第85話 転換点1

 それから一週間、フェリクスは表向きの日常を保ちつつ準備を進めた。騎士爵位を賜るであろう晩餐会のため、関わって良い貴族とそうでない貴族を頭に叩き込み、シリウスとアメリアの指導の下でもう一度所作を確認し、それから不健康な体を少しでもマシに見せるため食事量を増やし――そんな慌ただしい日々が過ぎ、当日はあっという間にやってきた。

 一週間後の週末。マーレアが世界に誇る荘厳たる王宮、その門前にシリウスとアメリアとフェリクスが立つ。

「フェリクス殿でも緊張しているんだね」

「はい。私にとっては貴族の屋敷ですら別世界すから。王宮なんてもう、どうすればいいのかも分かりません」

「まあ、気を張る必要はないよ。国王陛下直筆の招待状を頂いたんだろう?それなら小さな粗相は見逃してもらえるだろうさ。あとは私たちの後ろにいれば大丈夫だよ」

「分かりました」

「アメリア。私が忙しい時はお前がフェリクス殿のフォローをしてあげなさい」

「はい、お父様」

「よし、それでは行こうか」

 シリウスを先頭に王宮へ足を踏み入れる一行。三人を出迎えたのは、マーレアで最も豪華絢爛な空間であった。石材、布製品、装飾品、何を取っても超一級品。一体どれほどの税金が使われているのか、この光景は侯爵であるシリウスの屋敷すら陳腐に感じさせてしまう。

「これはこれはシリウス殿、お久しぶりです」

「シュタール伯爵、この間の商談以来ですね。またお会いしたいと思っていました」

「ええ、私もです」

 会場に続く長い廊下の途中、擦り寄ってくる貴族たちの相手をするシリウス。シュタール伯爵だけではない。二人、三人、それ以上。多くの貴族がシリウスのもとに集まり、柔らかな笑顔を浮かべて談笑する。一見して平和な光景、しかし誰一人として目の奥が笑っていない。それを一歩離れたところで見るフェリクスは顔をしかめた。

「お気に召しませんか?」

「正直に申し上げますと、この光景を好きになれるとは思えません」

 金、もしくは貴族としての箔。シリウスの側にいればそれらが手に入るから近くにいるだけ。穏健派だってそうだろう。シリウスが勝ち馬だから、皆がシリウスという御輿を担ぎ上げている。情の無い繋がり、そこには打算しかない。『上』に行けば行くほどそれが当たり前だが、だからこそ底辺を這いつくばっていたフェリクスから見て、この光景は醜く映った。

「無理に好きになれとは言いませんが、慣れておくべきでしょう。騎士爵位を賜り貴族になる以上、好き嫌いで物事を判断することは出来ませんから」

「はい。必要かそうでないか。アメリア様がよくそうされているように、ですよね」

「……ええ」

 一瞬垣間見えた少女の影。フェリクスはそこに触れるでもなく歩を進める。前の方では、まだ貴族たちの会話が続いていた。

「そういえばシリウス殿。御息女の隣にいる男が、穏健派全体で騎士爵に推薦した平民ですか?」

「そうですよ。彼はフェリクス=バートといいます」

「ほぉ……これは、その、なんと言いますか」

「頼りない、そう見えますか?」

「はい。いくらなんでも、あの男に穏健派が総出で動くほどの価値があるようには見えんのです」

 課外学習ではモルドでも勝てなかった強力な暗殺者を退け、裏社会勢力との争いでは誰よりも戦果を挙げた。その上シャルロットの成績向上に一役買っているという英雄的な前評判。フェリクスという男の平凡さは、貴族から見てそれに見合うものではなかった。

「まあ、彼を信じろとは言いませんが、代わりに私を信じてください。このシリウス=フォン=ストライアーは、無駄なことは一切しませんから」

「それはもう、重々承知しております」

 そう言いつつも、どこか腑に落ちない顔の貴族たち。彼ら文官は生粋の貴人。武人の強さは測れないのだ。だからこうなる。逆に言えば――

「!?」

 会場にたどり着いてすぐ、軍服に身を包んだ男がフェリクスを視界に収めて目を剥いた。吹き出る冷や汗。その男と談笑していた別の武官も、男の視線を追ってフェリクスにたどり着き、同じく驚愕に顔を歪める。

「なんだ……あの男はっ」

「シリウス侯爵と一緒、まさかあれが今回の?」

 それなりに強いからこそ分かる武の高さがある。そして、それなりでは測れない武の高さがある。この場の武官ではフェリクスを試す秤にすらなれない。

「皆さんおはようございます」

 シリウスの挨拶で会場の全員の注目が集まる。文官の視線はシリウスに、武官の視線はフェリクスに殺到した。

「穏健派が推した平民、まさかこれほどとは」

「あれがフェリクスとやらか。ふん、どれほどの者かと思えば、みすぼらしい男じゃないか」

「まったくだ。不粋極まりない。平民ごときが王宮に姿を見せるとはな」

「あれ、お前より強いんじゃないか?決闘してこいよ」

「冗談はよしてくれ。戦いにもならないだろう。勝てるイメージが全く沸いてこないんだ」

「穏やかな、平時の状態でこの存在感。戦場で本気になった時は、一体どれだけの化物になるんだ?」

 武官と文官で二極化するフェリクスの印象。シリウスは笑みでそれを流す。

「さて、フェリクス君。ここからは挨拶回りをする訳だけれど、私が言った注意事項は覚えているかな?」

「はい。穏健派以外の貴族とは距離を置くこと。許可が出るまでは口を開かないこと。それから胸を張って堂々としていること」

「よかった、ちゃんと覚えているね。穏健派と開戦派の区別は分かるだろう?私を好意的な目で見るのが前者、そうでないのが後者だ。ほら、あっちの方で固まっているのが穏健派だ」

 そう言ってシリウスが指差した方を見るフェリクス。シリウスに親しげな視線を送る集団の中には、穏健派の晩餐会に参加していた者の姿もあった。

「じゃあ行こうか」

 歩き出すシリウス。穏健派筆頭貴族の動向にその場の全員が注目する。そして、彼が立ち止まった位置、そこに座す者を見て、誰かが息を呑んだ。辛うじて保たれていた穏やかな空気、それを一気に塗り替える緊迫感。張り積める空気の中、シリウスは笑顔でその人物に挨拶をした。

「お久しぶりです、エドモンド公爵。シャルロット嬢もお元気そうでなにより」

 向かい合う穏健派筆頭と開戦派筆頭。エドモンドの鋭い視線がシリウスを射抜く。


 マーレアの貴族、国の上位層が集う場で全員の注目を集めるのはたったの二人。シリウスとエドモンド。この国を二分する派閥の頂点が向かい合う。

「久しいな侯爵。聞いたぞ、最近は随分と調子が良いようだな」

「エドモンド公爵ほどではありません。御息女様の成長は我々の間でも語り草ですよ」

「誇るほどでもない。私の後を継いで七魔道を背負うにはまだ足りんからな」

「なんと、既にそこまで見越しているのですか」

「当然だ。なぁ、そうだろう?」

 横に控える実の娘に目配せをするエドモンド。

「はい。お父様」

 応答、その声色には一切の感情が籠っていなかった。普段誰よりも感受性豊かな少女とは思えぬ無機質ぶり。

「素晴らしいことです。御息女が七魔道に就任されれば、マーレアの未来も明るくなるでしょう」

「そう言うにはまだ早いだろう。まず私を、その次にマーレア最強である『白氷』エリュシエルを越えてようやく始まりだ。それに、エリュシエルとて世界最強から見れば片落ちするからな」

「……文官の私には分かりかねます」

「戦場に熱を求める私たち戦士と、戦場を集金装置と捉える貴様たち文官が分かりあえるはずもない」

 言外に敵意を込めた一言に会場の空気が重くなる。その空気のなか、エドモンドはさらに圧の増した鋭い視線をフェリクスに向けた。フェリクスが騎士爵を賜ることに最後まで反対しているのがこの男。緊迫感が極限まで高まる。

「貴様はどちらだ?戦場に何を求める?」

「私は……」

「平民の貴様とて、貴族――それも公爵家の人間に関わる危険性は知っているだろう?それを犯してまで、なぜ私の娘に力を託す?何が狙いだ?貴様が他国の間者なら、娘を傀儡とし裏から操るという目的も理解できるが、そうではないのだろう?」

「公爵閣下、これくらいにしていただけませんか。彼はこのような場に出たことがありません。今は緊張していますし……」

「シリウス、口を挟むな。この男が私たちの娘の仲を取り持ち派閥争いに関与し、学院の有り様を変えつつあるのは事実だ。政界を二分する派閥だぞ?やり様によっては国が揺らぐ。この男には答える義務があるだろう」

 軍人とて脳筋ではない。大衆の前、エドモンドはシリウスを説き伏せてフェリクスを追い込む。

「……なぜそうするか、ですか」

 一瞬、遠い昔を思い出すようにシャルロットを見、それからエドモンドに向き直るフェリクス。様々な感情を込めた表情でゆっくりと紡がれたのは―――

「この国の未来を。ただそれを望みます」

 そんな、ごくありきたりな答え。落胆のため息がちらほらと聞こえてくる。しかしより近くでフェリクスを見ていた者たちは、その瞳に宿る熱量を見て確信を抱く。これが男の偽らざる本心であると。

「それは貴様の望みか?」

「最初はある者より受け継いだ借り物でしたが、今となっては私の血肉と言えましょう」

「そうか」

 目を閉じ、無表情を浮かべるエドモンド。

「四年前、黒騎士と共にマーレア最強の看板を背負っていた我が娘、『魔女』も同じ願いを持っていた。ならば止めはせん。好きにすると良い」

「寛大なるお心遣い、感謝致します」

「まだ騎士になった訳ではない。それを決めるのは――」

 会話を切って会場の出入り口に目をやるエドモンド。一時休戦したのか、シリウスも同様の方向を見ていた。否、シリウスだけではない。この場の全員がそこを、そこに立つ者たちに目を向け、頭を垂れる。

「会場が騒がしいと思えば、またお主らであったか。陣取り合戦も程ほどにしておけと言ったろう」

 エドモンドとシリウスにこの物言い、そして政界を二分する争いを陣取り合戦と見下す態度。会場に現れた数人の男女、その中心に立つ王冠を被る壮年の男こそ、マーレアの国王である。

 深い叡知を感じさせる眼差し、一目で分かる鍛えられた肉体。しかしフェリクスが王に抱いた感情は―――

(こんなもんか)

 見て分かる。叡知はシリウスに大きく劣り、武ではエドモンド、そしてフェリクスに大きく劣る。一流ではあるが超一流ではない、それがマーレアの王であった。王族である点を除けば、何一つ突き抜けたものがない。智力に至っては、王の後ろに立つ第二王女の方が優れているようにすら見える。まあ、その程度の人物であるからこそ、国内の派閥争いを収められないのだろう。

「フェリクス殿、一度定位置に戻ろうか」

「了解しました」

 シリウスと共に穏健派の集団に戻るフェリクス。王はというと、様々な貴族たちからの挨拶を受けた後、壇上に向かっていた。場が再び静まり返る。

「皆のもの、よくぞ集まってくれた。まずここにいる皆に王として礼を言いたい。近隣諸国の動向に不審な点が見られる昨今、それでもこの国が安定しているのはひとえに諸君らの働きがあってのものだ。感謝する。今宵の催しは王国樹立記念日を祝うものだが、その前に諸君らの働きに報いなければな」

 武官を中心としてにわかに騒ぎだす会場。これから報酬――勲章などの授与式が行われるのだ。

「そう騒ぐでない。まずはエリュシエル=フォン=リンドブルム。現在やつはアルセイで戦後処理に勤しんでいるゆえ今は伝達のみになるが、その多大なる功績は―――」

 その後、次々に呼ばれる武官たちの名前。そんな中フェリクスは無表情で会場を見渡していた。

(今呼ばれた武官、別に強くもなんともねえ。さっきのもそう。本当に強いやつはごく僅かで、あとは有象無象だ。そんな奴らが大勢功績を挙げる……そこまで戦場が広がってんのか?)

 その疑問に答えるように、また一人フェリクスから見て弱い武官が名を呼ばれる。

(エリュシエルやエドモンドじゃ抑えきれない戦場……んなもん、四年前の再来じゃねぇかよ。今の王はあくまで凡人。大陸中が戦火に包まれた時に、マーレアを守り切る器の持ち主でもねえし)

 事態は思ったより危険な領域に至っていた。それを見越していたからこそ、フェリクスはシリウスの策に乗って開戦派と穏健派をくっつけようとしているのだが、果たしてそれだけで足りるのか。それすら分からない。

『ねぇ、お願い。私が好きなこの国を守って。あの子を――』

 フェリクスの胸中に甦るいつかの願い。それを叶える方法は………

 武官の名を呼ぶ王の声が止んだ。

「さて、これで伝達事項は終えた訳だが。最後に一つだけ皆に伝えなければならん事がある。魔術大国であるマーレアが世界に誇る魔術学院。その生徒を狙って起こされた襲撃事件、そして先の裏社会殲滅。この二件を、類稀なる実力で解決に導いた平民がいるのだ」

 たかが平民。これまで貴族社会の中で揉まれてきたフェリクスが、いまは全貴族の注目を集める。

「フェリクス=バート、前へ」

 硬い表情で歩き出すフェリクス。シリウスの、穏健派の、そしてエドモンドを筆頭に実力のある武官の視線を背に、彼は王の御前に立つ。

「ぱっとしない男と聞いていたが、近くで見ると中々の美貌だな。中性的で、そうだな、かつて見た『魔女』にも似ておる」

「はっ」

「そう固くなるでない。胸を張るがいい。今は余ではなくそなたが主役よ」

「恐縮で御座います」

 クツクツと笑みを漏らす国王。

「だから固くなるなと………まあよいか。そなたのおかげで未来有望な若手が命を失わずに済み、そしてこの国の膿を一掃することが出来た。戦争のように分かりやすい功績ではないが、その価値は千金にも勝るだろう。余はこれに騎士爵位で応えたいのだが、どうだろうか。この者が騎士となる事に異を唱えるものはいないか?」

 誰もいない。いるはずもない。こうして王が言う時点でこれは確定事項。覆せば王族を、そして穏健派全部を敵に回すことになるのだ。

「満場一致……いや、最後に一人、確認していない者がおったな。フェリクス=バート。そなたはどう思う?」

「身に余る光栄で御座います。微力ではありますが、我が力でもって大恩に御答えしたいと存じ上げます」

「だ、そうだ」

 フェリクスの肩に剣を当てる国王。これで、フェリクスは騎士に、つまり貴族になったのだ。



――――――――――

そろそろ物語が大きく動き始めます。これまで張り巡らせてきた伏線もちょこちょこ回収できたらいいですねえ。

 

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