第2話

 魔族が統べる帝国、というととんでもない未開の地を思い浮かべるかもしれない。だが、このへルティア帝国は下手な人族国家よりも開明的と言えるだろう。このラースの街一つをとっても、きちんと道は整えられ、下水道は完備され、(良くも悪くも)様々な種類の店が立ち並ぶ。各地に流布する悪名だけが事前情報だった旅人が立ち寄って驚く事は一回や二回ではない。


 その理由の一つがこの帝国は開拓村から始まったわけではないという事だ。山々に囲まれて立地上はあまり宜しくなかったが、幾多もの街道が行きかう人族の国家があった場所に創られている。無論、戦争――はじまりはラースの街の一特殊部隊の反乱からだが――で奪い取り、亡ぼした上でだ。それゆえに戦争で少ならからず荒廃してしまったが、それぞれの街には街足り得る基礎インフラがあった。


 そして帝国建国から今年で5年。人族のみでは復興ですら難しい年数かもしれないが、“魔族”という大まかな括りカテゴリの中にはダークドワーフといった物造りに特化した者たちが多数いる上に、巨人族などに代表される膂力も人族と比べると遥かにある種族も多数いた為、復興どころか発展するには十分すぎる年数だった。


 ……それ以上に大変だったのは現場よりも、都市計画を信じられないほどの速度で仕上げた官僚や帝国首脳部だろうが。


 この街が戦火に包まれた時、マックスは15歳。それから10年でこんなに変わったかとふと思いながら、窓の外を見ながらお茶に口を付けた。勿論変わったのは街だけじゃない。食糧事情も全然違う。昔は白いパンですら王侯貴族のみの特権だった。今は前王国の王侯貴族ですら食べた事がないであろう珠玉の甘味デザートが一般人でも食べられる。


 「相変わらず美味いな……」

 「ですね。人の金で食べるって辺りが特に」

 「君には勿体なさすぎるぐらいに美味いな」


 新作のフルーツタルトも気になったが、やはり定番のチーズケーキを選んでしまう。この“ルマ”のチーズケーキの絶妙さは飽きが来ない。オーブンの中でじっくりと湯煎しながら焼き上げるというこのケーキは、固すぎず柔らかすぎず、だけど口の中でシュワぁとほどけるように消えていく。時折無性に大量に食べたくなるが、こういうものはほんの少しをじっくりと食べるからいいのだ。


 「相変わらずちまちまと食べますねぇ……なんというか、女々しい?貧乏ったらしい?うーん……まあ、適当な言葉がうまく出てこないんですけど、意外な食べ方しますよね」

 「これだけの品だ。蛮族ったらしくバクバク食べるより、味わって食べてあげたいだろ」

 「気持ちはわかりますよ、気持ちは。少なくとも軍属の連中みたいな食べ方よりは好感が持てます」


 そう言いつつミミもサクサクっとパイを崩して、その微妙に零れ落ちる欠片すら惜しいと言わんばかりに丁寧に食べている。


 「まあ、私たちとて、数年前までは昼過ぎから悠長に食事してるなんて考えられなかったからな」

 「確かにそうですね。夜はゆっくりできる日もありましたが、朝と昼間は戦闘戦闘移動移動お仕事お仕事……やめましょう、この話題。折角のケーキが嫌な思い出で不味くなりそうです」


 元々マックスとミミは共に帝国軍の前身である反乱軍に居た身だ。今では皇帝となった隊長に従って戦っていたが、当時は若く、未熟で、そして寡兵だった為、いつ野垂れ死にするかという日々だった。何人もの戦友を見送って、幾多もの人類敵を屠ってきた。そしてなんやかんやあってマックスは帝国政権樹立直前に野に下り、ミミは帝国創成期のデスマーチに嫌気が差して逃げ出してきた。


 昔からシニカルな性格ではあったが、ここまで捻くれていなかったよなぁ……という感想は彼女の元上役マックスの率直な感想である。ただ、言える事は確かに彼女は幾多もの仕事を預けるに足り得る能力はあった。優秀であるが故に壊れそうな危うさもあった。そして、自身が一足先に抜け出した負い目もあった。だから、彼女が逃げ込んできた時、黙って受け入れたのだ。


 「いつもありがとうございます、マックス、ミミ」


 そしてキラキラと光に反射する緑色のオーラを纏い、穏やかな笑顔を浮かべた彼女もまた下野した昔なじみの一人だ。


 「忙しいだろうに、わざわざ出てきたのか?しかし、相変わらず美味いな、ルマ」

 「ふふふ、ちょうどひと段落したところですの。それにお得意様のお二人ですもの、御挨拶ぐらいしないと」


 そう言って笑いかける小柄な彼女は人間に似た姿をしているが僅かにエルフにも似通っている。彼女――ルマは俗に“精霊付き”という、精霊との親和性が生まれつき高すぎて、後天的に人間から姿を変えた存在だ。彼女の場合は蜜精メリアスという精霊を身に宿している。穏やかなお姉さん、といった佇まいだが、かつては反乱軍主力の槍遣いとして暴れまわっていた女傑である。


 「そういえば、帝都ではお店出さないのか?」

 「いつかはそうしようと思ってるんですけどねぇ……何だかんだでここが居心地いいのよ」

 「マックス。余計な事言わないでください。ルマも下手に帝都なんて行ったら、なんだかんだと余計な仕事を押し付けられますよ」

 「……君のトラウマは随分と根が深すぎるな、ミミ」

 「ふふふ」


 だが、余計な仕事を押し付けられるという点に関してはマックスも否定しない。安定期に移行しつつあるとはいえ、奪い取った国を統治している以上、猫の手も借りたいぐらいの慢性的人手不足のはずだ。


 「でもね、ミミちゃん。私は本当に手助けが必要って言うのならば、喜んで帝国に戻るわよ」

 「えー……」

 「念願叶ったこの店ですもの。離れるのは嫌だけど……そもそも、この国が成り立たなかったら私は店を持つどころか、お菓子を作る事すら許されなかったもの」

 「…………………」


 帝国の前身になった国は元々魔族と人族の係争地と距離的には近い場所にある。実際には山脈が立ちはだかっているため近くて遠い、という言葉が正しくはある。だが、だからこそ、魔族の中でも弱い立場の者たちがそこそこ集まっていた。そして、かつてのこの国は人類主導国家。人族と同等か、あるいは人族より弱い魔族たちの立場はとてもではないが人類とは同等とは言えなかった。


 そして、人族から変異したルマも、精霊付きになった時に慣れない力を暴走させ、家族から捨てられたという話を昔聞いたことがあった。そして彼女の行き着いた先は使い捨てのように使われる軍属。結局のところ、お菓子作りが大好きで、その事を仕事にしたくても、当時の人族以外には選択肢など存在しなかったのだ。たとえできたとしても、味の出来、仕事の出来云々ではなく「魔族だから」「異端だから」という評価で終わってしまう。これでもルマはまだマシな方だったと思う。


 帝国の礎となった反乱軍はそんな半端者の集まりだった。だからこそ帝国は実力主義を掲げ、そして元々夢を持っていた構成員たちはルマのように下野して自らの道を進み始めたのだ。彼女の言葉は下野した者たちの嘘偽りのない総意であろうとマックスは思う。


 「同感だな。私とて本当に帝国に危機が訪れるのであれば、力無き邪魔者扱いだろうと、一兵卒としてだろうと戻る意志はある」

 「……そう言うなら最初から下野しなければよかったのに。言っておきますけど、政権樹立直前のマックスの下野は帝国中枢はおろか、あの皇帝陛下にすらかなりの衝撃を与えた事件ですよ?相当荒れましたし、部下だった私たちへの負担も倍増じゃ利かないぐらい――」

 「……うん、まあ、ミミの言い分もわからんでもない。自分で言うのもなんだが、私は初期からの古株だったから、帝国に残ってもそれなりのポストは用意されただろうし、周りも気は遣ってくれただろう。ただ、私は“剣”だ。彼らからそんな扱いをされるのは……そんな扱いをされる自分が許せない」


 ルマのように夢があったわけでもない。やりたいことがあった訳でもない。ルマのような人たちが生きられる国を目指し、共に戦い抜いたことは誇りに思っている。

 だからこそ、“剣を抱いて生まれた”マックスは剣の折れた自分が――役立たずになった自分の事が許せなかった。


 見た目は人間と何ら変わらない。実際マックスの実の両親も人間だ。だが、極稀に―― 一説には戦乱の知らせとも言われる――生まれつき剣を抱いて生まれ、そして剣と共に成長する“剣人ソードマン”という種族。それがマックスの身の上である。剣で斬れば斬るほど強くなっていき――そしてその剣が折れると弱くなり、最悪のケースだと死んでしまうという文字通り“剣身一如”の存在。分類としては人族に含まれるが、人間から生まれた異端という意味ではルマの境遇と似ている。ルマと決定的に違う点は家族から捨てられたルマに対して、軍事目的に目がくらんだ当時の国家中枢の手で両親から引き離された、という点にあるが。


 仲間たちと共に駆け、斬って、斬って、斬り抜けて――そして平和になる直前に折れ、平和な世の中には不要と去った。その失意に付け込むように神に誘われその使徒にもなってしまったが、マックスの本質は剣であり刃だ。


 「相応しい地位に居たいのならば……少なくともあの頃と同等の力を持ってから座るのが筋だろう?私は剣だ――私の価値は何を斬る事が出来るか、で決まる」

 「……本当にそういう所は無駄に律義で頑固ですよねぇ。だから神官なんて似合わないって言ってるのに……嫌になります」


 心底苦々しく思っているかのようなミミの小言に、ルマが同情するかのような曖昧な笑みを浮かべるも、マックスの心情は揺るがない。


 剣人は人生を終える時、極稀に自らの剣を遺す。神剣と呼ばれるに至った剣もあれば、魔剣と恐れられる剣もある。願わくば――とマックスは思いながら、腰に佩いた愛剣に目を落とす。剣が使われない世界になればそれに越した事は無いだろうが、剣が振るわれるこの時世でそんな甘い事を言うつもりはない。


 折れた剣を憐れに思った神は手を差し伸べた。

 故に願う――いつか再び、と。

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