「風」の段 3 モモの本気

 本殿の西側に位置する社務所は、本殿の立派さからすると大分小さな建物だった。

 普段は入山禁止で参拝客がいないために社務所と言うのも名ばかりで、ムギの寝室と居室、水回りがあるだけの質素な1LDKだ。

 和式建築の外観に反して、内装はリノベーションされたのかフローリングが敷かれている。

 モモと小井野が通されたリビングは南側が大きい掃き出し窓になっており、ドラグラノスも外から部屋の様子を見る事も出来る。

 モモたちは一息ついた後、掃き出し窓を全て開け放って、ドラグラノスへと向き直った。

 時刻は14時、未だ照り付ける太陽が銀の鱗を煌めかせている。


「そ、それでは、取材を始めさせていただきたいのですが……」

「「「そう固くならんでもよい。何でも聞くといい」」」


 社務所の前に腰を下ろしたドラグラノスは、背を竦める小さな人の子に微笑んだ。

 モモは手元のノートとペンを握りしめると、この時の為に用意した問いを口にする。


「『竜返り』について、ドラグラノス様はどのような現象とお考えですか?」

「「「……ほう」」」


『竜返り』。それは唯一、竜人の生態関連の参考書でも原理が解明されていない現象だった。

 アリシアとの面談の後、必死に小井野から与えられた情報群を探っていたモモが、辛うじて見つける事が出来たヒントの欠片だ。


「私は、とある竜人が感情の振れによって制御できなくなったブレスを、どうにかして抑えてあげたい。これまで、竜人の生態に関する書籍を……小井野所長が所持していた分は読みました。竜人に限らず、能力が暴走してしまう者は一定数います。しかし、それは普通、体内の能力器官の不調や欠陥、あるいは呪術等の外的な干渉があった際に現れます。それを抜きに、意志を離れて能力が発動する事はありません」


 モモはもう、緊張すらしていなかった。

 彼女はアリシアの為に、たったの二日ではあるが力を尽くした.

 そして今、それをこの場で出すだけだとモモの脳は判断している。


「彼女__アリシア・ドラゴニアは火系統の竜人です。現在28歳ですが、初めての恋の相手である桜庭マジメを想うと、少しのきっかけで熱のブレスを吐いてしまう症状に見舞われています。すでに津雲辻総合病院での検査を受けていますが、体内器官の不調ではありませんでしたし、呪術を掛けられるような覚えもないとの事でした」


 津雲辻総合病院は全ての種族の病、怪我に対応する為に、この大陸の医術の粋が集結している。

 しかしそんな病院でさえ、アリシアの炎を抑える手立ては発見できなかったのだ。

 様子見という事で、アリシアは炎を生成する際に分泌されるホルモンを抑える薬を処方されたが、全く意味をなさなかった。


「であれば、他の要因があるはずです。そう考えた時、『竜返り』が候補に浮かびました」

「「「ふむ、近頃の学者連中が言う『竜返り』とは、如何様なモノだ?」」」


 モモは相手が街の文化に疎い事を失念しており、慌てて補足する。


「す、すみません! 『竜返り』とは、人との交わりを経たはずの竜人が極稀に竜に近い力を発現する、先祖返りのようなものとされています。確証のない逸話、としてその書籍には記載されていましたが、曰く、『竜返り』した竜人はその怒りのままに、悲しみのままに、恨みのままに絶える事なく内から溢れ出る力を振るう事が出来たとか……」

「「「なるほどな。そのようなモノは確かにいた、な……ただし、先祖返りと言うのは、少し違う」」」


 ドラグラノスは、自らの様子を注視するムギでさえ気づけないような、ほんの一瞬だけ小井野に目を向けた。

 竜の言いたい事を小井野は理解していただろうが、問われない限り彼は口を開かない。

 そして今、ドラグラノスはそれを追求する気もなかったが故に、その逡巡は瞬き未満の間に幕を閉じた。


「「「……恐らく、永き時を経てこれを書き留めた書物も散逸したのだろうな。『竜返り』とは、竜人が再び真の竜の力を得る為の修行を成した状態の事よ」」」


 懐かしそうに、竜は天を見上げた。

 その瞳に深い親しみの色が浮かんでいる事に、ムギは気づかないふりをしたかった。


「「「おヌシ、竜人の始まりは知っておるか」」」

「いいえ!」


 見栄を張った方が良いか、などと普段のモモならば迷った所を、今のモモは食い気味に答えるくらい事実に正直だった。


「「「がっはっは! そこのスライムに似て正直だの」」」

「所長が正直……ですか?」


 小井野が少し口角を上げたのを、彼が後方に座していた為にモモは気づかない。

 ドラグラノスはそれ以上「正直」云々の話を続ける事はせず、一つ咳払いをすると、ある昔話を語りはじめた。


「「「始まりの竜人は、元々は竜だったのじゃ。しかしヒトの娘に恋をし、彼女を傷つける爪を、牙を呪った。その竜は、今はなきとある山で修練を積み、自らの体を削った……。数年が経ち山から下りた彼は、山を覆う翼をなくし、地を抉るかぎ爪もなく、自らの顎をも割っていた。大分惨い姿で、しかし確かに竜ではない何かにおった。そんな彼を見た娘は、娘と言うには少し歳を取ったが、一目で愛しい人と見抜き、二人は結ばれた。二人の子は竜と人間両方の性質を合わせ持ち、孫も曾孫もそうだった。そうして竜人族の歴史は始まったのじゃ」」」

「何だか見た事あるかのような言い方ですね……?」

「「「そりゃそうじゃ。始まりの竜人は、わしの一番上の兄者じゃったからの」」」


 ちなみに八竜兄弟だったと、ドラグラノスは爪を使って地面に家系図を描いた。

 こんな貫禄のドラグラノスであるが末っ子らしい。


「ええっ!? ち、ちなみに何年くらい前のお話なんですか!?」

「「「覚えとらんの~。わしも妻と出会う前じゃったから、3000年は昔じゃ」」」

「そっ、そこを詳しく! 絶対学会ものですよ!」

「「「そういわれてもの~。うむぅ……」」」

「渡会モモ!! ドラグラノス様を困らせないでちょうだい!」

「ム、ムギサン!?  爪は勘弁していただきたいです!」


 フシャー、という威嚇音を出すムギをドラグラノスが嗜めて、二人は本題へと戻る。


「「「それで山に安置されたままだった兄者の断片であったが、それに宿った兄者の執念が地に染み付き、不思議な磁場を形成しておった」」」

「磁場……?」

「「「ああ、兄者が成ったが故にその後50年経たない内に死に、数代が経った後に発見された。兄者が竜の体を憎んで生まれた執念が、この世に揺るがぬ摂理として存在したはずの、『種族の境』を揺るがせていたのじゃ。この地でとある修行を積むと、竜人でも竜と同等の力を得る事ができた……制御に難があったがな。これが本当の『竜返り』じゃ」」」


 ドラグラノスが語りを一区切りすると、それまで一生懸命にメモを取っていたモモが顔を上げた。


「え、てことは……『竜返り』にはその磁場が必要って事ですか?」

「「「今はもうその山ごと失われておる。アリシアとやらが『竜返り』する事は不可能じゃな」」」

「そ、そんな……」


 ほぼ夜を徹して参考書を読み込み、ようやく掴んだヒントが取り越し苦労に終わったモモの落胆は計り知れない。

 そのせいで、彼女はこの世界の根幹に関わる……『禁忌』がさらりと述べられた事に気が付いていない。

 そんな、正座のまま前に崩れたモモに、ムギは再び爪を出しかけた。

 しかしあまりの落ち込み様に、ムギには同情心さえ芽生えていた。


「「「まあ、そう落ち込むでない。わしにはその娘の暴走の原因に、心当たりがある」」」

「本当ですか!!?」

「フニャ⁉︎」


 バッと頭を上げたモモに、背をさすってやろうとしていたムギまで飛び上がる。


「「「わしが思うに、その娘はブレスの扱いが下手なだけじゃ」」」

「そ、そんな原因、ですか?」

「「「そうとも。都市部に住む竜人にありがちな話じゃ。自ら全力でブレスを使う機会などなかったのだろう。であれば力は自然と衰える」」」

「ですが! それなら津雲辻に住む他の竜人も同じような症状が出ていなければ、辻褄があいません」

「「「そう急くな。渡会モモよ、その娘の姿絵は持っておらんか」」」

「……すがたえ?」


 慣れない言葉をモモが復唱すると、すかさずそれまで黙っていた小井野が助け舟をだした。


「ドラゴニア様の写真ならこちらに」


 ちなみにだが、IRKでは提携しているスタジオで少しお安めにお見合い写真を撮ってもらえるパックがある。

 小井野が持ち出していたのも、アリシアが以前撮影したそれだった。

 彼はドラグラノスにも良く見えるように前へ進み出ると、高級感のある台紙を開く。

 稲穂色の髪を揺らし、夕焼けを思い起こさせる瞳を細めて笑む美人がそこにいた。


「「「……ふむ。やはりな」」」

「え……え? どういう事ですか?」


「「「この娘は、始まりの竜人……わしの兄者と瓜二つである」」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る