リヴィン オン ア ソード

北星

第1話

 昔、歴史に名を遺した賢者が言った。


 「この世に楽園なる物があるとしたら、それは地獄もかくやの混沌とした世界だろう」


 と。


 誰かの願いを叶えれば、その他の誰かの願いは叶わない。誰かにとって都合のいい世界ならば、それは他の誰かにとって都合が良くない世界。誰かにとってそれが正義ならば、それは他の誰かにとっての悪だ。

 故にそれぞれが選ばなければならない。故に、それぞれが争い、守り、奪わなければならない。


 大多数の人類から見れば、この国――へルティア帝国は悪であり地獄であろう。何故ならば、決して人類と友好的な存在とは言えない魔族が皇帝として君臨し、統べている国なのだから。そしてこの帝国の国是は「唯才」。魔族であろうが、元落ちこぼれであろうが、人間であろうが、才能があれば、力があれば赦される。力無き者にとっては地獄のように見えるだろう。そして実際に弱者には厳しい国である。


 だが、この帝国の成り立ちから関わる者は知っている。この国が、人族から迫害された最底辺の者たちが反乱を起こして勝ち取った国であることを。故にこの国は本当の意味では弱者には厳しくはない。弱者が己の価値を示すために蛮勇を振るう事を笑う者はいない。真の意味で実力主義と言える。


 ただ――立場に甘んじ、才能を言い訳に、挑む事すらなく弱者であり続けようとしているだけの人間存在には厳しいだけだ。


 「主たる陽光神ルミエルに奉る――かの者らの挑戦の旅路に喝采を。そして彼の魂の次なる旅路に祝福のあらん事を」


 当然の事ながら、帝国において命の価値は驚くほど軽い。人族だろうと、魔族だろうと。帝国発祥の地“ラース”の街にある太陽神の神殿で毎度のように運び込まれる夢破れた者たちの末路死体を前に、人族の神官“マックス”は祈りを捧げていた。毎日の事であるが、「またか」と呆れる事もあるが、祈りは真摯にそして厳粛に行う。彼らは敗れはしたが、挑んだ者たちなのだ。


 ……もっとも、時折、死因がバカバカしい奴もいたりするが。


 そんな時でもマックスは義務だと割り切ってやっている。死者をきちんと弔わないと彷徨った魂がアンデッド化する事もあるからだ。魔族が多い帝国であっても「不変」「停滞」の象徴でもある不死者は不倶戴天とも言っていい存在。死者が多い帝国だからこそ、割り切りが必要だった。


 「……終わったぞ」

 「へい……いつもありがとうございます」


 無心の祈りを終えて立ち上がると、神官には似つかわしくない常に腰に佩いている剣がカチャリと鳴った。並ぶ棺桶たちに背を向けてぶっきらぼうに声をかけると、ぞろぞろと引き取りの者たちが現れ、先頭に立つ犬の頭を持つ獣人がペコペコと下げてきた。彼らが墓守……というわけではない。しいていうならば業者だ。


 身寄りのある遺体であれば祈りの終わった後、遺族が墓に入れる。今回のように身寄りのない遺体は……畑の養分になれればマシな方だろう。最悪の場合は魔族ご用達の闇市で食人文化を持つ一部種族の晩御飯の食材として並んでいるなんてオチもある。

 無論、他の人族国家から「悪の帝国」と呼ばれる一因だ。


 「神官殿。こちらを……心ばかりですが」

 「ああ、ではありがたく頂いておこう」


 棺桶を運び出すその横で、犬頭の魔族が差し出してきた袋をマックスは無造作に受け取った。中身は金だが祈りの代金ではない。心ばかりの喜捨だ。名目上は。


 へルティア帝国全土において、人族が最も信仰している陽光神の神殿は数少ない。文化的に魔族は信仰も共有――というより長命種が多い分、人族より古来の文化が残っている――しているので別に陽光神に祈ってもらう必要はないのだが、文化の異伝、遺失を経ている人族からすると他の神殿は馴染みがやや薄い。結果としては何ら問題は無いのだが、心情的には人族を最も安全に見送ってくれる場所だ。だからこそ需要は途切れないともいえる。


 「それでは我らはこれにて……」

 「はいはい、おたっしゃでー」


 どんな未来が待ち受けているであろう運ばれていく棺桶たち。それらを先ほどまで真摯に祈っていた神官とは思えないほど軽い声で見送った。仕事は仕事。義務は義務。こんなオチも日常茶飯事だ。食人に関しても、人間だってオークや竜などを討ち倒したら食うのだからお互い様だろう。人肉を提供する料理屋には、たとえ人族用のメニューがあった所で絶対に立ち寄りたくはないが。


 「さて、浄化ピュリフィケーションっと」


 全ての棺桶の“出荷”が終わってひと伸びすると、掃除代わりに神術を行使し、またひと欠伸。本日の日課はこれにて終了。


 「――穢れや汚れを払う『浄化』の神術。やはり貴方と神術の組み合わせはイマイチ似合わないですね。そこの肝心の生臭神官が消えていない辺り、相当無理して使ってるのでは?」

 「はっはっは、そこは神の恩情だろう?傍にいる君まで消してしまわないようにな」

 「……いつか絶対に痛い目見ますよ」


 慇懃無礼な皮肉もカラカラと笑いながら流せるようになったのは、それなりの人生経験を積んで悟りの境地に近づいてきたからだろうか。「掴みどころがなく飄々としていたのは昔からそうだったろう?」と旧友たちは声を揃えて言うだろうが。


 「まったく。それに『生臭』と君は言うが、君だってタダ働きは嫌いだろ?ミミ」

 「勿論、タダ働きと割に合わない仕事はこの世で一番嫌いですね」

 「一番が二つあるなんて、神官みたいに強欲だ。君も少し祈ってみるかい?」

 「お断りします」


 お互い性格が悪い事は自覚している。だからこそ、ルチア――愛称をミミという、この魔族の女性との喧嘩になりかねないような皮肉の投げ合いは嫌いじゃない。本当にソリの合わない相手というのは、一言も言葉を交わしたくないものだ。媚は一切売らないが、興味を引く――他人、特に上の立場の者から目を付けられる性格だが、その分、自我こだわりが確立している彼女の性格は嫌いではない。


 「それは残念――さて、日課も終わりだ。飯には早いから、お茶でも飲みに行くとしよう」

 「いいですね。そういえば中央通りの“ルマ”で新作のケーキが出たらしいですよ」

 「ほう……それはとても気になるねぇ。でも、あそこは人気だからなぁ。売り切れてるんじゃない?」

 「ま、大丈夫でしょう。そしてありがたくゴチになりましょう」

 「ちゃっかりしている」


 奢る、どころか一緒に行こうとも一言も言っていないのに隙を見せれば狡猾に付け込んでくる。この性格の良さが彼女の一番の愛嬌だろう。刺激の少ないその日暮らしの神官にとって、このぐらいの刺激がちょうどいい。じゃなければ、わざわざ「お茶でも飲み行くとしよう」なんて言わずに黙って一人で行く。それは彼女も同じことだ。


 ただ、


 言葉の刃を交わして暇つぶしにじゃれあってるだけで、別に一緒に行きたいわけでもない、という辺りがお互いの関係性だろう。


 昔の賢い人も言っている。


 物語なら完璧を求めるかも知れないが、人間関係も社会情勢も何もかも、現実なら面倒なぐらいでちょうどいい、と。

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