンスのように、皆が同じ踊りを、衣装も派手なテクニックもなしに踊ることで真のダンス能力が明らかになる。
回転技でダブルを回る能力のある者がシングル回転にとどめた演技をすれば、その余力を表現に回すことができ、見応えのある踊りにできるであろう。
運の悪いことにリアムの順はオリヴィエのすぐ後だった。
七人一組で試験会場である大スタジオの外の廊下に並ばされ、一人ずつ順番に名前を呼ばれていく。中に入り、試験官たちの前で踊りを披露する。
オリヴィエが自信に満ちた表情で出てくるのがリアムの目に入った。おそらく会心のバジルを演じることができたのだろう。
ドアを開けて入室したリアムは、緊張で喉が渇くのを感じながら審査員たちの前に立った。審査員の一人が不機嫌そうな顔で「名前は?」と訊いてきた。
リアムは心臓が跳び上がる思いがした。面接試験の基本である、名前と受験番号を名乗るということを忘れたまま踊りだそうとしていた。
リアムは慌てて名前と受験番号を言った。数秒の間をおいて、「ドン・キホーテのバジルのバリエーション」のテーマが流れ出した。軽快な音楽の中、リアムは今度こそ絶望的な気分で立ち尽くしていた。
緊張のあまり、一ヶ月余り練習してきた振付をすべて忘れてしまっている。
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