第83話 甘美なる天上人

 今日も今日とて、シャルロットに魔術を教えるために朝早くにエリナ家を出るフェリクス。場末の飲食店から王都の中心部へ、しばらく進むとマーレアが世界に誇る大通りが見えてくる。

「もう少し魔力回路の復習をさせた方がいいか?第五階梯までくると途端に難易度が跳ね上がるからなぁ。いきなり実践はあいつにはキツいだろ。いや、でもあえて一度失敗させて、壁の高さを教えるのも―――」

 歩く隙間もない人混みをスルスルと抜けつつ、シャルロットに与える次の課題選びに苦心するフェリクス。シャルロットにエリナの十分の一程の才能でもあってくれればもう少し楽に出来たのだが、生憎彼女は凡人。無いものはねだっても仕方ない。

「地道にやらせるしかないのかね。努力で第五階梯ってだけで十分凄いしな」

 難題に一応の着地点を見つけたところで、フェリクスは周囲に違和感を覚えた。この国最大の通りを埋め尽くしていた人達が、いつの間に道の左右に寄っていたのだ。

 割れた人垣、見通しが良くなった通りの向こう側から、一台の派手な馬車が走ってくる。フェリクスもまた道の端に移動し、一旦止まってそれが通り過ぎるのを待った。

 馬車は近付くにつれて段々と速度を落としていく。

(おいおい、なんでお偉いさんの馬車がこんなところで止まるんだ……って、ハァッ!?)

 何となく悪寒に襲われたフェリクスがチラリと馬車の側面を見ると、そこには王家の紋章が彫られていた。それを扱えるのはこの国では王族のみ。

 何故そんな人が貴族街を抜けてこんな所まで下りてきたのか。例外でもない限り、殿上人がここに訪れる理由がない―――

(あっ)

 そこまで考えてから、フェリクスは顔面蒼白になった。殿上人が下界に下りてくる程の例外。一つだけ心当たりがあるのだ。そう、社交界二大派閥が一つ、穏健派の支援を受け騎士爵になろうとしている男が、まさにここにいるではないか。

(うっわ)

 気付けば馬車は既に目の前に停まっていて、開いた扉からは熟練の騎士が降りてくる。立ち振舞いから匂い立つ強者の雰囲気。フェリクスが負けるほどではないが、圧倒的ではある。道の端に寄る数百という民衆は、一瞬にして騎士に呑まれていた。

「姫様、御手を」

 その騎士がかしずき、女性をエスコートするように馬車の方へ手を差し出した。それに答えるように、馬車からは白く細い手が出てくる。手、続いて腕が見え、やがて馬車から下りてきたのは。

「―――っ」

 馬車から下りてきた少女の姿に、誰かが息を飲んだ。

 一切の穢れを知らぬ長い白髪。絶世の美貌は人形めいた無表情に固定されており、それが少女に神聖な雰囲気を纏わせる。紅く輝く瞳は強い引力を宿し、ただ視線を合わせるだけで民衆を虜にしてしまう。

 美貌だけで圧倒的な騎士の存在感すら吹き飛ばして、少女はまるで月が墜ちてきたかのような衝撃と共に、平民と同じ地に降り立った。

 少女が見る先は一点。この場で唯一己に呑まれていない者。

「フェリクス=バート」

 名を呼ばれたフェリクスは、うやうやしく礼をする。

「お初にお目に掛かります、王女殿下」

久しいのお・・・・・。そう畏まらんでもよい。楽にせよ」

「御意」

 楽にせよ、そう言われて姿勢を崩すわけにはいかない。相手は王女。気分一つで並の貴族家を取り潰せる権力の持ち主なのだ。格で貴族の足元にも及ばないフェリクスからしたら、天のさらにその上の存在。何が不敬と取られるかすら分からない。

「お主は随分と変わったな、フェリクス」

「王女殿下は変わらず御美しゅうございます」

「よせよせ。下らん世辞を聞きに来たわけでは無いわ」

「嘘ではありません。殿下が日のもとを歩かれれば、その美しさに太陽は陰りを見せるでしょう」

「相変わらず口の上手いやつよのお」

 目元をうっすらと歪ませ、薄く笑みを浮かべる王女。年齢は十五、まだ女としての完成を迎えてすらいないのに、その表情一つで男たちの表情がだらしなく蕩ける。

「此度は貴様に頼みがあっての」

 頼み。そうは言うが、王女から下される頼みは命令も同然だ。

 懐、フェリクスに見えやすいようわざわざ胸元から一枚の封筒を取り出しつつ、王女は底の見えない笑みを深める。

 フェリクスは、純白の封筒に描かれた金の紋章を見て、絶望的な表情をした。王女が扱うそれは、当然王家にのみ許された証。断れば斬首となる王命である。

「今日から数えて七日後、王宮で盛大なる晩餐会が執り行われることになっておる。お主もそれに参加せよ。これは父上直筆の推薦状故、逆らえば次に相見える場所は断頭台となる」

「こ、断るなど恐れ多いっ。身に余る光栄でございます」

「よろしい。ではな、妾は一週間後を楽しみにしておるぞ」

 最後にそう言葉を残し、王女は馬車へ戻っていく。一人残されたフェリクスは、震える手で王命を握り締めていた。


 ―――国王が王宮で開催する晩餐会は、軍部の昇進や受勲を兼ねるのが通例だ。戦を神聖視するマーレアの特色と言えよう。

 つまり晩餐会に参加できるのは、登城するだけの地位を持つ貴族か、それなり以上の地位の武官のみ。当然フェリクスはそれらには含まれない。

 なら、何故呼ばれたのか。理由は一つしかあり得ない。誰かを騎士爵に任ぜられるのはマーレアでは国王ただ一人。現時点で、フェリクスが騎士になることが確定しているのだ。

「クソがっ」

 平民ならば誰もが夢見る貴族という地位を目前にして、フェリクスは忌々しげに地面を蹴りつけた。


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