第7話 ドリームブレイカー

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 パスカルに頼んでマリーに連絡をとってもらい、市立図書館の前で待ち合わせた。マリーはリアムを図書館併設のカフェに連れて行き、紅茶とオレンジジュースを注文した。

 十八歳になったマリーは目を射るほどに美しく、普段着でカフェにいるだけで輝いて見えた。三年連続で学校公演の主役に選ばれたという自信が、全身から滲み出ているのだった。

 気後れを抑え込みながらリアムは、スケートをやめて、バレエダンサーになるべく本気で修業したいこと、そのためにこの夏のロチェスの入学試験を受けたいと思っていることを述べた。

 マリーは穏やかな表情で、黙って聞いていた。しばらくの間をおいて、「難しいわね」と呟いた。

「ロチェスは全米トップクラスの名門よ。アメリカ中から、小さいころからバレエ一筋にやって来て腕に自信のある子たちが受験しにやって来るのよ。あなたの気持ちが強いのはよく分かるけど、実力の差は歴然だし。小さい頃からずっとやって来た子を差し置いて、十歳から始めてスケートの片手間に二年間やって来ただけの子が入ったりしたら不公平でしょう」

 リアムは下を向いた。マリーの言葉は、リアムが密かに抱いていた危惧を率直に衝いた。

「それに、ロチェスには落第制度があるのよ。もしグレイトなミラクルが起こって受かったとしても、とてもついていけないわよ。それにそうだ、お金はどうするの。寮に入らなければある程度は安くなるけど、それでも初年度は入学金含めて三万ドルはかかるのよ。奨学金を利用する生徒もいるけど、あなたの実力じゃそれも難しいわね」

 リアムは膝の上に置いた手を握りしめた。鼻の奥が痛く、目元が熱くなってきた。

 リアムは泣かない子供だった。父親がいないことを意識しても、それで涙を流すことはなかった。

 それが、「ロチェスに入るのは無理」という至極当然のことを告げられただけで涙が溢れてくるのだ。「ごめんなさい」というマリーの声が聴こえ、ハンカチが渡された。リアムは顔を上げた。

 マリーは少し悲しげな表情で、

「二年前『くるみ』の舞台をあなたに見せた時、十歳から始めてプロになるのは難しいって言ったでしょ。あれはね、半分本当で半分嘘」

 マリーの説明によると、フランスやロシアのようなバレエ大国には国立のバレエ学校があって、入学は十歳からだがこの場合バレエ経験のない子供も受け入れるのだという。

 必要なのはなまじの技術ではなく、一にも二にも身体条件である。バレエ向きの骨格と体形をし、肥満体質でないことが何よりも重要視されるのだという。

「十歳からバレエを始めてプロになるのなら相当レッスン漬けの生活をしなくちゃならないし、普通以上の才能も必要だし。あなたがここまでバレエにのめり込むとは思わなかったから。今までスケートで積み重ねてきたんだから、それを活かしてバレエをスケートの演技に活かすようにすればいいと思ったの。悪いことしたわね」

 リアムはマリーの言葉をどう受け止めたものか、分からなかった。

 もし十歳でスケートをきっぱりやめてバレエに専念して二年間取り組んでいたら、あるいはもしかしたら、今頃ロチェス受験を視野に入れられるレベルになっていたかもしれない。マリーの声が再び耳に飛び込んできた。

「私ね、今の学校を卒業してもロチェスバレエ団には入らないわ」

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