「風」の段 4 ムギの傷

 スッと目を細めたドラグラノスに、モモは気づけば固唾を飲み下していた。


「それは、どういう……」

「「「簡単な事じゃ、おヌシも既に答えを言っておった」」」

「……まさか!」


 モモの頭の中に、洪水のように今までのやり取りが流れた。

 始まりの竜人、『竜返り』、真実が歴史の波に消えてしまったもの、今は……。


「先祖返り、ですか?」

「「「うむ。『竜返り』とは違う……この瞳は、兄者そのものじゃ」」」


 モモの推理に、ドラグラノスは鷹揚に頷く。

 それでも、モモはその事実を信じがたく感じた。


「先祖返り……だ、だとしても、それがなぜ暴走を?」

「「「恋の執念の為に、種族の形を揺るがした兄者じゃ。言い方は悪いが、平和ボケした現代の子らにその力を御する事は不可能じゃな」」」


 そう言われるとようやく、仕方がないような気がしてくるモモである。

 実際に「始まりの竜人」の姿を記憶しているのは目の前のドラグラノスを含めても、そう数はいないだろう。

 各種族の始まりは、津雲辻の学者たちが躍起になって研究している最中なのだ。

 ドラグラノスの話口を鑑みるに、それを言いふらしたい訳でもなさそうだった。

 数代離れた先祖の力や容姿が現れる「先祖返り」は度々観測されるが、返ったのが「始まりの竜人」では誰も気づけなかっただろう。


「「「兄者は普通の竜人ではない。この娘の見かけは普通じゃが、内なる力は竜人の理に収まらぬ。津雲辻の医者たちが手を上げるのも仕方あるまい」」」

「そう、ですよね……原因はわかっても、どうすればいいのかはわからないまま……」


 いつの間にか、モモの握るノートには皺が出来ていた。

 「私の目標」と書かれた部分をなぞると、モモは目頭が熱くなるのを感じた。


「「「そう悲観するでない。まだ十分な修練が足りぬだけなら、わしが見てやる事もでき……」」」

「いいんですか!!?」

「「「嘘はつかんから落ち着け!」」」


 モモは興奮のあまり窓から身を乗り出していた。

 目を輝かせるモモの表情の変わりように、流石のドラグラノスも困惑している。

 掃き出し窓と言えど、地面からは床を高くしてある為、ズッコケかけたのをムギが後ろから抑えた。


「そしたらさっそく詳細を……と言いたいのですが、アリシアさんは津雲辻でお仕事もありますし、すぐには難しいかも……」

「「「よいよい。わしは祭りの時期以外、する事もないからの。いつでも良いぞ」」」

「……‼ ドラグラノス様、ありがとうございます!」


 ドラグラノスに対して深く頭を下げるモモに対して、何故かムギまで満足そうだった。

 今後、小井野の力なしでもアリシアの炎の暴走を抑える事が出来るかもしれない、とモモは胸を撫でおろす。

 全く不安要素がない訳でもないが、これでモモの目標は達成の目途が立った。


―――――――――――


 アリシアの炎についての話もまとまり、一先ずモモは今回の出張の目標……「ドラグラノスから問題解決のヒントを得る」事を達成した。

 今後アリシアの炎が制御可能になるよう協力する、とのドラグラノスの言葉も得たのだから大成功と言えるだろう。

 神社付近は電波が届かず圏外だったが、取り急ぎ小井野が津雲辻に残している分体を使ってアリシアに連絡を取ると、彼女からもぜひとの返事が来た。

 報酬について、かの竜は「他にやる事も、今欲しい物もないから無償で構わない」との事だったが、申し訳なさを感じたモモが反論した結果、モモ(と巻き込まれた小井野)は境内の掃除を手伝う事となったのであった……。


「手伝うって言いだしたのは私ですけれど……既にめちゃくちゃ綺麗でしたね」

「フフン、当然ニャ! 毎日の掃除はあたしの一番大事な仕事ニャ」


 今日は久々の来客が楽しみで風を吹かせすぎた、とのドラグラノスからの自己申告があり。モモは南側の掃き掃除する事になっていた。

 逆に言えば、屋内は午前中にムギが済ませていたため、掃除の必要がなかったのである。

 彼女は竹箒を手に取り、境内に散らばった落ち葉や枝を集めていた。

 その隣でムギも同じように地を掃いている。


「私、仕事を欲しがる子供みたいでしたかね……」


 淡々と作業を続けるモモだったが、明らかにムギの方が手早く、慣れている。

 手伝うとは言ったものの、あまり役に立ててはいなかった。


「そんなの気にする事ないニャ。ドラグラノス様にとって、お金も物も大した価値はないから……他人から施しを受けるのは、あんまり好きじゃないみたいなんだニャ!」


 それは明らかに強がりだった。

 一瞬、悔しそうな瞳をしたムギの、その心境はモモにもなんとなく分かっていた。

 与えてくれる人に恩返しができない事の辛さを、彼女も知っていたから。

 ムギはきっと、モモの言葉を自分の事のように受け止めてしまったのだろう。

 口を閉じてしまったムギの代わりに、モモは少し大げさに明るい声を出した。


「そうだ、この機に聞いてもいいですか?」

「……なんでも聞くがいい、ニャ!」


 目を擦り、調子を取り戻したムギは、先程のドラグラノスの言葉を真似てみせる。


「ムギさんって、何歳なんですか?」


 その問いに、ムギは少し眼を見開く。

 モモはまたしくじった、と悟って「嫌だったら……」と続けるが、ムギはそれを手で制した。

彼女は少し考えて、数回モモの顔と社務所を見比べたりして、ようやく答える。


「今年で16才ニャ」

「えっ若⁉ あの、学校とかは……ここに住んでたら通学とか大変じゃないですか?」

「行ってないニャ。三年前にドラグラノス様と出会ってから、ほとんどこの神社で過ごしてるニャ」


 モモが生まれ育った津雲辻では、15歳までは親が子を就学させなければいけない義務がある。

 そしてその義務がある事は、この地域でも同じはずだった。


「これ、村の外には秘密ニャ」

「秘密っていったって……」


 モモは迷った。

 彼女の家庭事情についてもっと突っ込んだ質問をしていいのか。

 今のモモが唯一誇れる勉強について、恐らく同年代と比べて不利な立場に自ら身を置いている彼女に、何かを諭すべきかと。

 しかしきっと、村の外の人間であるモモにこの事を明かしたのは理由があったから、モモはそうする事が出来なかった。


「言っておくけど、あたしが望んだ事ニャ。それに勉強だってしてる……ドラグラノス様が教えてくれるニャ」


 ムギは、モモが問いそうな事をあらかじめ先回りして答えた。

 その目に怒りの色が浮かんでいる。

 それは恐らく、今まで理解されなかった事への怒りだった。


「ここ以外に居場所なんてない」


 今までで一番冷たくて、硬い声音だった。

 しかしモモは、ムギの箒を握る手が震えているのを見てしまった。

 きっと彼女は今まで散々冷たい視線を向けられて、非道い言葉に傷ついて、それでもモモに打ち明けてくれたのだ。

 モモは、今まで自分が歩いてきた道のりが楽で、幸せだった事に間違いはないが、他の道を行く人を無理やりこっちに連れてこようだなんて、愚かな事だと自分を戒めた。


「事情はよく分かりませんけど、ムギさんが納得してるなら、いいんじゃないでしょうか」

「……怒らないの?」


 その一言で、モモは今までムギに非道い言葉を投げつけた者たちに怒りが湧いてきた。

 耳を伏せたムギは、箒で体の前面を守るような体勢を取っている。


「ちょっとだけ、見えちゃったんです。ムギさんの部屋」

「⁉」


 モモは、先程社務所に上がった時の事を思い出す。

 掃き出し窓がある居室に通された後、ムギは座布団が足りない事に気付いて奥にある寝室の扉を開けたのだ。

 その扉の先にある物を、モモは故意ではなかったが見てしまった。


「ムギさんとドラグラノス様の写真、たくさんありましたよね。私、今一人暮らしなんですけど、家族の写真なんて一枚もありません……。けどムギさんは、こんなに近くで過ごしているのに、お部屋に写真を飾る程慕ってらっしゃるんですよね。ドラグラノス様のこと」


 モモに自室と秘蔵写真を見られていた事に耳まで赤くするムギだったが、それと同時に警戒を解いたのがモモにも分かった。


「それに今日のお二人の様子見てたら、互いに大切なんだな~ってわかりますよ!」

「互いに……ニャ?」


 ムギの態度が目立つが、ドラグラノスも彼女の事を慮っている事はその仕草一つとっても明らかだった。

 優しく触れる爪先、近くに控えるムギに風が当たらないよう守る翼、そしてモモの態度について暴走しがちだったムギを宥める優しい瞳。

 彼らが触れ合う様は、実の親子といっても差し支えなかった。


「はい! ……というか、何ビビっちゃってるんですムギさん! らしくないですよ?」

「……あはは! あんたにあたしの何がわかるってんだ、ニャ!」


 二人は顔を見合わせて笑った。

 ひとしきり笑った後、彼女らは再び掃除に取り掛かる。


「早く掃除を終わらせて、夕ご飯の支度ニャ! もちろん、も手伝うニャ?」

「ふっふっふ……一人暮らしで鍛えた料理スキルで、今度こそムギさんを唸らしてやりますよ!」


 腕まくりしてなけなしの上腕二頭筋を見せつけるモモだったが、何やらムギは不服そうだ。

 モモが頭に?を浮かべていると、ムギは徐に自分を指さして、それからモモを指さした。


「あの~ムギさん?」

「違うニャ」

「違う……?」


 しかし意図は伝わらず、モモは首を傾げる。

 じれったそうにするムギだったが、我慢は長く続かなかったらしい。


「名前! ムギでいいニャ……さりげなく変えようと思ったのに、ばか」

「い、いいんですか……?」

「いいって言ってる! ニャ!」


 ぷい、と目を合わせられなくなったムギがそっぽを向くが、モモはそんな彼女が愛おしくて仕方なかった。

 いつの間にか日は傾きかけて、彼女の毛並みを赤く照らす。

 モモは、きっとこれは一生ものの出会いになる、という確信を持ちながら、大切にその名を読んだ。


「ムギ」

「……なによ」


 顔はまだそっぽを向いたままだが、今日の往路でそうだったようにチラチラとこちらの様子をうかがっている。

 そんなムギに、モモは今まで抑えていた気持ちを溢れさせた。


「ケータイ持ってます? メアド交換しましょうよ! あと好きな食べ物とか趣味とか……いっぱいムギの事知りたいです! あ! そうだ、ムギはおしゃれとか興味あります? 私の知り合いに獣人専門ブランド立ち上げた人がいて~……」


 唐突に始まったマシンガントークに、ムギは少しうるさいと思ったが、そのうるささが不愉快ではなかった。

 久しぶりに出来た同性の友人に、きっとムギはいつもより甘かった。

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