第80話 変わりつつあるもの

 二百年前に勃発した大戦中、多くの国を堕として強国の仲間入りを果たしたマーレア。

 その頃のマーレアはまだ興ったばかりの小国、普通に戦えば大国に勝てる要素など無かったが、他を圧倒する魔術技術でもってその不可能を覆した。

 はじめはどこの国も笑ってそれを見ていた。少ない兵力、当時の主流だった騎馬隊もわずか、それでいったい何ができるものかと。

 だが、マーレアの進撃で一つの国が堕ち、二つの国が堕ち、やがて傍観していた彼らは危機感を覚えだし――その頃には、マーレアの勢いは止まらぬものとなっていた。

 魔術を体系化して世界に広めた『魔導王』以外の誰もがその結末を予想できなかった。

 それ程の力、戦場のセオリーを根本から捻じ曲げてしまう不条理。その魔術の研究を行っていた機関が、ハーレブルク魔術研究所である。

 ハールブルクという名からわかる通り、その組織は現在の魔術学院の前身である。当時はただ魔術を研究する組織でしかなかったが、戦争を通して魔術の価値を知った時の王の命により魔術師を育成する機関となって、その後現在の学び舎という形を取ったのだ。

 それ故、ハーレブルク魔術学院は魔術師の育成機関、魔術の研究機関としての二つの面を持っており、この二要素が相乗効果を生み出したからこそマーレア王国は魔術分野で頂点に立ち続けてきた。

 文字通り最高峰の学院。そこに通う生徒は平民貴族に関係なく皆が天才であり、若き才能たちは、自らが学院の生徒であることを誇りに思い、また、次代のマーレアを背負って立つ人材であることを疑っていない。

 よって学院に籍を置く者たちはこれまで、何故か雇われている用務員を下に見続けてきたのだが――

「ふああぁぁ」

 間抜けなあくびの音。学院正門を入ってすぐの場所、登校中の生徒に混じる寝ぼけ眼のフェリクスに、今は懐疑心や驚愕、あろうことか妬みの感情までが集まっていた。

 何故このような事態が起きているのか。その理由は、シリウスをはじめとした穏健派の貴族ほぼ全員が、フェリクスを騎士爵に推薦したことにある。

 世界規模でみれば騎士にはさまざまな種類があるが、マーレアにおけるそれは武の象徴。大きな戦果を挙げる、または国家に至上稀に見る貢献をしない限り得られないものだ。戦争で成り上がったマーレアはこの地位を特別視しており、例え大貴族であろうとコネで成ることは叶わない。

 必然、騎士爵は軍属の憧れである。持っているだけで自らの実力を保証できるうえ、並みの貴族家を上回る箔も手に入るのだから。

 それだけの立場に、あの無能であるはずの用務員が推薦されてしまったという事実。まだなると決まったわけではないが、穏健派ほぼ全員の推薦となれば王も頷かざるを得ないだろう。

 その上――

「ほんと、あんたって朝からだらしないのね」

 呆れ顔でフェリクスに近づく少女――シャルロット=フォン=グラディウス。彼女の存在も無視できない。

 なにせ現グラディウス公爵家当主は国王の弟。その長女ともなれば将来持つであろう権力は計り知れないからだ。そんな少女が、フェリクスに積極的に関わっている。

「うるせぇな」

「突っ込みどころが服着て歩いてるんだからしょうがないじゃない。というより、あんたの場合は服装もおかしいわね」

「おい、全否定かよ」

「当り前じゃない。この間騎士服を着ていた時との落差が恐ろしいわ」

「俺はお前の方が恐ろしいけどな」

 フェリクスの隣を歩いていたシャルロットが、大きく前に飛び出してフェリクスを正面から睨み付ける。

「どういう意味よ?」

「言葉のまんまだよ、この縦ロール」

「た、縦!?」

 シャルロットにとって縦ロールは自慢の髪型だ。思わず固まってしまう。

「そんなクルクルしてて、鬱陶しくないのかよ?」

 そう言って綺麗に整えられた縦ロールに手を伸ばすフェリクス。シャルロットは固まったままそれを受け入れた。貴族令嬢は異性に髪を触らせたりはしないのだが、そんな常識が通用していない。周囲の生徒たちは思わずその光景を二度見する。

「へぇ、固そうに見えて、案外柔らかいんだな。変なの」

 左右の縦ロールに触れながらしみじみと呟くフェリクス。丁寧にセットされたそれは、フェリクスの手の上をさらさらと流れていく。

 それから、少女の抵抗がないのをいいことに、フェリクスは縦ロールだけでなく普通に髪の毛に手櫛を通していく

「ちょっ!?離しなさいよ!」

 慌てて我に返ってフェリクスの手を振り払うシャルロットだが、誰の目から見ても嫌がってはいなかった。どころか顔を赤くし、好意とまではいかないが、それに近い色を宿した瞳で男を見ている。容姿、家柄ともに最上、社交界随一の華が見せる喜色交じりの羞恥の表情に、その場の全員が目を奪われる。

 本来、平民は貴族と並んで歩くことすら許されない。まして髪の毛に触れるなど、即座に殺されてもおかしくない内容だが、それを咎められる者は今この場にはいなかった。

 先の課外活動や先日の裏社会殲滅で十分な実力を示したことで穏健派に支持されたフェリクスに正面からぶつかれる力が、生徒たちにないのだ。シャルロットが嫌がっていない点も大きい。

 もしフェリクスと事を構えたら、穏健派とシャルロットが敵になってしまうかもしれない――貴族だからこそ、そんな不安に襲われる。だから、ただの用務員が少しずつ上の世界に上ってくるのを、黙って見ているしかない。

 今、世界が動き始めているのと同様、マーレア国内もまた、フェリクス=バートという男を中心に、何かが変わりつつあった。

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