第84話 動くもの、動けないもの

「……何かあったのかしら」

 魔術の訓練のため校舎裏に来ていたシャルロットが心配そうな顔で呟く。既に約束の時刻を過ぎたのに、まだフェリクスがやって来ないのだ。

(この間渡された魔術教本を読み終えたから、内容の確認をしてもらおうと思ってたのに。こんなに遅れたら出来ないじゃない。これだけの損失はきっちり埋め合わせするべきよね。あいつがどれだけ忙しくても関係ないわ。今日は放課後も勉強を見てもら―――)

「悪い、遅れた」

「遅すぎるわよ!」

 ようやく来た男を、 自分でも気付かない満面の笑みで迎えるシャルロット。今のいままで顔をしかめていたのに、その喜び様は最早忠犬のそれである。

「いや、まあ色々とあってな」

「色々ってなによ。私に魔術を教えることより大事なのかしら?」

「今回ばかりはそうだな。大事かも知れねえ」

「……またシリウス侯爵関連の事で巻き込まれたのね?」

「よく分かったな」

 巻き込まれたことを言い当てられて驚くフェリクス。シャルロットは呆れ顔で答えた。

「あなたが主体的に面倒事を抱えようとするはずがないもの」

「酷ぇ言い様だな、お前」

「事実じゃないの、このサボり魔。それに、あなたほどのアホ面を晒してる人は早々いないわ。巻き込んでくださいって顔に書いてるようなものよ」

 シャルロットはそう言うが、実際は違う。シリウスの依頼を受けるか否か、あの時フェリクスには選択肢が与えられていたのだ。しかし裏を知らないシャルロットからは、ただただフェリクスが巻き込まれているように見える、いや、そう見ようとしている。

 ――シャルロットは馬鹿ではなく、人を見る目に至っては後天的に得た鋭さがある。だから、フェリクスがただ流されているわけではないことくらいとっくに理解しているのだ。

 だが、目の前の男が何を目的に動いているのか。それを聞き出して止めるには、現状はあまりに複雑すぎた。

 フェリクスの力が欲しい軍部、既にフェリクスを取り込みつつある穏健派、何故かフェリクスに固執している『白氷』エリュシエル。

 国のトップ層が一人の男を巡って動いている状況。下手に首を突っ込めば今ある普通の日々が失われてしまいそうで、シャルロットは無意識にそこから目を背けてしまう。

 一度幸せを失った少女は、目の前にある幸せを守るので精一杯だった。喪失が少女を弱くしたのだ。

「誰がアホ面だよ誰が」

「あなたの事よ。絵に描いた様なアホ面だもの。そうね。辞書のアホ面の項目にはあなたの顔を投写しておくべきだわ」

「久々にお前の毒舌聞いたな!?」

 先に起こるであろう変化を恐れ、ただ今を享受する。それも間違いではないだろう。ただ、恐れて動かない側と嬉々として利用していく側とでは、立ち位置に差が出るのは必定。この時点で、シャルロットは選択肢を誤っていた。


⚪️⚪️⚪️


 放課後、エリナ家でのアルバイトを終えたフェリクスは、執事の案内でストライアー侯爵家を訪れていた。

「やぁ、フェリクス殿」

 人好きのする笑みを浮かべてフェリクスを己が書斎に招くシリウス。その隣には無表情で直立する娘、アメリアもいる。

「本日はお忙しいなかお招きいただき、感謝致します」

「そんな畏まらないでくれたまえ。もう何度も顔を合わせたのだし、そろそろ友人となってもいい頃合いじゃないかな?」

「畏れ多くも御身は国内最大派閥の頂点に立つ侯爵閣下であられます。私などを同列に語るべきではないかと」

「私は別に構わないけどね」

「社会が認めないでしょう」

「さて、本当にそうかな?」

 シリアスの笑みが深まった。どこまでも優しげな、しかし勘違いして懐を許せば骨の髄まで食らい尽くされる魔性の笑み。

「それはどういう……」

「それも含めて、今日フェリクス殿に来てもらった理由を説明しようか。取り敢えず座りたまへ」

「失礼します」

「そうだね。まずは……と、ああ、そうだ。アメリア。フェリクス殿にお茶を用意してきなさい。長話になるからね。何も出さないのは失礼だろう」

 思い出したように言うシリアス。横に立っていたアメリアは「はい、お父様」と答えるとすぐに退室していった。去り際の背中、その美しさは淑女の極み。どこかの暴れ馬とは正反対だ。

「どうだい。凄い子だろう?」

「え……はい。洗練された所作だと思いました」

「そうだろうそうだろう。親の贔屓目を抜きにしても、同世代であの子に匹敵する令嬢は殆どいないだろうね」

 殆ど、つまり少しはいるということ。フェリクスはそこにシャルロットを思い浮かべる。それと、もう一人。この二人すら凌駕する者として、今朝会った王女を思い浮かべた。しかし上辺は無知を装う。

「私には何をもって優れた令嬢と言えるのかが分かりません」

「いずれ分かるさ。フェリクス殿は騎士になるのだからね。今朝の話は聞いたよ。王女殿下から招待状を渡されたんだろう?」

「……はい」

「それは良かった。ようやくだ、これで計画が一歩先へ進むよ」

「その計画についてお聞きしてもよろしいですか?」

「構わないよ。というより、今回は単純だからね。フェリクス殿も分かっているんじゃないかな?」

 シリアスに答えを促され、フェリクスは渋々口を開いた。文官ばかりの穏健派からでは軍部に手が伸ばせないこと。そこで自分が騎士と成り軍部で昇進していき、穏健派と軍部を繋ぐ架け橋になるのを求められていること――。今回は前回ほど難しくない。フェリクスでも智の怪物に付いていける。

 解答を聞き終えたシリアスは満足げに頷いた。

「計画については完璧だよ。やはり賢い者との会話は気が楽でいいね」

「恐悦至極にございます」

「ははは。私の誉め言葉で恐悦至極なら、国王陛下より騎士爵位を賜る瞬間はなんと言うのかな?」

「……」

 フェリクスが答えられずに固まる。一瞬の間。息がつまるほどの静寂が焦燥感を駆り立て――

「お茶の用意が出来ました」

 ガチャ。扉が開く。アメリアの登場で空気が弛緩する。シリアスは笑顔のまま、ばれないようにフェリクスはため息をついた。

「そこのテーブルに全員の分を並べなさい」

「はい」

「仕事の話は疲れるね。少し休憩しようか。フェリクス殿も気を楽にしてくれたまえ」

「……はい」

 そう言われて気を楽に出来るはずもない。フェリクスは緊張で渇ききった喉を潤すように、出されたお茶にゆっくりと口をつけた。



 それから、他愛もない話をする三人。勿論その会話はシリアス特製、至るところに罠が有り、言葉遣い一つ、解答の仕方一つで不敬と取られる。文官、言を武器に戦う者の叡智が込められている。

 それでもなんとか細い綱を渡るように会話を続けるフェリクス。既に脳みそは擦りきれる寸前、そろそろ限界が近いところで、シリアスはさらに爆弾を投下した。

「そういえば、フェリクス殿が教え始めてからシャルロット嬢の成績が伸びているそうだね」

「私は切っ掛けを用意したに過ぎません。私が、ではなくシャルロット様が自らの力で飛躍したのです」

「でも、切っ掛けは与えた。違うかい?」

「……否定は出来ません」

「なら、それはアメリアにも出来ることかな?」

 それまで時折会話に参加する以外、無表情で二人の話を聞いていたアメリアが、微かに目を見開いた。

「分かりかねます。私の教え方がアメリア様に合えば可能ですが、そうでない場合はむしろ逆効果になるでしょう」

「なら一度試してみようか。アメリアはどうかな?嫌ならこの話は無しにするけど――」

「練度の高い魔術を修めて不利になることはありません。シャルロットさんという前例がありますし、私からもお願いしたいです」

 無表情で、淡々と答えるアメリア。自分に必要なことだから。その判断に情は無い。

「だそうだ。どうかな、フェリクス殿」

 フェリクスは本当なら断りたい。騎士になる以上シリアスの顔を立てる行為は必要だが、必要以上には関わりたくないのだ。しかし、平民と貴族。そもそもが断れる状況ではなかった。

「分かりました。私でよろしければ、最善を尽くさせていただきます」

「うん。よろしく頼むよ」

「私からもよろしくお願いします」

 故に、仕方なくこの形に落ち着ける。フェリクスは頭を下げながらため息をつき―――まだ、この話は着地点にはなかった。シリアスが口を開く。

「いや、本当によかった。婚約が決まる前に、フェリクス殿にはアメリアに慣れてもらいたかったからね」

「は?」

 何を言っているのか。間抜けな顔で疑問符を浮かべるフェリクスを他所に、シリアスは言葉を紡いだ。

「穏健派と軍部が深く繋がるためには血縁関係が一番だろう?それに当てはまるなかで、成り上がった後のフェリクス殿と私の娘ほどの適役はいないと思うよ」

 そこまで説明されてようやく理解に至ったフェリクスは、咄嗟に口を開いた。

「だ、だからと言って私などが侯爵家のご令嬢と!?流石にそれはあり得ません!第一御息女のお気持ちだって……」

 しかし、そこまで喋ってフェリクスは固まってしまった。横目で見たアメリアの貌が笑みに染まっていたのだ。完璧な、作り物そのもののそれ。この婚約は必要なことだと、彼女は既に受け入れていた。

「立場的に今はまだあり得ないだろうね。だけどこれから先は分からないよ。現にほら、騎士爵位が目の前に見えている。もう始まっているんだ。なら後は終わるだけ。そして、結果は既に見えているよ」

 そう言って笑みを深めるシリアス。その言葉が現実になってしまう気がして、フェリクスは何も言うことが出来なかった。

 艶やかな黒髪を持つ、多少幼い容姿だがこの上無い美貌の令嬢。世の貴公子を虜にする少女は、これ以上なく綺麗な、寸分の狂いもない貌でフェリクスに微笑んだ。

 美しい。本当に美しいと思う。だが、何故だろうか。このお淑やかさよりも、あの騒がしさの方が隣にいてほしいと思ってしまう。


 ――それが許されないことだと、知っていながら。

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