「風」の段 2 「猫巫女」ムギと「天竜」ドラグラノス
一行は駅から北の方へと進み、ある「山」の入り口に建てられた、朱色の立派な鳥居の前で立ち止まる。
鳥居の奥には所々苔の生えた石段が続いているが、昼間だというのに木々が鬱蒼としていて先を見渡せない。
今は四月。日光と長袖で暑さすら感じる気温であったのに、山の奥から冷気が漂っているような気がしてモモは腕をさすった。
しかし彼女より小さいはずのムギはこの雰囲気にも慣れているようで、徐に傘をふわりと回し、雨も降っていないのに頭上に差した。
「……この傘は?」
「フフン、知りたいかニャ?」
モモが尋ねると、ムギは自慢げに鼻を鳴らして赤い和傘を天に翳してみせる。
「この舞傘は、山を登るための道標ニャ。迷いやすい山の中でも、行くべき道を教えてくれるニャ」
そう言ってムギは傘の柄を手のひらに立てる。
すると不思議な事に、傘は鳥居の方向に傾きながら、倒れる事はなく静止した。
「ちニャみに素人がこの山に入ると必ず道に迷ってしまうから、普段は入山禁止ニャ」
「えっそんな恐ろしい山なんですか」
「ニャんですって⁉ ドラグラノス様のお家を恐ろしいとか言わない! ニャ!」
モモの失言に、ムギは再び爪を立てて威嚇した。
彼女は相当、天竜ドラグラノスを慕っているらしい。
モモは失言しがちな口を手で塞ぐが、モモの言動に腹を立てた様子のムギはさっさと先へ進まんと鳥居をくぐった。
IRKの二人も続きつつ、小井野がモモへ話しかける。
「渡会君は失言しなければならない制約でも課せられているのですか?」
「冗談じゃないですよ! ……申し訳ないです」
先日のアリシアとの面談でも、彼女は不注意な発言で燃えかけた。
自分の口の軽薄さを呪うモモは、スーツケースを持ち上げつつどうやって謝ろうか考えていた。
一泊の恩もあるし、そもそも自分たちの為にわざわざ家でもある神社から降りてきてくれたのだ。
「ムギ様も、渡会君を気にしているようですよ」
「え?」
モモは肩で息をしながら、スーツケースをいったん地面につける。
ムギはモモたち二人より数段上に立っていたが、チラチラとこちらを見ていたようだった。今も、モモがバテているのを見て歩みを止めている。
「渡会モモ! 言っておくけれど、あまり離れすぎると道標の意味がなくニャってしまうから、その、仕方なくニャ」
「は、は……ありがとうございます!」
あくまでも上からの言葉であったが、彼女は本気でモモを疎んでいる訳ではないだろう。
何かとミスもバカも多いが、つくづく周りには恵まれている事をモモは実感する。
モモはタオルで汗を拭うと、スーツケースを持ち直す。
そうしてムギの持つ傘に入れる距離まで、一段飛ばしで駆け上がった。
「ち、近い!」
「……さっきは、すみませんでした」
肩を竦めるムギに対して、モモは真っ直ぐに頭を下げる。
その真っ直ぐさが、彼女は自覚していないながらも、最たる長所だった。
「……別に気にしてないニャ。ただし、次はないニャ」
「はい!」
ふい、と上を向くと、ムギは再び歩きはじめる。
顔は不愛想なままだったが、巫女服から飛び出した尻尾が楽し気に揺れていた。
―――――――――――
「着いたニャ」
「や、やっと到着ですか……?」
石段の終着点には、山の入り口にあったものより少し大きな鳥居があった。
それをくぐるとようやく、神社の本殿が顔を出す。
今までの暗い森が嘘のように、本殿周辺は学校の校庭ほどの広さに開けており、本殿の赤い屋根が日の光を受けて輝いていた。
モモはゴールした事で気が抜けたのか、スーツケースを降ろすと同時に膝をつく。
そのままケースに寄りかかり、水筒から勢い良く中の麦茶を飲み始めた。
「私がスーツケースを預かってもよかったのですが」
「じぶん、の、にもつ、くらい、じぶんで、もちます……!」
モモはあまりにも消耗したために言葉も切れ切れだったし、汗を拭うためのタオルまでぐっしょりと濡れている。
しかし隣に立つ小井野は汗の一滴もかいていない。
スーツケースを預けなかったのはただの意地だったが、ずるり、と何でもないように左手からボストンバッグが現れたのを見て、モモは「預けた方が良かったかも」と少し後悔した。
「小井野様はなんでそんニャに余裕そうなんですニャ? あたしでもちょっとは疲れるニャ」
「普通のスライムには体力と言う概念が存在しませんから」
「へぇ~、ニャ」
果たしてその語尾は何を意味しているのだろうか? というような細かい事が気になってしまうのは、モモの悪癖の一つである。
楽し気に会話をする二人を見て、モモはこの時ばかりは貧弱な自分の体を憎んだ。
「渡会君、あまり休んでばかりはいられませんよ」
「ご挨拶に行かないと、ですよね……!」
モモが水分補給を終えたのを見計らって、小井野が手を差し出す。
彼女はそれに甘んじて、実は初ボディータッチだなどと、またしてもどうでも良い事に思考を割きながら、モモは意外と小井野の体温が
そうして彼女が立ち上がった時、辺り一帯に強風が吹きつけ、モモは暴れた髪に顔をビンタされる。
何事かと二人に尋ねる前に、彼女の耳を轟音が襲った。
「「「がははは! 待ちわびたぞ!!」」」
空気が共振して、その者の声は何重にも重なって聞こえた。
その発生源……上空には、銀色に輝く巨大な何かが羽ばたいている。
それは竜だった。
二対の翼を持ち、長い首が支える頭部には捻じれた白銀の角がある。
そして不思議な魔力を放つ紫の瞳が、小井野とモモを捉えていた。
空の王者と称すべき威容に、モモは汗の引く心地がした。
やがて大きく重い音を立てて、本殿の手前、何もないスペースに竜は着陸する。
「ドラグラノス様~!!」
ムギは傘を閉じ、飛来した竜に駆け寄る。
ドラグラノスと呼ばれる竜はあまりに大きく、モモはムギが踏みつぶされてしまわないかと心配になった。
竜の背丈が、IRKの入っている雑居ビル(四階建て)と同じくらいだったからだ。
しかし当のムギは、恐らく慣れているのだろう。そんな心配をする様子はなく、銀色の鱗に抱き着いて頬ずりをしていた。
「「「ムギ。ご苦労だったな」」」
「ムギはしっかりお勤めを果たしましたニャ~!」
竜は体に対してやや小さい前脚を器用に動かして、ムギの頭を撫でてやる。
そうするとさらにムギは蕩けた様子になって、尻尾をくねらせた。
続いて小井野が、竜を見上げて話しかける。
「お久しぶりです、ドラグラノス」
「「「久しいな、小井野よ。最後に来たのは……20年程前だったか?」」」
「ええ、しばらく用向きもなかったので」
「「「がはは! 相変わらず正直すぎる奴じゃ!」」」
竜が笑う度に強風が巻き起こるが、どうやら吹き飛ばされそうなのはモモだけであった。
モモは何とか小井野の背に隠れ、楽し気に会話する旧知らを観察する。
事前に例のリストから、かの竜が小井野と古い付き合いである事だけはモモも知っていた。
ただ、20年という月日が軽く扱われていて、しかも小井野がここまで気安く接する相手という事が、モモの頭に疑問符を産んだ。
以前に600年生きるスライムもいる事を知り、もしかして彼もそうではないかとモモは疑っていたが、実際の小井野もかなり人型の外見年齢からはかけ離れた年数を生きていそうだ。
小井野の態度についても、彼が呼び捨てする相手をモモは初めて見た……と言っても小井野とモモは知り合って三日しか経っていないので当然だった。
それを抜きにしても、竜と小井野の友人関係が何に由来するものなのか、不思議な事には変わりない。
方や、ムギは「あたしの知らないドラグラノス様を知ってる人……」という視点から小井野に闘志を燃やしていた。
「「「それで、20年ぶりの用事とは一体なんであったかな?」」」
「あっドラグラノス様! あっちの渡会モモが『竜のブレス』についてお話を聞きたいそうですニャ!」
「「「おお。確か昨日、そんな感じの事を言っておった気がするぞ」」」
小井野が口を開く前に、ムギが食い気味にドラグラノスに応える。
不意に話の流れが自分に向き、モモはビャッと肩が跳ねた。
しかし、先日のアリシアに加え先程のムギとの初対面でも失態を犯したモモは、今度こそしっかり挨拶をしてみせるという気概を見せた。
彼女は小井野の背中から飛び出すと、ドラグラノスの正面に向き直る。
「ご、ごごご挨拶が遅れました! わわ私、一昨日IRKエージェントに入社した渡会モモと申します! この度は、き、急な訪問をお許しいただき、本当に、ありがとうございます!」
一昨日は要るのか、どもり過ぎじゃないか等の改善点はあるものの、ここまでは今までで一番ましな挨拶ではあっただろう。
モモは言うべき事を言い切って頭を下げる。
自分でも、彼女はようやくちゃんと挨拶が出来た事に感動していた。
小井野ですら満足気に頷いている。
「「「よいよい。面をあげい」」」
モモは、その言葉もあったが__自分の体が影に覆われたのを感じて、恐る恐る顔を上げる。
「「「おヌシが渡会モモ、か……中々見所のある面構えじゃ!」」」
ぐぐぐと首を擡げて近づく竜の顔に、モモは失神寸前だった。
もはや鼻息がかかる距離を越えて、鼻息で吹き飛ばされそうである。
竜は、正面からだけかと思いきや、斜めやら横やら様々な角度からモモを観察し始めた。
彼女の目の前で瞬きをした竜の瞳は、紫の奥に深い青を覗かせ、ギョロギョロと動く。
その視線に射られた獲物の全身には、一時間の階段ウォーキングからようやく収まったと思われた汗が再び噴出していた。
「ところでドラグラノス、話の前に一度休憩させていただいても?」
「「「……そうじゃな。ムギ、社務所に通してやりなさい」」」
「はい! ムギにおまかせニャ!」
ムギは敬愛するドラグラノスと触れ合う事で気分が良くなったのか、モモと小井野の二人に対しても以前より元気よく先導した。
モモはそんなムギの可愛らしい尻尾を眺めながら、休憩のチャンスを作ってくれた小井野に内心手を擦り合わせるのだった。
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