第18話 夕食時、スイランの誘惑 前編
「何分急な申し出だったため、このようなものしか用意出来なかったが楽しんでほしい」
グンロンはそう言ったが、用意された品々はこちらに来てから久しく目にしていなかった、正しくご馳走だった。
満漢全席とまではいかないまでも、種々の点心に色とりどりの炒めもの、メインディッシュはアヒルの丸焼きだ。
侍従が鳥の皮と身を切り分けて、バオビンと呼ばれる小麦で出来た皮に巻いていく。ソースを纏わせて口に含むと、パリッとした鶏皮の感触とソースの風味が上手くマッチしていてなんとも絶品だった。
「美味い! こんなに贅沢な食事は初めてです。ありがとうございます」
「喜んでいただけたようで何よりだ」
リンファが浴びるように飲んでいるこの紹興酒もきっと高級なものに違いない。
こうして実際に出されると、食い物が無いとはいえ、やはりあるところにはあるのだなと強く実感させられる。それもこれもソウジン家が上手く立ち回っているからだろう。
「あまり酒が進んでおられないようですな。紹興酒はお好みではなかったか」
何故か隣に座っているスイランが酌をしようとして俺のグラスが減っていない事に気付いた。
「普段酎ハイ――いやいや軽い酒ばかり飲んできたものですから結構キツくて」
「酎ハイ、という飲み物が何かはわかりませんが、ふむ。では果実を絞ったジュースなどの方がよいかな?」
「あ、そうしてもらえると助かります」
いかんいかん。飲み慣れない紹興酒なんて飲んだせいで軽く酔いが回ってしまったようだ。いらん事口走る前にジュースでリセットしよう。
パンパンとスイランが手を叩くと、従者が駆け寄ってきた。
「アオイ殿にジュースを用意なさい」
従者は「かしこまりました」と言うと、部屋の端に設置されたテーブルからジュースが入ったピッチャーを持ってきた。中身を新しいグラスに注いで俺に渡す。
「すいませんね、わがまま言っちゃって」
「なに、構いません。元々、お連れの方ように用意させていましたから」
「そうですか。それにしても、普段からこんな豪華な食事をしてるんですか?」
「まさか。今日は客人をもてなすという事でこのような席を用意したまでです。普段は質素な食事を心がけておりますよ。贅を身につければ、それだけ心身に余計な肉がつきます。ひいては自らの幸福を遠ざける事となります。人は心身を健やかに保つ程度の贅だけでよいのです」
この子本当に14歳か? およそ少女の口から出るとは思えない発言だぞ。酸いも甘いも味わい尽くした人間がたどり着くような極致にその年で至っている。信じられない。
「そのお年でそのような考えに至っているとは、流石はスイランさんですね。それに比べてリンファは……」
「いやーソウジン殿のところはいつ来ても美味い飯を食わせてくれるからありがたい。こういう時でもないとこんなご馳走は食えんからな。食いだめせねば」
俗にまみれきっている。スイランの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。グンロンさんも良い食いっぷりだなんて言うから余計調子に乗っちゃってるじゃないか。
ソウジン家とはこれから良いお付き合いをしていかなければいけないんだから、少しは遠慮してほしい。
「リンファ殿は我が家に客将としておられた時からよく食べ、よく呑みましたからなあ。いやはや、昔を思い出すようで懐かしい」
「そういえば、リンファはどういう経緯でソウジン家の客将をやっていたんですか?」
「行き倒れていたところを我が家が拾っただけです。民草が荒れていた頃でしたので護衛としてちょうどよかったのです」そこまで言ってスイランは顎に手をやった。「ふむ、ちょうど今の状況と似ていますな」
「民草が荒れているところが、ですか」
「然り。あの時も食料事情はおよそ最悪といってよかった。もっとも、官の腐敗は今ほどではありませんでしたが」
「やっぱり行き着くところはそこですか……私も中央に報告に行った時、袖の下以外にもリンファの身柄を要求されましたよ」
「リンファ殿は見目麗しいですからな、そういった目が向くのは当然といえましょう」
スイランも後何年かすればそういう下卑た視線に晒される機会が増えるだろう。愛嬌はないが、今時点ですでに目の保養になる美しさを持っている。もっとも、戦乱の世となればそれすらも武器としてのし上がる人も出てくるのだろうな。
そんな事を考えていると、スイランが「時に」と思い出したように話しかけてきた。
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