第2話 石の時代

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 リアムが三歳から六歳までの間、リンクには一人の少女が出入りしていた。

 よくスケートクラブの同年代の少女たちとおしゃべりし、クラブの練習時間が始まる前には貸靴で滑っていくこともあった。後から知ったことだが、パスカル・ベルクールコーチの姪御だというその少女はリアムより六歳年上だった。

 未就学の幼児にとり、六歳の差は大きい。ほとんど言葉を交わすこともなく、特に深い印象を持たないでいるうちに、そのマリーという少女はリアムが小学校に入るのと入れ違いになるようにしてリンクに顔を出さなくなった。

 小学生になったリアムは、クラブが主催する年に一度のプログラム発表会に参加するようになった。

 しかしこれは、彼にとって楽しい時間ではなかった。ジャンプ難度は高くないもののそれを除けば技術的には安定した演技をするが、表情が硬く暗い。

 それはよくコーチのパスカルから指摘されることだった。

 リアムも、楽しげな顔で滑ることの大切さは理解している。仲間たちのそういう演技に憧れてもいたが、いざ自分がそうしようと思うと途端に顔が強張ってしまう。何より、どうしても表情を豊かにしたいという情熱がリアムの中に無かった。

 ポートランドは白人種が圧倒的に多い街だった。

 有色人種は学校でもごく少数で、スケートクラブに至ってはリアムが在籍していた九年間ついに一度も他の有色人種の生徒は入ってこなかった。

 髪と目の色が明るく、目や口など顔のパーツが大きい人間なら色々な表情を作っても映えるが、自分はそういう外見の対極にある。そう思っていた。

 しかし結局それは、自身に対する表向きの理由でしかなかった。確かに学校でもクラブでも片親家庭というのは珍しくなかったけれども、自分の生みの親の片一方である父親の存在を丸ごと知らないという欠落感がそのまま心の欠落となり、実感以上の表情を作ろうとするエネルギーを削いでいたのだ。

 転機は一九八八年十二月、街にクリスマスの電飾がともり始める頃に訪れた。

 いつものごとくスケートクラブに赴いたリアムがリンクサイドのベンチで靴を履いていると、知らない声で名前を呼ばれた。顔を上げると、十五、六歳に見える金髪の少女が笑顔を浮かべ立っていた。

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