第86話 決意

 伝達式が終わったあと、会場は晩餐会に様変わりする。王の手はずで整えられし至高の美酒美食、それらを手に取り談笑する貴族たち。自然と有力者の周囲に人だかりができるなかで、フェリクスの周りにもちらほらと貴族の姿があった。

「いやいや、今日は本当にめでたい。マーレアに貴公のような騎士が誕生するなんてね」

 人の良い笑みで近づいてくる男性貴族。その隣には年頃の娘もいる。

「皆様のご期待に答えられるよう、微力ながら尽力したいと思います」

「謙遜はよしたまえ。君は、かのモルド殿を打ち破った暗殺者を撃退したのだろう?素晴らしいことだ」

「この国の守護神たる武将の方々と比べれば私などまだまだです」

「そんなことはない。なあカーラ」

「はいお父様。フェリクス様の御力は誇るべきものだと思いますわ」

 そう誉め讃え、令嬢はさりげなくフェリクスの傍に寄る。それは将来有望な騎士と関係を作るためのあからさまな好意であった。それから令嬢は「お隣の失礼しますね」と言ってフェリクスの隣の席に座り、何気ない会話を始め出す。

 展開される会話自体はごくありふれている。しかし会話中の視線の流し方や小さな所作、それら一つ一つが令嬢の魅力を最大限際立たせるものであった。男を落とす手練手管。武力はなくとも、女のみが持ち得る力でフェリクスを落としに掛かる。

 ―――晩餐会が始まってから、フェリクスはこんな人間を何人も相手にしていた。

 しかし、そんなものに引っ掛かるフェリクスではないし、そもそもこの状況を許すシリウスでもない。

「ここにいたんですか、フェリクスさん」

 シリウスの娘であるアメリアが、フェリクスのそばにやって来る。

 容姿、器、家柄、シャルロットを除いて比する者のいない社交界の華。今フェリクスと話している令嬢、これからフェリクスを落とそうとしていた令嬢たちは、彼女の理不尽なまでの美貌を前に顔をひきつらせる。

「フェリクスさん、そろそろあちらに行きましょう?お父様がお待ちです」

 アメリアが親しげな笑みをフェリクスに見せる。当然演技だが、端から見ればそれは余人が割り込む隙のない関係性。

 これ以上他の貴族に唾をつけられるのを防ぐため、その後シリウスの傍に居続けたフェリクス。彼にとって初めての晴れ舞台は、このようにして幕を閉じた。



 騎士爵位を得た次の日の朝、フェリクスはまずエリナの実家に戻った。数日戻れないと伝えていた手前、予定より早い帰宅に驚く店主とエリナ。その混乱覚めやまぬうちに、フェリクスは手短に伝える。

「店主さん。俺、騎士になりました」

「は?なに言ってんだお前は」

 平民と貴族。その壁を越えるのは奇跡の所業。店主は馬鹿馬鹿しいとその言葉を一蹴する。しかし店主よりもう少し事情に詳しいエリナは、不安そうな顔をしていた。

「ごめんな」

 申し訳なさそうに笑うフェリクス。彼は王から直接受け取った騎士の勲章を見せる。金なんかより余程価値のある特殊金属で作られたそれは偽造ではない。流石の店主も言葉を失う。

「おいおい……まじかよ」

「まじですよ。ちゃんと俺の名前が掘られてますし、偽造品なんかじゃないですしね」

「てことはお前、もう貴族か?」

「まあ、そうなりますかね。とはいっても男爵のさらに下で、騎士は世襲される地位でもないですし。これまで通り接して下さいよ」

「いやぁ、そう言われてもなぁ」

 難しい顔をする店主。これまでこき使っていたバイトがいきなり貴族になったのだ。こうなって当然だろう。

「…ぃ……は………する………?」

「あ?なんだって?」

 質問をしてもこれでは通じない。仕方なく言いたいことを紙に書いてフェリクスに渡すエリナ。

「バイトはどうするの、ねぇ。今はそれも含めて伝えに来たんだよ」

「…う……の?」

「今のはそうなの?でいいんだよな?」

 コクコク。思いが通じて嬉しいのか弾けるように頷くエリナ。その頭を乱暴に撫でてから、フェリクスは店主に向き直る。

「店主さん、ホントいきなりで申し訳ないんですけど、騎士になった以上俺にも最低限の格が求められるんで、もうバイトは続けられそうになくってですね。あー、まあ何て言いますか、いきなり抜けるのがキツそうなら暫くは繋ぎで入れたりしますけど」

 貴族になった自覚があるのかないのか、平民である店主の顔色を伺いつつソワソワと報告するフェリクス。

「以前のやり方に戻るだけだし、別に問題ない……ありませんよ」

「問題なし?」

「ああ……いえ、はい」

 店主の顔色を伺うフェリクス。フェリクスに慣れない敬語を使わなければいけない店主。大の大人二人が気まずそうに会話をする光景はどこかシュールである。先に耐えきれなくなったのはフェリクスであった。

「プッ、ちょ、そのガッタガタな敬語やめてくださいって」

「こう、手の届かないところが痒い気分なんだよな」

「すぐ慣れますって」

「そうか。ならこれまで通りやらせてもらうぞ。それで、格がどうこうってことは、もうこの家からも出ていく感じか?」

 ハッとして顔を上げるエリナ。その分かりやすい懐きようにフェリクスは苦笑いを浮かべる。

「まあそうっすね。これからはストライアー侯爵家に居候することになります」

「ギャンブルで金欠になってたやつが、いつの間に貴族様か。ホント世の中は分からねえよ」

「俺も同感です。ただ、家をなくした時に助けてもらった恩は忘れてませんから。何かあった時はいつでも俺を呼んでください。もう貴族ですからね、大抵の相手はふんぞり返ってるだけで勝てますよ」

「そうさせてもらうよ」

 こうしてフェリクスは、平民として生きていた頃の関係を今あるべき形に修正した。



 ………それからしばらくすると、ちらほらと店に常連が顔を見せはじめる。その誰も彼もがフェリクスが騎士爵位を賜ったことに驚き、しかし次の瞬間には「金を持ってんなら奢れ!」と以前のノリでフェリクスに集りに行くのであった。

 綺麗な上の世界が変わっていっても、下々の世界は変わらないのだ。賭けに酒に喧嘩に、なんだかんだこれまで通りにふざけるフェリクスを見て店主もまた以前のように呆れた顔を見せ、そんな空気の中でエリナは笑う。

 ただそれは仮初の平穏。ただ一人、騒ぎの中心にいるフェリクスだけは、内心に凍てついた部分を飼い慣らしていた。

(あーあ。これが出来るのはあと何回だろうな)

 顔は笑い、しかし心の奥は小揺るぎもしない。フェリクスは酒臭い男たちに肩を組まれながら、覚悟を秘めた顔でエリナの後ろ姿を見つめる。

(でも構うもんか。俺たちの代で終わらせねぇと次の代が、『あいつら』が戦争に出ることになるんだ。それだけは駄目だろうよ。なあ、―――) 

 圧倒的な魔術の才を持つエリナが戦場でどう扱われるかなど火を見るよりも明らかで、ゆえにそれだけは防がなければならない。

 それにエリナだけではないのだ。学院に籍をおけるのはその世代で飛び抜けて優秀なものたちだけ。彼らのほとんどは使い潰されることになる。

 だから、そうなる前にエリュシエルやフェリクスたち上の世代で―――



―――――

次の話もすぐ書き上げます。うまく行けば今日中、無理でも明日ごろには。

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